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「某っちのVT群雄伝」第五回
第一部 悪ガキと先駆者(ティトとライオンズ・デン抗争史)パート5 |
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■投稿日時:2002年11月22日 ■書き手:某っち (ex:「格闘潮吹きマン○固め!!」) |
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第一部 悪ガキと先駆者(ティトとライオンズ・デン抗争史) 第七章 オクタゴンの英雄 UFC19メイン終了後の、ティトとケン・シャムロックによる殴り合い寸前の乱闘劇は最初に述べた通りである。 両者ともエキサイトし、やる気まんまんだったのだが、何故、その対決の実現が、現在、2002年の年末まで持ち越しになってしまったのだろうか? 一つには、当時のケン・シャムロックはヘビー級、ティトと階級が違った事もあるだろう。 初期UFCの時代とは違い、このUFC19の頃は既に階級制が確立されていて、違う階級同士の対戦はほとんど無かった。 しかし、それ以上にもっと大きな問題があったのだ。 それは、ケン・シャムロックが常に仲間を思う友情溢れる男であり、そしてとことん保身を捨てる真の勇者であったからに他ならない。 思えば、UFC1。当時パンクラスの外国人エースだったケンが、もし保身を考えていたなら、 「あんなのはただの喧嘩大会。出る必要は無い」 と逃げ口上でファンを騙し、避ける事も出来たはずだ。 しかしケンは、未だ誰も踏み込んだ事が無かったオクタゴンに、勇敢にも足を踏み入れた。 UFCの成功は、当然、グレイシーの力がもっとも大きかったと思うが、このケン・シャムロックが参戦した事も重要な要素をもっていると思う。 ケン・シャムロックが保身を捨てたからこそ、現在、我々が総合格闘技を楽しむ事が出来るのだ。とも言えるだろう。 そして、ケンの仲間への思いやり。実際、ティトと揉める事となった根本的な要因は、ティトが吐き捨てたメッツアーへの暴言なのである。 弟子の為に本気になって怒り、行動を起こす。これがケン・ウェイン・シャムロックである。 タンクとの因縁にしても、自分のみならず、ボーランダーら弟子達への暴言が許せなかった訳であり、 近年では、プライドのリングで愛弟子であるメッツアーが桜庭と戦った時、メッツアーの為に必死で抗議した勇姿は日本のファンの目にも焼き付いている事だろう。 この試合は、インフルエンザでうなされていたメッツアーに桜庭戦をごり押ししてきたDSEに対し、メッツアーが1R以上戦える状態では無いので、判定の場合は必ずどちらかに勝敗をつけるマストシステムで行う契約で実現したカードであった。 そして試合は、メッツアーが桜庭のテイクダウンを全て凌ぎ、打撃で追い込んで圧倒的有利に展開した。判定ならメッツアーの勝ちだ、桜庭の勝ちはまず無い。 しかし、ここで桜庭に負けられると困るDSEは、約束を反故にしてドローを言い渡した。流石に、試合内容的に桜庭勝利は酷すぎるのでそこまで出来なかったのと、インフルエンザでスタミナが無くなるだろう、との計算であろう。 だが、約束を反故にされたケン・シャムロックは烈火のごとく怒り狂い、必死の抗議を行ったのだ! 結果、どうしても桜庭に負けられると困るDSEは抗議を無視。怒り心頭のケンはメッツアーと共に誇り高き試合放棄を選択した。 ここで重要なのは、実はこの時点で、ケン自身のプライドでのVT復帰が決定していた事だ。 約束を破ったのは主催者DSE。だが自分の契約主でもある。 もし、保身を考える日和見な男ならば、これでDSEに嫌われて契約の破棄や厳しい制裁マッチメイクになるかもしれないと考え、抗議などしなかったかもしれない。 しかし、ケンは自分よりも弟子のメッツアーを大事にしたのだ! 劣化のごとく怒り狂い、必死で抗議した! 事情のわからぬ観客のブーイングにあっても、たっだ一人でメッツアーを守った真の勇者、それがケン・シャムロックである。 尚、ケンの主張の方が正しかった事は、その後DSEがライオンズ・デンに謝罪した事実で証明されていよう。 そして、1999年にケンがティトと戦えなかった最大の理由。 それはケンの当時の立場が、プロレス団体WWF(現WWE)の所属選手だったから、契約上ジャンルが違えど、UFC、オクタゴンに上がる事が出来なかったから、である。 何故、オクタゴンの英雄、ケン・シャムロックがプロレス団体に所属していたのだろうか? これこそ保身を捨てた男の選択であった。 「私がWWFへ行くことを決意した理由は、オクタゴンの中で闘ってるだけでは、家族を養うのに充分なファイトマネーを得る事が出来なかったからだ。しかし私は必ずオクタゴンに帰ってくる。絶対にね」 単に言葉だけを見れば金の為である。 日本では金の為に動くのは悪い事の様に考えられているが、実際はその金を何に使う為かと言う事で正義になったり、悪になったりするべきであろう。 総合格闘技は現在でも世界に広まって10年も経っていない。いまだ海のものとも山のものとも言えず、収入も不安定だ。 しかし、それでもケンほどになれば、家族が生活していく程度のギャラはあった。だが、ケンの言う家族とは額面通りの意味だけでは無かったのである。 ライオンズ・デン。そう、彼にはもう一つの家族があったのだ。 ケン本人はビックネームだとしても、ライオンズ・デン全員がファイトマネーで食っていける様な状況では無い。 ブラジルの様に柔術チームにスポンサーが付く様な状況は、まだアメリカには無かった創生期である。インストラクターとして一般人相手にジムをやっている訳でもない。 誰かが資金を提供しなければチームを存続させていく事は難しい。ケンは自分がプロレスをやる事によって、VTに命を賭ける若き獅子たちをバックアップしていったのだ。 ケンはWWFの過酷なロードの中でも、自分の弟子達の試合ではセコンドに付き、そしてライオンズ・デンの道場にオクタゴンを作った。 だが、ケンの中の競技者としての炎は、まだ消えた訳では無かった。 最終章 そして決戦へ 一方、メッツアーを破ったティトは、経験不足というウィークポイントをつかれ、フランク・シャムロックに敗北を喫する。 だが、その後は快進撃が続いた。 まずは、現プライドミドル級王者のヴァンダレイ・シウバ相手に、フランクの返上したUFCミドル級(現在のライトヘビー級)王者決定戦において、危なげなく5R判定で勝利する。 シウバは強敵だったので、戦法があまりに手堅くなりすぎた、これは反省してる。次からはもっと観客を沸かせる試合をしてやる! 次の近藤戦では、劇的なネックロックで秒殺勝利を飾った。 この試合には裏話がある。この試合の前日、某ジムで調整していたティトはスパーでネックロックを極めてこう言った。 「明日の試合はこの技で極めるぜ!」 近藤も試合後、今まで闘った選手でもっとも強かったのはティト、ケタが違った。と語っている。 年が明けてUFCは新体制になり、最初の試合。 相手はこの試合の前に、リングスでも活躍したクリストファー・ヘイズマンを叩きのめした強豪エヴァン・タナー。 激戦が予想されたが、試合はわずか30秒、投擲で劇的なKO勝ちした。 ジェレミー・ホーンを下して挑戦してきたエルビス・シノシック相手にも、グランドでたこ殴りにしてTKO。 また秒殺だ。 そして、あの忌まわしいテロ直後には、UFCが遂にラスベガス進出。 ティトはメインの重責。相手は華が無い為知名度こそ低いが、実力はトップ中のトップ、ウラジミール・マティシェンコ。 先日、日本の高阪を倒したホジェリオ・ノゲイラ(アントニオ・ノゲイラの双子の弟)、そのノゲイラを一方的に下したのがこのマティシェンコである。 五輪レスリングでも上位入賞しているこのレスリングの強豪相手に、ティトは一度もテイクダウンを奪われる事無く、全てテイクダウンを奪い完勝している。 ティトは自然とこんな風に言われる様になった・・・・ 中量級最強・・・・・・・ だが、そんなティトに忘れていたあの相手が対戦の名乗りを上げたのだ。 ケン・ウェイン・シャムロック! 「ティトはチンピラだ! 俺がVTを引退するにはやり残した事がある、それはティトをぶっ飛ばしてやる事だ!」 「ケンは過去の名声だけだ、過去の名声もろともぶっ潰す。今あるものをぶっ潰して新しい世界を作る。それが俺の使命だ!」 長い因縁を経て、遂に相対する両雄。 さあ、決戦の時がやってきた! (第一部・完) |
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