「週刊タカーシ(仮題)」第七回 <星に願いを>
■投稿日時:2002年5月28日
■書き手:タカハシ(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

このところ何人もの超一流レスラーが次々と鬼籍入りしている。ルー・テーズ、ワフー・マクダニエル、ジョージ・ゴーディエンコ、そしてデイビーボーイ・スミスだ。この中で試合をナマで見た事があるのはテーズとスミスだけで、特にゴーディエンコなどは流智美氏の文章の上でしか接する事のない選手だった。
プロレスファンとして超一流の選手に対して語る言葉を持っていないのは寂しい事だが、せめて同時代を生きた選手にはいくばくかの思い出を書き残す事で追悼としたい。

ルー・テーズに関してはナマで試合を見たと言ってもエキシビジョンで、全日本のマットで越中相手に・・・と言えばどれだけ昔かはわかるだろう。もう20年くらい前の話になる。試合については今や「ルー・テーズ・プレス」として知られるフライング・ボディー・シザース・ドロップが出て、フィニッシュがバックドロップだった事だけは覚えている。
テーズの死亡記事を読み驚いたのは初来日時点で既に45才だった事。今45才と言えばNOAH以外では引退の声が聞こえてくるような年齢だ。それだけ節制された肉体で衰えぬカリスマ性を発揮していたという事なのだろう。
梶原一騎もことテーズに関してだけは最大限の敬意を払って、テーズ本人やテーズをモデルにした選手を出して来たように思う。「英雄失格」ではミスター・ネッシーが真のチャンピオンたり得るかを試すためにマスクを被って自ら対戦相手に名乗りを上げ、「男の星座」では日本のプロレス界の未来のために力動山をキャリーする役どころを演じた事をドラマッチックに描くなど挙げて行ったらキリがない。
もっとも「人間兇器」ではモデルとしてではあったが大学教授の顔に原始人の肉体を併せ持つ世界王者とされながらも、トイレで大山総裁をモデルにした空手家にKOされていたが。

晩年はUインターの立ち合い人役として威厳を示す一方、セッド・ジニアスが執拗に絡む事で「鉄人と書いて金を失う人」などと揶揄される一面も知らされてしまった。あれだけ敬意を持って大切にしてくれたUインターへも、お金が払えなくなればサッサとベルトを持ち帰るなど、プロである以上仕方のない事とは言えちょっとシビアに過ぎる印象も持ってしまった事は否めない。
しかしながら自分は黄金期の片鱗すら見る事ができなかったファンであるので、テーズに関してはこのくらいにして、今はただ安らかに眠ってもらう事を祈るのみとしよう。
それにしても日本テレビでテーズの追悼番組が深夜ながら放送された事には驚いた。それだけの価値がある存在である事を改めて知らされた気分だ。

デイビーボーイ・スミスの死は彼の日本デビュー戦から見ている事や、年齢も5つと違わない事などから上記の選手たちとはまた違った感慨がある。死因についてはまだ良くわからないが、あの肉体を作り上げ、維持するために使われたであろうステロイドが無関係という事はないはずだ。
だがこれはステロイドの是非を問うためのものではないので、そんなネガティヴな事柄の全てに目をつぶってでも今はスミスに関する思い出を書き残しておきたい。

日本デビュー戦は83年の11月の蔵前国技館で、タイガーマスク引退後の後ガマとして呼ばれたザ・コブラの対戦相手としてマスクマン「ザ・バンピート」としての登場。試合開始前だか開始早々だかにコブラを場外にリフトアップ・スラムするやいなやマスクを脱いで素顔でアピールしていたが、仕草が何気にキッドに似ていた事から会場中が大キッド・コールに包まれたのを思い出す。この覆面を脱ぐというのが決まっていた事なのか、ハプニングなのかは判らないが結果的にはこれは大正解であった。しかし試合は対戦相手がジョージ高野だけにとんでもないデキで、本来タイガーマスクの後継者として売り出さなくてはいけないのに、TVでも「GO!GO!コブラ!」とかスーパーでごまかした編集バリバリのものを放送していた。
ちなみにこの日は近々スマックガールでもやりそうな(やらんやらん)綱引きで対戦相手を決める新日正規軍対維新軍の4対4が行われた。前田対長州の一度だけのシングル対決がこの時行われたという実に意義深い興行だったのだ。
次の来日は翌年行われたWWFジュニア王座決定リーグ戦で、ステロイドでこれ以上ないくらいパンプ・アップしたダイナマイト・キッドと一緒の参加であった。数年後に「ブリティッシュ・ブルドッグス」を名乗るキッド&スミスの日本での初対戦の相手は小林&寺西だったが、そのパワーの凄まじさには本当に圧倒されたな。
もちろんキッドの「全身これ鋭利な刃物」と古舘アナに評された肉体美が筋肉増強剤によるものとは思いもせず、「人間はここまで鍛えられるものなのか・・・」と感嘆していたのだが。
リーグ戦は結局コブラとスミスとキッドによる巴戦での決勝を勝ち抜き、キッドがWWFジュニア王座を獲得したわけだが、このリーグ戦によりスミスは日本での成功を早くも約束された事になった。
それがカタチとして現れたのはこのリーグ戦が始まって早々のことで、本来当時夢のカードであったキッド対ブラック・タイガーのリーグ戦がキッド&スミス対コブラ&ブラックに変更されたのだ(TVマッチだった)。
ちなみに最大のスポットはブラックがスミスをコーナーに振ったところに合わせてのコブラのミサイル・キックかな。試合自体はちょっと乱雑過ぎてイマイチな内容だったけれど。
このシリーズは藤原がテロリストとして注目を浴びたシリーズでもあり、その札幌大会でキッドとスミスの日本初対決が行われたのだが、その時の生放送ではいきなり藤原に襲われる長州の映像(本当はよく見えなかったが)からのスタートで、長州と藤波のWWFインター戦がジュニアの試合の前に組み込まれていたという、当時の自分には非常に不思議な試合順であった。もちろんこの2人だけにそれを払拭するかのような激しい試合だった事だけは覚えているが、それでも特に記憶に残るスポットはないなぁ。
ところでキッド自伝の「ピュア・ダイナマイト」ではこの年の8月には既に新日を離脱していたかのような書き方がされていたが、実際に参加した8月のシリーズは特に印象にないものであったのかというとさにあらず、レスリング・オブザーバー紙の年間ベスト・マヌーバー(技)部門で1位に輝いたスポットがあった。それはTVマッチながら地方の6人タッグで、猪木、藤波、コブラ組対デビット・シュルツ、キッド、スミス組・・・どうでもいいがシュルツ組は呪われているかのようなチーム構成だな・・・という組み合わせ。
問題のシーンはキーロックに来るコブラをスミスがリフトアップするというお馴染みのスポットから始まった。そこを何を思ったかキッドがミサイルキックをコブラに食らわせるという驚愕の場面で、さすがにコレには驚いた。
スミスの腕もそれなりにダメージはあったとは思うが、それでもポージングを見せて観客にアピールしていった。
その次の来日は全日本で、本来参加するはずだったMSGタッグではなく、そのまま最強タッグに参戦というハチャメチャな行動はらしいと言えばらしいのだが、MSGタッグの目玉が丸っきりなくなってしまい、興味が半減どころではなかったのは覚えている。
ジュニアのチームがヘビー級揃いのリーグ戦に参加という、当時としてはかなりの思い切ったアイディアは坂口の発案だったそうだが、転出が決まった夜はヤケ酒で荒れ狂ったらしい。馬場に対しても「人間不信」とは思わなかったのだろうか。
ちなみに当時旧UWFに思い入れが深くなりつつあった自分は、イマイチ人気の盛り上がらない三沢タイガーのために引っ張ってきたんだろう、と高校生なりに考えていたものだ。

さて最強タッグ初参加となったキッド&スミス組だが契約上の問題かTVには開幕戦の入場式でチラッと映ったくらいで、結局試合は全く放映されなかった。この時の参加チームは鶴田&天龍、レイス&ニック、ファンクス、馬場&木村、そしてブローディ&ハンセンとどれも興味深い顔合わせばかり。特にハンセン組との試合などは映像が見られるのなら100万出しても惜しくない!・・・という気持ちだけは今でも持っている。

ここからしばらくは自分自身が益々旧UWFにのめり込んだ事や、スミスたちがWWFに転出した事などもあり特にこれといった印象的なシーンはない。翌年(85年)の最強タッグに参加したものの、ブローディの新日本転出によりハンセン&デビアス組(ハンセンが珍しくフロント・スープレックスを見せていた)との対戦になってしまったのが残念だったくらいかな。この機会にビデオを見直してみたが、WWF所属のまま参戦しているようだった。
そして1989年に全日本に復帰した時に見せた名勝負がマレンコ兄弟やハンセン&ゴーディ組との対戦で、キッドの肉体的衰えからくるリーダーシップの交替を予感させてはいたが、結局キッドの影を越える事はできずにシングルプレイヤーとしての地位を確立できる事もなく、WCWに移籍した後はUインター登場の噂(契約が成立せず高田対田村に変更)の後、全日本に復帰、参加したチャンピオン・カーニバルでは当時売出し中のパトリオットにジョブと、ここら辺りで日本マットから完全にフェードアウトしてしまう。
WWFやWCWではそれなりに活躍し、ブレットたちとのハート・ファウンデーションで活躍(初代ヨーロピアン王座獲得)するも、ダブルクロス事件でブレットがWCWに転出すると一気に表舞台からは消えてしまう事となる(WCWに一緒に行ったような気もするが全く印象にない)。
結局WWFに戻ってもロックやエディーにコケにされるような役割しか回ってこず、最後はやはりなんとなくフェードアウトしていった。
こうして振り返ってみると、自分にとってのスミスはあくまでキッドのパートナー、もしくは好敵手というイメージでのみ存在していたようだ。スミスのファンには失礼な話だが、キッドと別れた後のスミスからは結局何一つあの頃のイメージを越えるものを感じる事はできなかった。

ところでスミスもやはりキッドのイタズラに関する遺伝子をしっかり受け継いでいるようで、数年前(ちょうどアルシオンの門選手が亡くなられた頃)スミスが車椅子での生活を余儀なくされるようになった、というニュースが広まった事もある。これはレスリング・オブザーバー紙でもトップ記事扱いとなったが、実はスミスとその周辺が故意に流したデマで、今回ももしかして・・・と勝手に期待していたのだがやはりそうは行かなかったようだ。

最後に・・・明日になれば全く変わっているような気もするのだが、スミスのベストマッチを個人的に選んでみよう。
5位はウェンブリー・アリーナで行われたショーン・マイケルズとのヨーロピアン・タイトル戦。本来地元という事もありスミスが勝つ予定だったそうだが、ショーンが涙を流してジョブを拒否し、ブレット一派との遺恨を残したとされているとかいないとか。試合はまぁまぁだがスミスはシングル・プレイヤーとしてはさっぱりだったので、少しでも良かったら入れておくか、といったところ。
4位は対キッド戦を選びたかったのだが、どれを選ぶかは悩んだ末、三つ巴戦での試合を選択。先にコブラとの試合を済ませていたスミスがこれから登場するキッドに、片手プッシュアップ等で余力をアピールしたりと試合前から気合が入りまくりで、見てるこっちも力が入ったものだ。
この試合はリングアウト決着だったが、今まで、そしてその後も見た事がないほど激しくコーナーポストに突っ込んでいったりと、まさに死力を尽くしたという一戦であった。
3位はキッドと組んでのマレンコ兄弟との対戦。ぶっちゃけた話マレンコ兄弟のタッグでの試合は大した事ないものばかりだが、この試合だけはズバ抜けて素晴らしかった。ちなみにECWではタズ&サブゥーとも対戦していて、もちろんそのビデオも私は持っているのだが(自慢自慢)、とにかくジョーがプロレスできないから蚊帳の外置いておくしかないもので、これまた大した試合じゃぁないです。
2位は初代WWFヨーロピアン王座決定戦でのオーエンとの試合。ヨーロッパという事からかジョニー・スミスが時折見せるヘンテコな関節技を見せるなど、見所も多かったが新日本ジュニアの試合をそのままドイツで見せていたというのがポイントかな。これは面白かった。
次点はHHHのWWF王座に挑戦した試合とUSA対カナダの10人タッグ。HHHとの試合は特別レフェリーのロックに2人とも翻弄されまくるコメディーのような試合。なんとか防衛したHHHが控え室に戻ると待っていたのはチャイナではなく、何故かオースティンというオチまでついているのだ。
USA対カナダは別にスミスに目立ったシーンはなかったと思うが、見所の多い好試合ではあったので。
1位はキッドと組んでのハンセン、ゴーディ組との対戦。この試合で一番印象に残っているのは試合序盤のキッドがタックルの連発でゴーディを倒したところだが、スミスがゴーディをリフトアップ・スラムをしたシーンも圧巻だった。体がボロボロになったキッドとのリーダーシップの交替が、ハッキリ見て取れてしまった試合でもあった。

こうして昔の試合を挙げてみると改めてスミスはキッドあっての存在だったのだと思う。キッドの自伝は主にイタズラとスミスへの恨みつらみが中心となっているが、それもやむを得ないのかなぁとも思えてくる。
とは言え記憶に残る試合をいくつもいくつも見せてくれた事には変わらない。

さようならブリティッシュ・ブルドッグ。ありがとうデイビーボーイ・スミス。


<追記>
これは書こうかどうか迷ったが、やはり知らん顔するわけにもいかないと思うのでここで書いておこう。
先日自殺された元FMW社長の荒井さんについてだが、正直に言えば殆どFMWにも荒井社長自身にも思い入れがないため、追悼スレッドにすらレスを付けるのも避けてきた。
死に関してとその人の肉親に関しては茶化さないというのが自分の中での最低限のラインなので、イイコちゃんな言葉でしか書く事はできないがもう少しだけ付き合ってもらいたい。
常々移籍騒動や団体崩壊に際しては「選手には救いの手が伸びる事があっても、フロントの人はいつも切り捨てられるだけ」と言われているが、それが最悪のカタチで現れてしまったと言える。
ぶっちゃけた話、団体崩壊後にそれがきっかけで躍進したと言えるフロントマンは、旧UWFから新日本の取締役となった上井営業部長くらいなものじゃないかと思う。

荒井さんが自殺する場所に選んだのは公園だそうだが、「自殺のコスト」という本によると遺族や周辺の人に金銭的な迷惑の最もかからない死に方が実は「公園の木を使っての首吊り」なのだそうだ。最後まで周囲の人たちへの気配りを忘れなかったという事実は、荒井さんの性格を端的に現しているかのようで益々切なくなる。
FMWには殆ど金を落とさなかった自分に言う資格があるのかどうかは判らないが、安らかにお眠り下さいと一言贈らせてもらいこの項を終える事としたい。

<先週見た興行>

先週は23日に久々の01後楽園。今"後楽園で"見たい団体のトップ3は順不同で闘龍門、全日本とこの01なのだが、共通点としてはお客さんの異常なまでのノリの良さが挙げられると思う。試合のレベルを比較すれば今並べた順であるけれど、出された試合をお客さんがオイシク味わっているという意味では順番が逆になるかも。というか試合はド低調だったのにお客さんに自分の方が救われた感じだ。あ、だから「お客様は神様」なのか?
あと、巨乳番長・小池栄子を間近も間近で見た。しか〜し!顔は確かに小池栄子だったが胸が小池栄子ではなかった。撮影時にのみ注入するシステムなのか、本来垂れているモノをワイヤーで吊り上げているのか・・・。思わず顔と乳を視線が2往復してしまいました。
25日はディファに行ってK−DOJO観戦。予想を遥かに越えた面白さに第2試合が始まる直前には、もう次回行く気になっていた。ディファなのに花火等の特殊効果を使ったり、入場時にはそれぞれの映像を流したりと、これからの各団体のスタンダードになりそうな演出も多く(闘龍門がもっと早くやるべきでは?)、先物買いのタイプの人はYOチェキラッチョ!(古い)。
試合は割と新日本テイストでちょっと意外。「10分、15分の試合ができないなら5分の試合を見せよう」という事なのか、試合時間がそれぞれ5分前後で終わるのも良かった。01でのクソ長いUPW対NWAを見た直後というのもあるかな。
今回TAKAが大ケガしたみたいだが、案外これが団体にはいい方向に作用する気がする。
MIYAWAKIをオーバーさせようとしているようだがコレはちょっと無理そうなので、ここはオーソドックスにHi69押しで行って欲しい。今回はフィニッシュがファック・アップしていて、ちょっとキツかったけど。
とりあえず十島(だったかな)とPSCYCHOは買い。今週土曜のK−DOJOハウス・ショーも行きたくなってきた。もうスマックガールなんて見てる場合じゃないな。





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