第35回 閑話休題3
■投稿日時:2002年3月10日
■書き手:Drマサ

 『現代思想』がプロレスをテーマとして特集を組んだのは記憶に新しいとこ
ろ。『現代思想』は多少ポップな感じもしないわけではないけれども、岩波が出
版している『思想』を硬質な思想誌と考えても、やはり思想を扱う商業誌として
の地位を築いているのも間違いないところで、いわば最も思想というものから程
遠い感じがしないでもないプロレスを特集するというのはちょっと驚きではない
かと思うのですが、皆さんはどんな感じを受けたでしょうか?

 勿論、ターザン山本の”マイナーパワー”ではないけれども、プロレスファン
の中には、プロレスについて考え、プロレスを通して考える癖を持っている方も
多いでしょうから、考え=思想と結びつくのも必然かもしれませんが。そういえ
ば、思想という存在もマイナーな地位にしかないような気もします。また、プロ
レスを思想として捉えるなんていう振る舞い自体が弱体化してきているような気
もしますが、私のような昭和ファン?には少々寂しい思いを抱きますが。

 今回、私自身も論文を掲載することになったわけですが、その経緯と、『現代
思想』のプロレス特集をどう見るかということについて、ざっくばらんに語らせ
ていただくことにしましょう。

 私がブッキングされたのは「観戦記ネット」のおかげというか、「観戦記ネッ
ト」のせい。ホント、ギリギリの依頼で、マジ大変。まあとにかく、品川さんに
は足を向けて眠れないということにしておきましょうか?以前、私がこのコラム
で取り上げた入不二さんの「プロレス=ドーナッツ論」の要約と批評を、入不二
さん本人が見ていたらしいのです。そこで、『現代思想』プロレス特集の編集者
Kさんに、ネットでプロレスを論じているDrマサというのがいると伝えたとい
うことから、私自身に興味を持ったということのようです。それでKさんが、観
戦記ネット管理人=品川さんにアクセスし、私に論文の依頼があったというわけ
です。

 入不二さんの仕事は、現代の哲学の状況からすれば、安易な思想が相対主義に
陥りかねないものになるという状況を批判的に検討するもののように見受けられ
るのですが、当のプロレス論もその様なものになっています。私自身は既存のプ
ロレス論の中で、バルトと並んで、最も好きな論文で、その著者が私のコラムを
読んでいたかと思うと、気恥ずかしい感じもするところなんです。Kさんからこ
の経緯を聞いたときには、「マジ、読んでるんですか〜〜〜!」と神保町の喫茶
店で奇声を上げてしまいました。意外と気の弱いDrマサです。

 そんな中で、以前品川さんと話をしたことがあるのですが、「観戦記ネット」
をプロレスと格闘技マニアだけが集うサイトではなく、多種多様な”人種”に開
かれたサイトにしたいという意向を共有していたことからすれば、私自身が読み
づらいコラムをやっている意味というか、まあ、つまり、貢献ができたのではな
いかと自負させていただきます。そういえば、日本社会学会で発表したときに、
2人の人物から「Drマサさんですか?」と聞かれたことがありました。マスク
マンの正体がばれたような感じでしょうかね。

 ちなみに入不二さんの「プロレス=ドーナツ論」は今回の『現代思想』に再録
されていますし、私のコラムも、まあ気が向いたらでいいですが、参照してもら
えればと。ところで、この論旨に問題点をあえて見いだすとすれば、ドーナツの
穴が単数として提示されてしまう印象を与えてしまうところでしょうか?ドーナ
ツの穴というのは「ほんとうの本物の闘い」という虚点で、実在しないのです
が、それでも尚そこに向かう理想郷です。しかし、それは実在しないということ
からすれば、無でしかないのですから、それをイメージするとき、ひとつの穴を
イメージさせるのは実は問題があるかも知れません。勿論、それは虚数にすれば
いいというものでもなく、複数としてイメージするというわけにもいかないとも
思うのですが。

 このような超越と内在とか、真理とかいう哲学的主題は言説化不可能な領域に
あるので、なにがしかのイメージとしてのみ共有されるしかかないとすれば、ド
ーナツの穴というレトリックは肯定的に受けとめるべきではないでしょうか。言
説化不可能なものを共有しようとすれば、幾何学や自然科学的メタファーを利用
するのは一種の賭けで、それを批判するのは行き過ぎというものになるでしょ
う。

 また、「闘い」ということば、そのメタファーの豊穣さ、つまりあらゆる場面
での人間の振るまいが持つ意味を包摂するような力を持っていることを考慮に入
れるならば、入不二論文を評価しなければならないと思います。プロレスの「闘
い」を競技レベルの闘いというリアリズムに横領させるわけにはいかないです
し、それをファンタジーとして否定するとすれば、この意義を見落としてしまう
でしょう。どうにか、この一点を共有したいものです。そうすれば、ヤオガチ論
争なんて霧散してしまうと確信しています。また、プロレスラーがそのような高
い志を持つことを夢見てもいるのですが。

 さて、私の論文『プロレス社会学への招待 イデオロギーとテクスチュア』で
すが、皆さんの感想はどうですか?批判ならやめて下さい(笑)。編集のKさん
とは喫茶店で2時間位ざっくばらんにプロレスの話をしながら、明言されはしな
いのですが、その方向性を示唆してきたという印象が残っています。なるほど、
編集者の仕事の一端とはこんな感じかと思いながらも、要求が高いような気がし
ていたのも事実です。というのは、締め切りまで3週間という時間の問題と私自
身の仕事の都合を考えてみると、難しいかなという印象を持ったからでした。ど
のような要求かというと、バルトのプロレス論を冷静に唯物論に変換したものと
でもいったらよいでしょうか。Kさんのプロレス観は、編集後記を読んでみて下
さい。多少偏っているかなという感じもしますが、結構、私としては面白いと思
っています。

 バルトを唯物論的に変換する。これは私の志向と実は一致しています。です
が、まだその準備は整っていないという実感を持っています。それは私自身のプ
ロレス論としての目標でもあるので、まだ考えが飽和している感じがしないの
で、その議論の核に踏み込むのは躊躇してしまいました。そこで、テクスチュア
という概念と私自身が愛好する西田哲学の身体論を中途半端ではあるにしても、
接合する試みを行ったというものでした。とにかく、今後の課題が残っていると
いうことだけは間違いないところで、反省すべきところばかりという感じです。

 『現代思想』の全体的な感想というのは、ノリリンさん(以下敬称略)のコラ
ムと重なるところが多いところです。ですから、そちらを参照して下さ〜い。そ
の上で違いを明らかにしておこうかと思います。まさにノリリンの”プロレス至
上主義宣言”の注釈が、今回の『現代思想』の論調であると指摘することは確か
に可能であると感じます。また、それは「逆も真なり」であることをノリリンは
知っていると想像しておく方がいいでしょうか。実際、いくつかのプロレス論は
既存のプロレス論の中で見たことがあるような気もします。

 ところで、ノリリン指摘するところの「哲学の終焉」とは、おそらく真に哲学
を実践してしまわざるを得ない癖をもった「変人」以外が言うことでしかないと
いうのが私の信念。「変人」は生まれつきのものであり、後天的に哲学を学習し
たものは単にディシプリンとして反省的に理解しているに過ぎないでしょう。
「哲学の終焉」を宣言するとは、哲学をしたことのない輩のことばに与してしま
います。ノリリンがアフォリズムを戦略的に利用するとは、「変人」のひとつの
現れに向かう可能性ではないのでしょうか?なぜなら、アフォリズムが作り出す
違和が「何か?」との問いの開始させるからですが。

 その様な意味で「皮肉のプロレス哲学」は哲学であるというよりも、いわゆる
思想や社会学的考察でしかない。つまり、哲学的な用語を利用した哲学に届かな
い思索なのでしょう。それは、私の考察も含めて。

 さて、確かに注釈でしかない論考は、その意味で同じことの反復ということに
なるでしょう。しかし完全に同じことの反復はあり得ないはず。注釈が注釈であ
る所以はその微妙な違いにあるとするならば、読み手である我々こそがその違い
を取り出すべきであり、書き手にその違いを知らしめればよいと考えてもいいは
ずである。複雑系の自己組織化をプロレス理解に適応した思考は、プロレスを語
ることと自らの思考を語ることの偏差を生み出すはずである。ということで、不
可能と知りつつも、「バルト以降」を宣言しなければならないというのが私自身
の立場ということになるわけです。

 確かに今回のラインナップに新鮮さを感じなかったのも事実で、もっと異なる
角度からのプロレスへのアプローチがあり得るとも思えます。只、編集のKさん
はこの企画をず〜〜〜と抱いていたらしい。きっと企画を出しては、拒絶されて
いたのではないのかと想像すると、私自身の振る舞いと重ね合わせてみたくな
る。プロレス好きの人間が社会の中でこのような振る舞いをすることにただただ
共感してしまうのが私だけではないことを願うところです。

 プロレス哲学のパラダイムが重要なのではなく、プロレスを語ることと、自ら
の考えを語ることが入り組み、まさに自己組織化していくなら、どうにか哲学の
縁が見いだされるような気がする。プロレスが存在するという不思議。その思い
が共有されるならば・・・

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