「メモ8の総合格闘技・言いたい放題」〜第4回 プライドの巻
■投稿日時:2002年1月19日
■書き手:メモ8(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

 意地でも落さない、やると言ったら毎週やるんだよと言っていたのに、先週は、あっさり落してしまいました。結局、その程度の人間です、許してください。総合の未来以上に、おれの未来が暗い。

 先々週、パンクラスを散々批判して、愛がないとか、色んなところで随分顰蹙を買ったが、まずはそのダメ押しから。格通の最新号の、みのるの発言。

 「戦略で戦うなって、僕すごく言うんです。大事なことがあるんです。人間対人間ですから。コンピュータ対コンピュータじゃないんですから。それは今、僕のまわりにいる選手達が活躍している、秘密でもあります」

 吐き気がするほど間違っている。

 コンピュータ対コンピュータじゃないから、人間は、足りないアタマをフル回転させて、精一杯、考えるのだ。考えられる状況を全部考えて、そのすべてに対処できるように、戦略を考えるのだ。それでも全然足りないから、全部に対処するのは無理だから、もっともっと考えて、自分が想定した情況で闘えるように、対処すべき情況を少しでも限定出来るように、戦略を練るのだ。それでも、アタマで思った通りには、練った戦略の通りには、どうしたって身体が動いてくれないから、繰り返し繰り返し、ウンザリするまで練習するのだ。

 何でこんなことが、わからないんだろう。

 致命的なのは、今、みのるの回りで活躍している選手など、美濃輪以外に誰もいないのを、わかってないこと。

 横浜道場の未来は暗い。何も見えない。真っ暗だ。

 愛がなくて悪かったな。

 どいつもこいつも、おれが三十路過ぎて、唯一貼ったことあるポスターが、格通のオマケでついていた、みのるのポスターであることを知らない癖によ。知るわけありませんね。しかし、こういう愛のカタチもあるんだ、馬鹿野郎。おれは風になるぜ。


 という訳で、今回はプライド。

 個人的な好みからいくと、単純に、プライドのライブはコストパフォーマンスが悪過ぎる。

 やっぱり、格闘技は近くで見るのが楽しい。見難いって人も多いし、確かに試合全体を把握する為には、2階席の1番前とかの方が、いいに決っているんだが、リングサイドで見たことのない人は、自分の大好きな団体でいいから、せめて1回見て欲しいと思う。後ろじゃ見れないもの、感じられないものを、絶対に感じることが出来るから。

 しかしだよ、プライドのリングサイドは10万円。マトモな人間に払える額じゃねえよ。2万以上払ったって、後楽園ホールの1番後ろの3千円より遠いんだぜ。見る気するかっつーの。

 などという文句は、構造問題であって、まあ、しょうがないやねという感じなので、以上は軽い前フリ。

 結論から言えば、いやあ、やっぱり、プライドは凄いです。客も入っているし、選手も食わしているし、文句ないです。唯一、内容に文句があるとすれば、全然面白くないこと。

 おしまい。

 …うーん、ホントにこれだけなんだよなあ、プライドは。

 と、書き出して、何故プライドがつまらないか、延々書こうと思っていたわけです、田村vsシウバ戦決定までは。

 やってくれますDSE。あれだけ、DEEPが、田村一党にいい目を見せようと、無理してU−FILEのしょっぱい新人くんを、一杯使ってあげていたというのに、あっさり、持って行っちゃった。

 こうして、DSEは、今年も燃やす畑を、次々と確保していくというわけ。

 田村は、リングスにおいて、ヤマノリあたりとのガチガチのファイトによって、インター嫌いのリングスファンの心をガッチリ掴んだ頃を頂点として、離脱前後の時期までに、確実に、かなりのファンを失った。

 導火線は色々あるものの、やはり、直接のキッカケは、ノゲイラ戦、ババル戦、シム戦と敗戦が続いたことと、各誌における無気力(に見える)発言だろう。簡単に言ってしまえば、やはりオールシュートはキツかった。そういうことだ。

 感動のヘンゾ戦、壮絶に散ったアイブル戦を経て、田村は勝てなくなった。モチベーションの低下、技術の停滞、田村自身にも原因はあるだろう。が、やはり、今まで経験したことのない程の強い相手とやり始めたから、勝てなくなったというのが、単純な事実。サディスティックなまでに、エースにキツ過ぎるマッチメイクを組んだ前田にも、当然問題はあるわけだが、それを理解出来ない一部の自称ファンも情けない。いったい、何を見てんだか。

 が、逆に言えば、リングスを「プロレスから格闘技へ」「ワークからシュートへ」という文脈で見ると、田中正志の存在や海外メディアの報道を別にすれば、そのワークからシュートへの正確な移行タイミング(つまりはKOKの開始だ)を記していたのは、ネットにおける様々な表現のみであり、いわゆる日本のマスコミには、それを明言したメディアは存在しない(補足しておくと、アメリカの専門誌の報道は基本的に田中正志と深い関係にあるデイブ・メルツァーと、田中正志自身の影響下にあったわけで、要は田中センセの功績は、いくら強調しても足りない位だと思う)。

 偏執的な発言で、我々を度々喜ばせてくれる修斗コミッションですら、小声で、控えめに、だからこそヒステリックにしか言えなかった。

 つまり、関係者でもなく、内部情報に触れる機会もなく、ネットをマメにチェックしているわけでもない、普通の見てるだけのファンが、リングスにおけるワークからシュートへの移行が、一般的に思われていたものよりは、実際には何年も後ろにずれていたことを理解出来ないのは、当たり前であったとも言える。

 従って、シュート活字的な文脈で見た方が、そのドラマ性がハッキリする団体でありながら、その本当のシュートへの移行タイミングを、今ここなんだと明言できなかったことが、リングスと前田の本質的な不幸であり、だからこそ、わかっているマニアにとっては、そのワークからシュートへの移行に伴うダイナミズムこそが、リングスの最大の魅力であったのは言うまでもない。

 そのリングスの魅力を、体現した人間こそが、ヴォルク・ハンであり、アンドレイ・コピィロフであり、田村であった。

 そして、その田村がプライドに参戦する。

 ここで確認しておきたいことが、ひとつ。

 リングスが結果として失敗した(とあえて断言する)、ブレンド興行からオールシュート興行への移行を、プライドは、無事成功裏に完了しているということ。ワーク/シュート判定に絶対はないので、こっちは断言できないが、恐らく、小川vs佐竹戦を最後に、プライドはワークをやっていない。この事実は、もう少し語られてもいいような気がする。

 プライド1なんかは、真っ当なシュートはほとんどなかったわけであって、それがたった5年前のことかと思うと、時代の流れは実に速い。この辺の事情は、田中正志の文章でじかに読んで頂きたいが、多少補足する必要があるのは、この文章の執筆時期は、P10直前であること。この時点で、田中正志は『フジTVの重役連中が気がつくワーク試合は駄目だが、現場のブッカーが巧妙に仕込む程度まではありなのである』と書いているが、この巧妙さ具合が、さらにシンプルになり、つまりあまり巧妙でなくなり、競技的、スポーツ的になってきているということ(まあ、実は誰も気がつかないほどの極めて巧妙な仕込みをしているのかもしれないが。もしそうなら、恐ろしく凄いことだと思うが)。

 ところが、プライド8あたりまでの、いかがわしい雰囲気が面白くて、プライドファンであった、おれのような人間には、そうなると、すっかり面白くなくなってしまった。

 K−1化とか、まあ色々な表現をされるけど、要はメジャー化の為には、味を薄味にしなくちゃいけない。わかりやすいドラマを振り続けなくちゃいけない。グレイシー悪者アングルにしろ、カシンの参戦にしろ、藤田vs高山にしろ、たまたまプロレスラーがポイントになってはいるものの、結果として、別にプロレスを食いモンにしてるわけでもなんでもなく(まあ、してるけど)、要は、次の畑を燃やし続けているわけで。

 例えば、いわゆるK−1のファンとは、どういう層か。基本はTV観戦を中心にK−1を見ているファン。格闘技ファン、キックファンというほどではない、浅いファン。そもそもが、K−1は、専門誌を読んで、ネットの掲示板にウダウダ屁理屈を書き込んでいるウルさいマニア(キミのことだ)は、ハナから相手にしてないわけ。展開が早過ぎたら、そういう一般層はついていけないし、適度に新顔を登場させながら、適度に回転させながら、かと言って速度は上げ過ぎず、下げ過ぎず…。

 その結果、バンナとホーストとアーツとフィリョとベルナルドが、順繰りで戦って、誰が勝とうと、そんなの興味持てるかね? おれはダメだなあ。

 ケアー、コールマン、ボブチャンチンと、顔ぶれが固定し始め、「いつまで経ってもやろうとしない」小川の替りに、藤田に「やらせ」た挙句、アイブルをガチガチに押さえ込んで、心底、退屈な判定勝ちをしたあたりで、プライドも、完璧にK−1と同じ状態に陥ったように見えた。

 いや、メンバーが固定化しても、打撃系の最大の見所である派手なKO劇の可能性が高いK−1と比較すれば、プライド、いや総合の、分り難いグラウンドの膠着の連発は、誰にとっても、つまらない代物だ。勿論、中量級の桜庭エース路線ってのが果した役割も、無視は出来ない。が、シュート興行においては、継続的なエースの固定化が不可能であることは、もう周知の事実であって(と、おれが盛んに書いているだけという説もある)。

 そんなもんで、当然マニアな、おれは、プライドに対する興味を失う一方。

 リングスファンであるから、ノゲイラやアローナがプライドに行けば気になるし、ほれ見ろ、やっぱりノゲイラ、抜けて強いじゃねえかと、うれしくなったりするけれど、まあ、それはそれだけなんだよな。藤田vs高山は、名勝負であったものの、次に繋がる質のファイトじゃないし、どうしたって単発の面白さ。

 そもそも、我々は、何を求めて、プライドなど、見始めたのだろう。

 最強幻想は、幻想でしかないことに、我々は、何時の間にか気付いてしまっているというのに。

 VTが、MMAと名前を変え、競技的に整備されれば、されるほど、スデゴロ一番的な、夢枕獏的というか、バキ的というか、修羅の門的というか、そういう最強幻想とは、どんどんかけ離れていくのだ。

 誤解を恐れずに言えば、リアルなものは、常につまらない。リアルなものは、ファンタジーな付加価値で味付けしなければ、楽しめない。

 深いマニアになってしまえば、アマレスだって、柔道だって、充分楽しめる。ところが普通の人間は、そうはいかない。普通の人間にとって、アマレスや柔道などを見る気になるのは、オリンピックだけだろう。

 それでは、何故、オリンピックなら、見れるのか。簡単だ。オリンピックは、元々やる側の為のものであり、見てる側にはクソつまらない筈の競技スポーツを、オリンピックという価値観で補強して、見ている側の興味を持続させるからだ。

 Jリーグを熱心に見る気にはなれないが、ワールドカップなら見てしまうという程度の浅いサッカーファンは多い筈だ(自分もそうだ)。これだって同じ理屈。ワールドカップという価値観が、サッカーという競技スポーツの持つ本来の面白さ以上に、観る者に興奮を与えるからだ。

 ベタベタのMMAの膠着戦に比べれば、はるかに面白い筈のサッカーですら、そうなのだ。

 つまり、プライドは、MMAに対し、単なる競技の勝った負けた以上の価値観を付加することに成功しているからこそ、これほどの観客を集め、リングスは、勝った負けた以上の価値観を、マニア以外に理解させられなかったから、観客の支持を失ったわけだ。

 プロレスラー最強アングルじゃなくたっていいのだ。DSEは、当然、わかっている(と思う)。

 田村も、確かに、プロレスラーと言える存在だ。が、シウバ戦の後にマニアとDSEが想定している、田村と桜庭(あるいは高田)の交差の仕方には、いわゆるプロレスラー最強幻想とは別の価値観が、確実に存在している。

 恐らく地上波だけでプライドを見ている層の浅いファンには、あまり訴求力を持たないだろう田村参戦に、ネットのマニアは、意識的にせよ、無意識的にせよ、その後にある、勝った負けた以上のドラマを期待しているからこそ、この一戦は、久々に熱く支持されているのだ。

 ならば、田村と桜庭・高田の交差を、安田の浪花節話のような、わかりやすさにまで育てられるかどうか、そして、どうすれば、一般層にまで田村の存在をアピール出来るようになるか、これらがDSEに与えられた課題となる。勿論、シュートである以上、すべてが狙った通りにいくわけではないことは、当たり前の大前提。だからこその、パンクラス参戦との同時進行。だからこその、小路の菊田戦アピール(しかし、これはちょっと小粒だねえ)。

 現在のプライドに、いい加減、うんざりしていたマニアを呼び戻すことに成功すれば、プライドは、もう一回り大きくなる。オリンピックやワールドカップという、簡単には揺るがない、唯一の価値観を持ちえない以上、提供される価値観は、重層的であるべきだ。入口は多い方がいいのだ。多くの層に開かれるべきなのだ。

 回りの反対を押し切って、猪木軍との対抗戦に乗り出した狂気の天才ブッカー石井館長率いるK−1以上の速度で、プライドは変化を続けている。

 お帰りなさい、おれの好きだったプライド。しばし、DSEの手腕に期待させてもらうことにしよう。

 勿論、長期的な視野で見た場合、焼畑農業は、そうそう続くもんじゃない。総合の未来は暗いという、おれの基本的な立場は変わらない。今回、田村に勝とうが、じきに、シウバは弱くなる。経済的な充足を得たシウバが、闘うことへのモチベーションを失っていくのは時間の問題の筈だ。さらに、それより重要なことは、プライド自身が、現状の興行規模を維持出来なければ、プライドだけではなく、総合格闘技界の、すべてが終わってしまうということだ(かろうじて、海の向こうのUFCの成長に期待は残るが)。ピラミッドの頂点がしっかりしてこそ、その頂点が潤ってこそ、初めて業界が成り立つからだ。

 この意味では、桜庭という、プロレスを続けていれば、恐らく二流の選手で終わったであろう総合格闘家に、一般的知名度を獲得させ(何せ、あれほどCMに出ているのだ)、恐らく新日のトップレベル以上の収入を与えたことこそが、プライドの、現時点での最大の功績であるといえる。

 そして、田村。

 当たり前に考えていけば、田村は、シウバに勝てない。そんなこと、田村自身がわかっている(と思う)。だからこそ、田村は、パトスミ戦や、ヘンゾ戦のように、ガチガチに緊張しながら、大勝負をかけることになるだろう。

 どちらに転ぶにせよ、田村という畑は、壮絶な燃え方をする筈だ。これまた、大いに期待して待つことにする。




本稿の著作権はすべてKANSENKI.NET及び「書き手」に帰属します。

戻る
TOPへ