第36回 閑話休題4
■投稿日時:2002年4月9日
■書き手:Drマサ

 最近コラムが滞っていましたが、これからは毎週?やりますので、ご期待いた
だきたいところです。ちなみに次回の宣伝をさせていただきますと、ジャンボ鶴
田の修士論文をテーマにします。で、今回は、観戦記ネットの趣旨に従って、
「GAEA2002.3.30 梅田ステラホール」感想文的観戦記です

 大阪に向かう新幹線の中、『死霊』なる形而上学小説を読んでいたオレは文学
が形而上学を志向することに驚愕を感じていた。博多にちょっとした所用で滞在
し、東京へと戻る途中であった。このような旅の中、電車に揺られながらのんび
りと読書を楽しむのは、オレの喜びのひとつである。そしてこのような旅の途中
において、もうひとつオレの喜びがある。それは、旅にかこつけ、途中下車して
プロレス観戦をすることである。もし博多から東京へ戻る“線路”上で興業がな
ければ、仕方ない。観戦は諦めるしかない。しかも旅に出かける前に、興業があ
るかどうかの確認をしないのがオレのスタイルである。朝、日刊スポーツの「今
日のプロレス」欄に目を通して、偶然“線路”上に興業があるのを確認した時、
偶然を装い足を運ぶのである。朝、日刊スポーツを読むと、当日大阪でGAEA
の興業があるのを確認する。大阪プロレスもあるのだが、北斗晶の引退を目前に
控え、地方興行での北斗の姿も見ておきたいとい、GAEAを躊躇無く選択した
のであった。ゆえに、それらの選択を偶然の産物として喜びながら、大阪に向か
ったのである。

 JR大阪駅を出て、400メートルもあろうかという地下通路を超えたところに
目的地はあった。近代的な高層ビルの3階にあるこぢんまりとして綺麗なステラ
ホールは、一昔前、無我が恵比寿で興業をしたとき使用したホールを思い出させ
てくれた。

 6時試合開始で5時半ごろついたオレは、リングサイド6500円のチケットを購入
した。3種類の金額設定でチケットが売られていたが、この時点でこの一番高い
設定の6500円のチケットしか残っていなっかたのである。実際小さい会場とはい
え、ほぼ超満員といっていい。観衆の少ない興業は薄ら寒いものである。そうい
った意味でいえば、プロレス興業の主役はある意味観衆、お客さんであり、興業
の成功の一端を担っているようにも思える。この興業では、ほぼ超満員。素直に
期待してしまう。

 最近はプロレス専門誌をあまり読まないオレは、GAEAの最近の動向という
ものを十分に知っているとは言えない。そんなことを考えている内に、場内は暗
転し、スクリーンにGAEAのプロモーションビデオがながされ、興業はスター
トした。

1st Match 山田敏代vs桜井亜矢
 クラッシュジュニアというコンセプトがもうひとつしっくりこないオレとして
は里村・加藤などが驚異の新人と呼ばれた状況と、とにもかくにも比較してしま
う。現時点で、桜井はドロップキックひとつで会場を湧かせられる身体能力があ
るとは言えない。又、得意技としているのど輪落としも上半身の細さからいって
ミスマッチな感じがしてしまう。ヘッドロックが素人のように見えてしまい、プ
ロとしての型を備えていないと感じる。また、そんなことより、同期のライバル
がいないのもよろしくない。試合は山田に引っ張られていくのは当然なのだろう
が、山田はこなしているだけという感じである。表情を作るのはいいが、「桜井
に合わせて作っています」的な単に作られた表情に見えてしまう。桜井の攻撃を
受ける。攻撃を受けたので、痛い表情をとにかく作る。「ほらどうした!」とい
う言葉さえ、そういう状況だからルーティーンワークとしていっているだけとい
う感じである。もっと、新人の可能性を引き出してやるという気概を持って望ん
で欲しい。フィニッシュはエルボーで山田の余裕の勝利。

2nd Match カルロス天野vs広田さくら
 特に感想はない。一応楽しませてもらったとしておく。よくわからない固め技
で3カウント。天野勝利。

3nd Match 長与千種vs植松寿絵
 試合をしている両者よりも、セコンドのデビル雅美の存在感が際だってしま
う。とにかくデビルの表情がすばらしい。喜怒哀楽の表現がデジタルに対応して
いて、その間が喪失しているのである。例えば喜と怒の間がないのである。その
ため、すべての表情が観衆にとって恐怖へと結合させられる感じがする。いわゆ
る歌舞伎の表現に近いものといったらいいだろうか。あるいは記号が立っている
とでもいったらいいだろうか。先の山田の表情が作りものとしてのウソ臭さを臭
わせるのとは異なり、また植松が一生懸命プロレスをするごくごく自然な表情と
も異なり、作られたものの完成形が持つ冷たい美を宿しているのである。ふと気
がつくと、攻撃を受けている中で、表情が埋没していた長与であったが、その表
情はデビル同様、作られたものの完成形としての表情を持っているのである。そ
れはデビルの恐怖への結合ともまた違う、意志の強さを表現しているかのように
感じられた。それにしても、どのような困難を通過すれば、この完成された表情
を持つに至るのであろうか。デビルと長与を再発見したと感じ、この存在感にこ
とばを与えられるだろうかと考えてしまう。。今後の課題。フィニッシュは懐か
しのビル・ロビンソンのワンハンド・バックブリーカーで長与の勝利。

4th Match ダイナマイト関西vs尾崎魔弓
 試合展開としては、関西が終始攻め続け、後一歩というところで尾崎にくるく
るっと丸め込まれてしまうというものであった。さすがにここら辺りに来ると、
どのような抗争劇がGAEAマットで繰り広げられているかおおよそ見当がつくよう
になった。まあ、それはいい。この2人の試合であるから、当然のことだが、そ
れなりのレベルに達しているのはいうまでもない。気になってしょうがないの
は、関西と尾崎の試合展開がスポットを重ねることに終始してしまうというか、
このスポットというか展開が終了したので、次はこれね!と申し合わせていると
いう感じを受けてしまうことである。もちろん、いくつも試合を重ねている中で
共有されたものでもあろうが。最近のプロレスを見る中でいつも思うことだが、
このスポットの積み重ね、ブック通り?の試合展開ばかりだということである。
そのため、ファミコン・プロレスと揶揄されるのではないだろうか。試合の中で
の”仕掛け”は、その試合の意味作用を増幅させる効果をもたらすはずだが、そ
れ自体が、ルーティーン・ワーク化してしまえば何の効果をもたらすというのだ
ろうか。あくまでプロレスラー同士の競い合いが底辺にあって、その自由度がも
たらす闘いようの中に、あれら”仕掛け”が埋め込まれることによって意味作用
の力学が作動するのではないだろうか。プロレスラーが自ら表現者としての主体
を獲得するためには、競い合いの精神と”仕掛け”をこなす職人魂の絶妙なバラ
ンスが必要であるはずだと思う。単にこなすだけと見られては失敗作である。ま
さに広い意味での”アングル病”である。勿論、この2人のレベルだからこそ、
このような感想が生み出されたのであるが・・・

Semi Final 山田敏代vsKAORU
 この試合もまた同様の感想を持った。プロレスに限らず、格闘技やスポーツ、
あるいはあらゆる状況でも同じことかもしれないが、顔見知りのものと繰り返し
コミュニケーションを取り続けると、進歩が止まってしまうのではないだろう
か。相手の足や手のちょっとした動きだけで、相手が何を仕掛けてくるのかわか
ってしまい、闘いの緊張感が生まれてこないということになってしまう。それが
当たり前となることを回避するために、プロレスには様々な仕掛けが必要なので
ある。よってアングルがプロレスに緊張感を生み出さないとしたら、そのアング
ルは失敗なのだ。

 プロレスでは寝食を共にすることも多く、そのエンターテイメントの性格か
ら、相手に対する闘争心を燃やし続けるのはなかなか難しいかもしれない。しか
し、山田とKAORUの闘い模様の中に、GAEAの抗争劇が仕掛けられること
によって、端にお仕事としてではなく、このリング空間に闘争心と緊張感を生み
出すことも可能なのではないか。本来アングルとはそういう機能を果たすときに
こそ、成功なのであり、プロレスのプロデュースとは何かということの分かれ目
ではないだろうか。至極卑近な言い方にすれば、KAORUには、KAORUに
しかできないヒール像を確立して欲しいということになるだろう。

 試合自体は、乱入が繰り返される中で、デビルの乱入による一撃でKAORU
の勝利であった。気になったのはヒール側のマネージャー・ポリスの振る舞いで
ある。山田とKAORUがリング上でなかなかの攻防を繰り返しているときに、
場外でいきなり鉄柵を蹴り上げ、観衆の集中力を削いでしまう。観衆を煽るのは
いいが、そこらへんの兄ちゃんが多少理不尽な振る舞いをしているというだけ
で、キャラクターが立っていない。記号が立っていない。勘弁して欲しい。

 特に腹が立ったのは、試合が終わってからポリスが制裁を受ける場面である。
プロレスラーの技を喰らってダウンしておきながら、控え室に帰るときは、完全
にダメージがなくなり、またもや素人っぽい理不尽な振る舞いである。これじ
ゃ、プロレスラーの技など効かないぜとでもいわんばかりである。失神するか、
フラフラになってみっともない姿をさらせよな。いや、全治3カ月にでもなっ
て、包帯ぐるぐる巻きで興業に付いて回ればいい。そういえば、初代タイガマス
クーが必殺のタイガースープレックスで勝ちどきを上げる横で、敗者ソラール
(だったかな?)がダメージありませんという風情でピンピンしていたのを激怒
したという逸話があるけれど、その気持ちが分かるような気がしたものだ。
 実はこの前の試合でも同じ場面があった。オレの想像だけれども、2度目は試
合途中、長与の指示で仕組まれた場面であったと思う。ポリスが観衆のヒートを
かっていたことからのアドリブではないかと想像するが、実はそのヒートのあり
方も、微妙なものであった。マネージャーの力量も問われるのである。

 レフリーのあり方にも文句を言いたいところだが、この辺でやめておこう。ち
なみにポリスとレフリーが耳打ちしているところがあったが、エンターテイメン
トの質を向上させるためにも、その様な場面を観衆に悟られないようにして欲し
い。なんせ延々、レフリーはポリスをチェックし、怒りを顕にしたり、あきれた
りしていたのだから。

Main Event 北斗晶/永島千佳世vs里村明衣子/アジャ・コング
 里村のタイトルに永島が望むという構図と、北斗の引退カウントダウンという
構図が交錯する中で、里村が永島の得意の”クルクル回りながら丸め込む”技を
封殺してデスバレーでピンをとった。
 ただこの試合で注目していたのは、あくまで北斗であった。北斗のプロレスに
は闘いがあるように思えていたのである。しかしこの日のの北斗は、プロレスを
楽しんでいるように思えた。そこに、北斗の引退が現実であるという思いを想起
させられた。しかも、なぜかそのことが心地いい感じがする。
 北斗の闘いには、プロレスというリング空間において可能な表現としてのギリ
ギリの美しさが宿っていたことがあったように思う。前田日明がいうように、プ
ロレスは楽をすればいくらでも楽になる世界でありながら、反対に過酷であろう
とすればいくらでも過酷になる世界のように思われる。これらの地層の中で、北
斗は過酷を戦慄的に表象していた。楽な世界とはヒューマニズムとか道徳といっ
た次元に回収されるが、その地点から見れば、過酷はマイナスの面でしか見られ
ないものかもしれない。東京ドームでのトーナメント優勝で引退するというあの
アングルは、北斗の過酷さを表し、その姿は哀しく惨めでさえあったように思え
たものだ。それは同時に、透明な人間の美しさ、強さをも合わせ持つものであっ
たと思う。その様なプロレスというジャンルのハイライトであったのだ。そし
て、この興業を観戦するオレは、この過酷から引退する北斗に、素直にご苦労様
といえるような心持ちとなったということであった。
 横浜での北斗の引退を見に行けないオレとしては、少々残念な気持ちを持ちな
がら梅田ステラホールを後にした。

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