「メモ8の総合格闘技・言いたい放題」〜第5回 宇野の巻
■投稿日時:2002年2月17日
■書き手:メモ8(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

 リングスの最終興行が終わった。

 というわけで、この連載も、第1次の最終回に向けて、色々考えてはいるのだが、当初より構想のメインテーマがなかなか練れず進まず、ほとんど中断みたいなことになってしまっているので、今回はちょっと毛色を変えて、この最終興行で行われたTKvs宇野のエキシビジョンを題材に、宇野の巻でいく。ずっと団体名を、タイトルにしてきたわけだが、あえて、宇野。宇野くん萌え〜。


 KOK以降のリングスを田村、TKと共にしょって立ち、田村離脱以降は、エースとしてリングスを支えた、金原のリングスラストファイトは、極度に眠気を誘う、面白くないファイトであった。

 その緊張感のなさは、TKvs宇野のエキシビジョン以下。

 全シュートに移行して、観客を減らし続けて、最終興行において、すっかり消耗しきったエースが、エキシよりツマラナイ試合をして、そしておしまい。

 やはり、リングスは、ここで終わって正解なのだ。

 勿論、最後の最後にきて、ロシアにエメリヤーエンコ・ヒョードル、日本に横井という怪物を生み出しただけでも、総合格闘技において、リングスという場の意味はあったということなのかもしれない。が、田村の離脱に加えて、金原のここまでの消耗(としか見えない)は、シュート興行におけるエース制の無理を如実に語っていると言っていいのではないか。

 そんな、リングス最終興行において、おれの心に1番に響いたのは、実はプロパーの選手達ではなく、宇野だった。

 今回のエキシが、いったいどういう試合であったのかを、色々考えてみたいと思う。

 さて、ちょっと唐突だが、UWFはいつから、格闘技になったのか? 勿論、ここでの「格闘技」とは、試合の結果を最初から決めていないという意味で使っている。つまり、シュート/ワーク。ちなみに、今回は、業界用語をガンガン使うので、その辺がよくわからない人は(あまりおれの文章なんて読みたがらないだろうけど)、田中正志の2冊目の著作にある用語集を、ここにアップしてあるので、参考にしてください。

 シンプルに回答を書いてしまえば、旧UWF、新生UWFには、いくつかの実験的な試合はあったのかもしれんが、ハッキリ、シュートと言えるのは、Uコスモスの安生vsチャンプアが最初らしい。なので、基本的にはワーク。

 3派に分かれてからは、藤原組は一部の例外を除いてワーク(だと思うが、よく知らない)で、パンクラスは、旗揚げ時点からは一応全部シュート。リングスは基本的に全ワークから開始し、実験リーグあたりから混ぜ始めて、全シュートになったのはKOKから。Uインターは一部の例外を除いて基本的にワーク。キングダムは、これまたほとんど見てないので知らないがブレンドだったらしい。

 今から見ると、パンクラスの初期には「結果を決めてないだけ」で、これってシュートと言えるのかねと、アタマの中が疑問で一杯になってしまうような試合が結構あるし、ブレンド期のリングスの試合にも、よくわからないファイトが一杯ある。ポジションの概念がキッチリしてない頃のファイトは、今見ると、実に分り難い。

 田中正志の著作・トークライブや、ミスター高橋本のお陰で、プロレスの試合は、どう作られていくのかというのは、おれのような一般ファンにも、かなり知るところとなってきた。まあ、現時点での自分がホントに一般ファンなのかと言われると、あまり自信ないけど。関係者とかなり知り合いになってしまったし。

 おれが知る限りでは、一般的に、エンタメ路線を標榜している団体の方が、試合自体のリハを入念にやるらしい。闘龍門あたりになると、大箱になれば、試合も含めた興行全体のリハに数日かけるらしい。FMWはエンタメ路線の癖して、あんまりリハをやらないからダメなんだ、というような関係者の話も聞いたことがある。そりゃそうだろうな。

 10年以上前、おれがまだ、プロレス・格闘技について、深く考えてない頃。何故そうであったのかは、色んなところに書いたけど、簡単に書いておけば、プロレスや格闘技観戦は、自分の人生に引き寄せたくない唯一の趣味であったから、作る側の視点に立ちたくない唯一の娯楽であったから、ぼーっと見ていたかったということ。ぼーっと見てかーっと熱くなってスッキリしたかったのだ。

 その頃、漠然と考えていたこと。「決めないでも出来るんだろうな」。

 勿論、そういう部分はホントにあるとは思う。武藤と天龍がやって、最初から最後までハイスポットを全部決めているとは思えない。決めてある部分はキッチリと、それ以外の部分は臨機応変に出来るからこそ、優れたプロレスラーなんだと思う。

 が、田中正志の薫陶を受け、深くプロレス・格闘技について考えるようになった現在においては、例えば、今年の1月4日の永田vs秋山戦で、永田の新日の象徴である延髄をスカした秋山が、ノアの象徴であるエメラルドフロウジョンを決めれば、ああよく出来たスポットだなあと理解出来るようになった。

 つまりは思った以上に、プロレスは決められているということ。

 そして、一般のファンが、こういう観点からプロレスを批評する時代が、もうすぐそこまで来ていると思う。

 で、UWFはどうだったのだろう。多くの部分を決めた上で行うのが純プロレスであるとするならば、そこにスパーリング的な自由度を増やしていこうというのが、初期UWFの方針であったのは間違いないと思う。旧UWFが、格闘路線になった頃のインタビューで、前田は「道場でやっていることが、そのまま反映するような試合にしたい」というのがある。まだ総合格闘技なんて言葉もない、懐かしい時代の話…。

 例えば、新生UWFの試合、今見ると、おれにはさっぱり面白くないのだが、今見ても、間違いなく面白い試合もいくつかあって。それは、格が拮抗している試合ではなく、前田vs宮戸とか、前田vsみのるとかの、チャレンジマッチみたいな試合。1回しかない前田vsみのるは、おれが新生UWFで1番好きな試合だが、あの試合、ケツ以外は何も決めてないのではないか。それどころか「極められるもんなら、極めてもええで」くらいのことを前田は言っていたのではないか。勿論、願望込みだが。

 で、何で長々とこんなことを書いているのかといえば、宇野は、あっさり出来てしまったんだよね。エキシとは言え。しかも昔のUWFのままではなく、ポジションの概念までキッチリ視野にいれた、素晴らしい試合を。後楽園ホールで行われ、終了後にはリングスコールを惹き起こした田村vsヤマヨシの3回目(おれはこのファイトあまり好きじゃないけど)や、前田が絶賛した、田村vsTK(こっちは好き)みたいな感触で。しかも、TKが一方的にキャリーしたという感じでもなく。

 勿論、同じTKのファイトでも、2度のアイブル戦や、KOK以降のノゲイラやクートゥアー戦みたいな、ヒリヒリする緊張があったのかと言えば、そうではない。エキシという前提があるからこそ、それにしては緊張があると感じたのかもしれない。だからと言って、おれは好きじゃないにしろ、前述の田村vsヤマヨシ戦が、リングスのワークファイトの到達点であることは認めざるを得ないように、素晴らしい出来であったことだけは間違いない。

 しかしだ。宇野があっさり出来てしまったということは…。

 「選ばれた者の恍惚と不安、ふたつ我にあり」とは、前田が、新生UWFの旗揚げに引いた名言だが、UWF素人の宇野が、あっさり出来てしまうようなファイトなら、UWFはなんて、ちっとも選ばれし者じゃないだろ、みたいな声が聞こえてきそうなんだよな。

 先日のパンクラスでも、エキシ系の試合が2つあった。ひとつは、鈴木みのるvsキー坊(この漫画よく知らん)。ひとつは、元極真・岩崎vs菊田。

 前者のキー坊の中味は、今回のテーマである宇野薫であると断定していいようなのだが、この、みのるとの試合、いくつかのハイスポットをキッチリ決めてあるように見えた。みのるのマスク剥ぎ(未遂)はアドリブだろうが、明らかに最初から決めてあるように見えるムーブがあったし、みのるがキャリーしている風にも見えたのだが、そのこととは関係なく、やはり面白かった。

 後者の岩崎vs菊田は、一方的に菊田がキャリーする試合。タックルは岩崎が切れるように遠慮気味に入ったりしてたが、ポジション取りまでは、かなりシュートに突っ込み、最後の最後で極めの瞬間のみ緩めるという感じ。岩崎の打撃は明らかに寸止めで、当てちゃいけないというのがあるからか、やたら遠慮気味。だから、結局菊田のウマさばかりが目立って、ちっとも岩崎のよさが出なかった。おれ個人は、菊田のプロレスが見れたので、いたく満足したが、そもそもの狙いである岩崎をお披露目を、台無しにしてしまったとも言えるわけで。さすがフォースの暗黒面に落ちている菊田、自分が目立ちたかったんだな。

 岩崎ではさっぱりダメだが、宇野なら可能だったわけだ。勿論、岩崎にUWFをやる気があったとも思えないけど。

 つまりだ。やはり、宇野だから出来るのである。選ばれし者だから出来るのである。

 総合競技者としての実力に加えて、UWFに対するリスペクト、プロレスに対する愛。このふたつを併せ持つ宇野であるからこそ、あのファイトが出来たのだ。

 いくら身体能力が高くて技術があってもダメだ。プロレスへの愛だけでもダメだ。その2つが揃って、始めて可能になるわけだ。さらに言えば、TKと宇野の間にある信頼。こういうこと書いていると、昔の猪木の「プロレスで大事なのは、信頼という奴でして」みたいな言葉を思い出してしまうほどの、昔から言われてきた当たり前の事実。

 さらには、こういう言い方も出来る。みのる戦は、ハイスポットありの純プロレスに近いファイトだった。TK戦は、総合格闘技の技術を出し合いながら、アドリブで組み立てていくUWF・リングス的なファイトだった。宇野はそのどちらも出来るわけだ。

 UWFは、その進化の必然として、シュートであり続けるしかないのか?

 シュートに慣れた目からしたら、以前のワークファイトは、単なるヌルいスパーにしか見えないのか?

 宇野が見せたくれた今回のファイトは、田村がどんなに「UWFをやりたい」と言っても説得力がなかったU系ワークファイトの未来に、一抹の希望を感じさせてくれたと言っていい。これぞ、格闘芸術。

 こうして、宇野はその引出しを増やしながら、どんどんカッコよくなっていく。おれ的には、修斗の王座返上あたりから、加速度をつけて。カリスマ性すら漂い始めたと言っていい。総合格闘家としては、ただの汚点でしかない、UFCでの11秒KO負けの事実ですら、人間宇野、パフォーマー宇野としてみれば、単なるハク付けにしか過ぎなかったかのように。

 最近のキングダムを見て、既にUWFはギャグやオマージュとしてしか存在出来ないと書いた。いやいや、どうして。意外なところにUWFはあったわけだ。

 日本人総合格闘家としては最高に近い実績を持ち、現在もUFC王座に最短距離にいるの日本人の1人に、UWFの魂が宿っているという事実。UWFを見て、船木を見て、格闘技を志した宇野。彼の現在にシビれて、総合を志す人間が、これから増えていく。神様、彼らにもUWFの魂が宿らんことを。

 ありがとう、宇野くん。そして、UWFをお願いします。あなたのやることが、すべてUWFです。




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