第46回 「プロレス格闘技シンポジウム」観戦記(前半)
■投稿日時:2004年8月12日
■書き手:Drマサ


 「プロレス格闘技シンポジウム 4階401」とワープロした貼り紙を大学院のエントランスに張り付けたのは昼過ぎぐらいだったろうか。
 受付のバイトをしている大学院生(女性)が「何やるんですか?」と笑顔で尋ねてきた。隣にいた警備員が「プロレスやるの?」と、これまた笑顔で素っ頓狂な質問をしてきた。「さすが教室で、プロレスはやらないだろ」と思いながらも、ひと通りシンポジウムの説明をして、「外部の人間が来て、迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします」などと、型どおりの挨拶をしておくが、私も笑顔である。「カント読書会」とか「古典経済学研究会」などと名付けられるような真面目な「会」に教室の貸し出しをすることはあるとしても、大学院で「プロレス格闘技シンポジウム」というのはやはりミスマッチな感じがするものなのだろう。そのため、少しばかりハレの印象を与え、好奇心をくすぐったのかなと感じる。それがまた、「してやったり」という気持ちを僕に抱かせたりもした。


 ということで、大学院の中でも話題(?)の「プロレス格闘技シンポジウム〜2004年上半期を振り返る」が7月18日午後2時半から法政大学大学院401号教室にて開催され、約50名参加と盛況でした。とにかくスタッフの一員として感謝。
 シンポジウムがはじまる前、ブラブラしていると、『現代思想』(プロレス特集号)と小島貞二著『力道山以前の力道山たち 日本プロレス秘話』(1983年)を机の上においている参加者を発見。プロレス格闘技の歴史・文化論に関心のある人が参加しているのだろうかと想像し、そういう方面での議論ができるかな考えていた。しかし、そういう場面は、残念ながら訪れず、声をかけておくべきだった少しばかり反省している。
 ちなみに小島著はペリー来航時に艦隊に同乗していたレスラーやボクサーと相撲取りとの異種格闘技戦から力道山‐木村戦までの知られざる日本人格闘家達を紹介した名著である。何といっても世界各地で活躍した柔道家・前田光代が有名だが、小島著は彼のような人物を生み出す土壌が日本社会にあったのかと思わせるほど、多くの日本人格闘家(柔道と相撲が中心)がいろんな場面で活躍していることを教えてくれる。とにかく、当時の日本人格闘家の自負心や、肯定的な言葉でいうと好奇心が旺盛なのには興味深いところである。また、当時の人々の心性も伺えるようにも思えるもので、機会があれば読んで欲しいところだが、すでに絶版なので、あしからず。


 そして、午後2時半、今や「ネットで成功した人物」と話題騒然のメモ8さんが総合司会でシンポジウムはスタートである。そして、いきなり、グリフォンさんの高田総統パロディが炸裂。ここで場内爆笑。ちなみに、グリフォンさんはこのためだけに軍手を購入するなど仕込みをしていたのだが、反面、スベるんじゃないかと心配もしていた。事前にこのパロディをやることを知っていた僕も、内心スベる確率が高いような気がしていて、ひと安心といった感じでした。そして、前半戦に突入。


第1試合 Drマサ「基調講演」:「プロレス・格闘技を社会学的にみる経験とは?」  

 私自身の発表。演目予定は「再び論じる「プロレスを通じてみる社会学」。シュートでも八百長でもないプロレスって結局何なんだ?」であった。演目の表題を変えたのは、少しでも前回の話と違う角度にしようと考えたから。前回は芸術という視角からすれば、プロレスと格闘技の違いが霧散するような地点があると主張したのだが、今回も究極的には同じ話であって、哲学的な視角から社会学的視角に移行することで理解しやすい話を提供できるのではないかと考えていた。
 話の大筋は前回のシンポとその時の2次会での話題を踏まえて、つまり高山‐フライ戦を素材として、情報という概念がもつ多層性を考察し、スポーツ近代化論から引き出された近代という”眼鏡”を相対化する戦略について話をさせてもらった。私自身の発表に関しては、稿を改め別コラムとして発表しようと思うので、この位で。


第2試合 タカハシ&生首「30過ぎてからのプロレス観戦〜3WAYダンス進化論」  

 前回衝撃の映像を流したタカハシ&生首コンビ。過ちを犯してはならんと厳しい検閲を行う私。シンポジウム参加者の知らない舞台裏では、激しくも悩ましい闘いが繰り広げられていたのである(嘘)。

 念のために説明しておくと、3WAYダンスとはルールによってバリエーションはあるが、3人で試合を行い、フォールやギブアップを奪った者が勝利するという試合形式である。よって、フォールで試合決着がついたとして、試合をした3人はフォールを奪った者と奪われた者、あるいはフォールと直接関係ない者という3者3様となり、ルール上はフォールと関係ない者もまた敗者となってしまう。なかなか言葉でうまい整理はできないが、ひとつの試合形式の中で、シングル・マッチとタッグ・マッチが融合し、それゆえ、いわゆる乱入や共闘や裏切りというプロレスならではの要素がちりばめられているものとでもいえばいいだろうか。

 タカハシ&生首コンビの講演は、ビデオ映像を検証しつつ、3WAYダンスというプロレス固有の試合形式の発生と現在までのプロセスを追いかけて、この試合形式によって生み出される新しい状況や団体側の意図などを読み解くというものであった。上演された試合をタカハシさん協力の下、列挙しておくと、

 1 テリー対サブー対ダグラス(92・3年頃 ECW)
 2 RAWボウル=4コナータッグマッチ
    オーエン・ヨコヅナ・スモーキングガンズなど(94年頃 )
 3 オースティン対アンダーテイカー対ベイダー対ブレット(95・6年頃)
 4 HHH対オーエン対ゴールドダスト(96・7年頃)
 5 エッジ&クリスチャン対ダッドリーボーイズ対ハーディーボーイズ
    (レッスルマニア17 2001年)
 6 ジェリコ&クリス・ベノア対エッジ&クリスチャン対ダッドリーボーイズ
    対ハーディーボーイズ 
 7 ベノア対スコーピオ(約10年前)
 8 HHH対HBK対クリス・ベノア(レッスルマニア20 2004年)


の全8試合。約10年もの歴史を視野に入れたものである。
 では、タカハシ&生首コンビの講演を私見を入れつつ振り返ってみよう。1が3WAYダンスを生み出す元となった試合で、サブーとダグラスが試合を行い、15分後、チャンピオンのテリーがリングに入り、3人での試合へと変化するというもの。3人での試合形式ではチャンピオンの防衛は確率的に不利なので、挑戦者2人だけで最初に闘っておき、公平感を出したのではないかなどと思いながら映像をみていた。この試合へのファンの反応が良く、定番化していったとの説明。
 2・3の映像はは3WAYダンスではないが、通常のシングルマッチやタッグマッチと違う面白さを生み出しているという点で、3WAYダンス同様、既存のプロレスにはないアクセントが生じるとの指摘がなされていた。どのようなアクセントかというと、2ではタッグパートナー同士がルールの盲点から闘う状況が生じるというもの。この場合、タッグパートナー同士で試合の決着が付いた場合、勝者と敗者が同じという訳の分からない状況を生みだしてしまう。これは勝利を美化する価値観をずらしてしまうので面白い指摘であった。3はベビーフェイス同士、そしてヒール同士が闘うという思いも寄らない場面を生みだす。これもまた、既存の善悪の対立構造をずらしてしまう。これらはプロレスのエンターテイメント化の一面ではあるけれど、既存のあるいは標準化された価値規範を相対化しているという点で、文化論的な議論へとつながる現象と考えていいと思う。

 4に関しては、団体が3WAYダンスを提供する上での利点の模索期との分析。試合の中にどんなアクセントが生じるのかを、団体側は見極めていたということだろう。5では、おそらく、いわゆる王道プロレスの極点が三沢対小橋であるというのと同様に、3WAYダンスの試合内容が極点に至っていた時期で、試合内容の洗練という点で限界に至る。そこで、3WAYダンスに乱入というプロレスらしいスポットを組み込むことで、ニューカマーなど特定選手の売り出し作戦をはかり、その後のストーリーラインの展開へと結びつけるようになる。6では、基本的には5同様の意図による構成ではあるが、単に売り出しという次元から、3WAYダンス”達人”コンビに勝つことで、より高い次元でオーバーさせ、メインストーリーの主役の地位を浮動のものとする。実際にはジェリコもベノアもすでに主役級ではあるのだが、決定的なオーバーにつながるという指摘。

 7は10年ほど前の現世界ヘビー級チャンピオンのクリス・ベノアのお宝映像。たった30人程度の観客を前にした試合で、客の野次に切れたベノアがロープを広げて「やってやる」と手招きのシュート・シーンの紹介である。タカハシさんは3WAYダンスと関係ないこの映像を入れていた理由を「ただ見せたかっただけ」と冗談めかしていたが、本当にそれだけだろうか。

 8はある意味格上のHHHとHBKをベノアが倒して、世界チャンピオンになるという感動のフィナーレを迎えた今年のレッスルマニアでの試合。ここで、生首さんのコメントを引用させてもらおう。「ずっとトップだったHHH、HBKをクリス側の視点では2人まとめて倒し、HHH、HBKからの視点では1対1なら負けていないくらいのエクスキューズがつくというリターンマッチにするにも非常に便利なロジックが働くわけです」。3WAYダンスという試合形式がプロレス的な「言い訳の論理」を作りだし、次のストーリーを紬だすのに恰好であるというのは、なるほどという感じで説得的である。

 これらタカハシ&生首コンビの講演を要約しておこう。3WAYダンスはプロレスに新しいアクセントをつけ、と同時にそれらアクセント含む試合内容を進化させてきた。その後、団体が構築しようとするストーリーを浮かび上がらせるのに応用の利くスタイルとして定着し、プロレス業界最大イベントのメインをしめることさえ可能になったのである。

 それにしても、2人の読解能力、そして、それらを言葉で説明する能力には感嘆させられた。ちなみに、僕は密かにこのような能力を「プロレス・リテラシー」と名付けている。そこで、僕なりに2人の講演を評価しておくと、いわゆる既存のマスコミのプロレス論と異なり、具体的な映像とその状況を絡めた分析はプロレスの独自の批評行為となっているのではないか、あるいは少なくとも、その様な可能性があるのではないのかと感じさせられるものであった。プロレスというジャンル内のロジック、つまり「プロレス・リテラシー」は業界内で慣習的に継承させられ変容してきたと思われるし、プロレスファンが影響を受けてきたマスコミでは名人芸によって語られてきたといっていい。それらと比較して、2人の話は慣習的理解や名人芸とは異なる文法での理解につながっていたと考えられないだろうか。

 ところで、7と8の映像の間を読み解くと、そこには1プロレスラーであるクリス・ベノアの歴史が垣間みえるのではないだろうか。忘れ去られる小さな興業とレッスルマニア20というファンの記憶に一生残る舞台との違い。野次に切れプロレスラーのプライドを見せるベノアと業界最高の地位、つまり世界チャンピオンになるベノアとの間に流れてきた歴史。そこには常にハードワークをこなし、respectを勝ち取ってきた人間の物語が・・・。チャンピオン・ベルトを抱き、エディ・ゲレロと対峙し何ともいえない感動を共有しているベノアをみているとき、僕は不覚にも泣きそうになってしまった。タカハシさんは「ただ見せたかっただけ」といっていたけれども、この感動を共有する仕掛けとして、意図的に「7 ベノア対スコーピオ(約10年前)」の映像を入れたんじゃないのかなと思うんだけれど。どうなんでしょうか。とりあえず、そう勝手に解釈しておきます。


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