「メモ8の総合格闘技・言いたい放題」〜第6回 格通こそがフェイクの巻
■投稿日時:2002年6月22日
■書き手:メモ8(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

 格闘技通信は、既に死んでいる。

 今更、死んだ犬を蹴飛ばしてどうするんだという説もあるが、ネット野郎の書き捨て批判と取られるのも気分が悪いので、今回は「言いたい放題番外編」として、格通と朝岡現編集長の批判を徹底的にやらせてもらう。

 まずは、格通を批判する自分の立場を明確にしておく。ひとつは、当観戦記ネット常連ライターとして観戦記ネットを代表する立場。ひとつは、友人が関係者に何人もいるスマックガール身内としての立場。そして、10年来の格通読者である私人・長尾“メモ8”丈志としての立場。以下の文章は、この3つのどの立場からだと取ってもらって結構だ。反論出来るならしてみろ、インチキ業界人。


 格通の死は、元々UWF賛美雑誌から始まった自誌の歴史を、否定した時から始まった。

 リングスを執拗なまでに無視して見せた、本多編集長時代、それまでリングスの提灯記事を書いていた遠藤某に、陰湿なリングス批判させてみせたあの時代にそれは顕著となった。

 イチイチやり方が陰湿なのだ。

 方針を変更するなら、それはそれでいい。ブレンド状態であったリングスを評価しないというなら、それはそれでひとつの価値観だ。が、何の説明もない上に執拗なまでの陰湿な嫌がらせ。この辺、具体例を挙げればいくらでも挙げられるが、長くなるので、ここではやらない。結論だけを書いておく。

 業界の先人に対するリスペクトを失った時、格通は死に始めたのだ。


 話を、朝岡編集長になってからの「ノーフェイク」宣言以降と方針の揺れと、前号である「7月8日号」に絞る(一部最新の7月23日号にも触れる)。

 朝岡編集長になって、格通は、勇ましくも「ノーフェイク」を掲げた。その心意気やよし。やれるもんならやってみろ。ところがどうだ。高田道場に取材拒否されたら、あっという間に腰砕け。腰砕けするくらいなら最初からやるんじゃないって。しかも、商業的要請によって、確実に変更された編集方針を、ターザン山本という既に外部の人間を呼び、対談形式で、朝岡編集長を叱る形式にして言い訳してみせた。見苦しい。

 その挙句の前号の言い訳が、これだ。


 明確なポリシーと、それを貫くための性急すぎない中庸な方法論を打ち出し、その理想をインパクトあるマークで象徴づけたことには、誇りを持っている。

 嘘つくんじゃない。

 性急なポリシーと、性急な方法論で、あっという間に高田道場に取材拒否されて、商業的にどうしようもなくなって、方針変更しただけだろ! 正直に認めろ!

 が、ここまでなら、やっぱり商売は大変だよねえ、会社自体が身売り寸前だしねえと、同情の余地は残る。が、実は問題はそんなことではない。

 前号の朝岡編集長の記名記事「“ノーフェイク”とはなにか?」には、4枚の写真が添えられている。そのキャプションを全文引用する。


 1)PRIDEでのケン・シャムロックVSドン・フライ。両者がプロレス経験者で、試合前にののしり合って話題を呼んだこともあり、なおかつ試合内容が一進一退だったゆえ、「これってプロレス?」と思う人もいたようだ

 2)スマックガールでプロレスラー・ドレイク森松が“逆片エビ固め”で勝った時「プロレスじゃん」という人がいた

 3)かつて市原海樹(大道塾)がオランダキック界の強豪、ヤン・ロムルダーに勝った時、その大逆転TKOの展開について「あんなことは出来るはずない」とみなす記者もいた

 4)佐藤ルミナが試合開始6秒で一本価値(飛びつき腕十字)を収めた時のひとコマ。絵に描いたような展開の試合に対して、疑いの声がまったくでないのは、修斗が信用を積み重ねてきたからこそだ


 わざわざ、ルミナ秒殺勝利写真を入れ、キャプションで明確に八百長を否定して、修斗へ捧げたお追従は、最近の揉め事ゆえ、お笑いとして許してやってもいい。が、この件、当の修斗の創始者である佐山が、ルミナ6秒秒殺について疑問を表明したことが、修斗コミッショナー浦田から語られ、ムック本にまでなっている。修斗を作った奴に疑われてるんだぜ。『疑いの声がまったくでない』などと書くのは、あまりに不誠実なのではないか。

 修斗以外の3枚は、いずれも、明確に、八百長疑惑があったことに触れている。

 朝岡編集長が所属していた大道塾は別にして(これのみ数年以上過去の試合だ)、残るプライドとスマックを比較してみると、朝岡編集長の悪意がハッキリしてくる。

 プライドに対しては『「これってプロレス?」と思う人もいたようだ』。『これってプロレス?』と『思う人もいたようだ』と2重の推定だ。

 ところが、スマックに対しては『「プロレスじゃん」という人がいた』と、ガチっと断定。

 勿論、どこの団体からクレームがついたとしても、言い訳はシッカリ用意されている。

 本文で『マスコミ内には、たやすく“この試合、おかしいよ”と言う人』がいて、そういう人は『仕事に対する責任感が欠けているんじゃないか、と思う』と書いているからだ。

 つまり、『仕事に対する責任感が欠けている』人が、プライド19のフライ・ケンシャム戦や、3月2日スマックガールのドレイク森松・中嶋智希戦を、『プロレスじゃん』と言っていたという事実がどこかにあって、それを記述したに過ぎないという言い訳。

 しかしだ。朝岡編集長は、こうも書いている。


 格闘技は“命を削りあう”競技である。そんな世界で真剣に試合をしている人に、勝手な思い込みで“八百長”という言葉を浴びせたとしたら、これほど失礼なことはない。“裁判にたとえるなら、冤罪なのに死刑を宣告するくらいの行為”…そのレベルの認識をもつべきことではないか。
(中略)
 裁判の“疑わしきは罰せず”の原則と同じで、“怪しい経歴の人があまりに都合よく勝った”ことに疑いをもったとしても、状況証拠を裏付けるだけの物的証拠(技術的な面での矛盾や証言」が揃わなきゃ、何も語るべきではない。罪を犯した人を処罰できないことはあっても、無実の人を罰することはあってはならないのだ。


 そして、こう書いた筆も乾かぬもウチに、大道塾・プライド・スマックに対する八百長疑惑を載せるわけだ。しかも、プライドと対置することで、よりスマックに対する八百長疑惑を深く印象付けるという意図的な編集で。

 酷いもんだ。

 要は、朝岡編集長が、ドレイク戦を、勝手に疑っているだけなのだ。プロレスラーのドレイクが、逆片エビ固めというプロレスの技で勝ったという理由で、『状況証拠を裏付けるだけの物的証拠』もないのに、八百長呼ばわりしているというこの矛盾。そして、それがスマックガールという弱小プロモーションが相手であるゆえに。んじゃ、ドレイク、スマックで八百長したことを悔い改めて、今では、某番頭さんのところで練習始めたとでも言うのかね?

 こんな人間が編集長をやっている雑誌が信用できるだろうか。いや、元々誰も信用してないけどさ。

 そもそも、この人、イチ雑誌の編集長としては、恥かしい位に無知だ。何が『疑わしきは罰せず』だ。致命的に「推定無罪」の原則を勘違いしている。推定無罪とは、起訴・告訴された被告人は、裁判所による有罪判定を受けるまでは、その罪は確定されないという原則であって、証拠なきは疑うなという理屈ではない。

 スポーツ競技において、八百長の疑いがあれば、それを調査・認定し、断罪する公正・中立な組織が存在しなければ、そもそも、推定無罪もクソもないのだ。疑わしきを声に出したとしても、罪を確定すべきコミッションも存在しない興行団体において、どうやって、罪は確定され、罰が下されるというのか?

 現時点において、そういう団体を、監視出来るのは、マスコミと、一般ファンなんじゃないのかね?

 有名なプロ野球の「黒い霧事件」、あれだって、キッカケはスポーツ新聞の報道だ。勿論、この件、報道の際には既に「関係者の証言」という証拠もあったし、それ以上に新聞社間の営業地盤争いとか、色々複雑な背景はあったと言われていて、一概に「不正を追求する」だけの目的ではなかったらしい。が、キッカケを作ることは、誤報と冤罪という問題とバランスを取るべきという但し書きは必要であるものの、ジャーナリズムの務めであるのだ。

 だからこそ、格通だって、威勢のいいシンボルマークを掲げたのではないのか? ところが、あっという間に腰砕け。その癖、どんなに叩いても問題ない、スマックのことは、ウジウジいじめて見せる。

 反吐が出るほど腐っている。ノーフェイクを掲げる朝岡のおツムの中身が最大のフェイクであるというこの矛盾。

 このフェイク野郎、最新号(7月23日号)では、こんなことまで書いている。


 歴史を重ね、すべてのメジャー総合格闘技団体、プロレス界、さらにはK−1ともパイプを持つに至ったPRIDEは、今や世界ナンバーワンの総合格闘技プロモーション。その気がありさえすれば、総合格闘技のFIFA的存在となって、VTワールドカップを開催できるじゃないか。

 おいおい、勘弁してください。この人、自分がやる側の人間であることがご自慢らしいが、それは技術的な理解の為にも悪いことではないと思う。が、ダメージが脳に残っているなら、少なくとも編集長には向いてないと思います。あまりに、当たり前の世間の仕組みをわかってない。どこぞの自称スターのネット論客(笑)が、ネットに駄文を書き散らすならいざ知らず(おれのことじゃないぞ)、少なくとも公称何万部の雑誌の編集長が、こんな偏差値25くらいの発言をして、職を失ってしまうとか、そういう心配までしてしまう。

 営利団体であるDSEと、非営利団体であるFIFAを比較すること自体が根本的に間違っている。DSEは、ワールドカップを開催しないのではなく、やりたくたって出来ないのだ。ワールドカップを開催しようとするならば、DSEはまず営利団体であることを放棄する必要がある。営利団体であることを放棄したDSEは、その時、DSEではなくなる。当然ながら、大前提として、VTワールドカップが開催される為には、VTという競技が成立する必要がある。そして、VTという競技は、現時点では、競技としてあまりに未成熟だ。競技という言葉を原理主義のごとく繰り返す修斗の太鼓持ちを延々やっている癖して、そんなこともわからないのか。

 閑話休題。話をフェイクに戻そう。

 最も不正に厳しいとされる修斗ですら、現時点では、公正・中立な組織を持ち得てない。審判部のトップが、コミッションの事務局長を兼任しているような状態では、コミッションが機能しているなどとは、とても言えない。審判部までを監視できて、初めてコミッションがコミッションとして機能する。

 格通、こういう修斗のここ数年の組織的硬直について、いったい、どういう提言をしたというのか。前編集長が、金魚マッチを無くせなどという致命的に誤った提言をした挙句、修斗も、アホなもんで、ホントに金魚マッチを無くしてしまい、後楽園ホールすら埋まらなくなってしまっただけじゃないか。あーあ。

 何もわかってないのだ。編集長になって、意気込んだあまり、ついつい暴走して「ノーフェイク」などと旗印を掲げたものの、後からそんなこと出来ないことに気がついて、誤魔化しているだけなのだ。

 さらに酷いのは、誤魔化す為の文章自体が暴走し、こんなことまで書いている。


 そして、その理想的世界に到達するためになくすべきは、なにも不正試合ばかりでなく、ドーピングや暴力団の関与、安全管理の怠りなど、あらゆるフェイク(曲がった行為)。

 何だ、この体言止は。日本語になってない。それでも編集者か、ボケ。

 調子に乗って、ドーピングとか言い出しちゃって、大丈夫なのか。ドーピングとは何が悪いのか。問題は、倫理なのか、ルール違反なのか。ちゃんと考えているんだろうな。

 アナボリックステロイドはダメだとして、アンドロステンジオンはいいのか。デハーではどうなんだ。まさかコレステロールを取っちゃイケナイなんて言うんじゃないだろうな。ホントにわかっているのか。ドーピングの問題は、哲学的倫理的問題をも含む、ちょっとやそっとじゃ歯が立たないハードなテーマだぞ。中途半端に言葉だけ書き連ねて、この偽善者野郎、ホントにやれるんだろうな。ほれ。

 ドーピングと言えば、キャッチーなのは、UFCからドーイングを指摘され、去就が注目されるバーネット。

 そのバーネットに対して、7月8日号では『UFCと喧嘩してまだ取る選手じゃない』などと予断に満ちた書き方させといて、キャップションには、ちゃっかり『どこへ行く!? バーネット』と載せ、その数センチ左に『大物選手出場か?』だとさ。内輪受けネタやってるんじゃねえよ。わからないと思って読者を舐めるな。

 さらには、暴力団だ。あのなあ。格闘技雑誌の編集長が、トップ中のトッププロモーションであるプライドとK−1について、何も知らないとは言わさんぞ。

 格闘技通信に、朝岡編集長に、書けるわけはないのだ。出来るわけないのだ。出来ないことがわかっていて、調子のいい文章を並べ立てて誤魔化しばかり書いているのだ。

 古今東西、風刺とブラックジョークという「笑い」を武器にして、大衆は権力と戦ってきた。そして、我々観戦記ネットは、21世紀の初頭において、大衆が唯一自由に自ら主張を発信出来るメディアであるインターネットを用いて、笑いという、たったひとつの武器を手に、いつでも権力と戦っている(やや大袈裟)。

 基本的な事項を確認しておく。

 格通の根本的な誤りは、現在のプロ格闘技界を、自分のチンケなアタマのサイズにクラス化してしまうことから始まっている。いみじくも朝岡編集長は「クラスマガジン」という言葉を使っているが、K−1やPRIDEは、断じて競技ではないし、少なくも現状では、競技を目指してもいない。何故、競技を目指さないのか、まずはそのことを理解すべきだ。

 にも関らず、格通は、K−1もPRIDEも修斗もパンクラスもキック諸団体も、ごっちゃにして、格闘競技としてクラス化してしまう。競技を目指すものを、競技として捉えるなら、まだいい。が、明らかに競技であることを軽視し、スポーツ興行たらんとしているK−1やPRIDEまでを、無理やり競技と捉えて、いったいどうなると言うのだ。少なくとも、K−1が競技化されてしまったら、カンカン、六本木で万札ばら撒けないし、キミらもそのオコボレに与れなくなっちゃうぞ。

 ジャーナリズムに求められるモノは、正当な批判と、明確な改善点の提案だ。

 修斗が競技を目指すというなら、その為に知恵と意見を出してやれ。それが例え辛口であっても、いや辛口であるからこそ、ジャーナリズムだ。それすら出来ない癖して、何がノーフェイクだ。不正試合をどう扱うか、ライター達の戸惑いの声を、戸惑いのまま、座談会のカタチで載せてみせたゴン格の方が、はるかに、理性的で誠実であると言える(高島は除く)。

 日本テレビが、UFOに「純・格闘技路線」の興行を要求したことが、最新号の巻頭で紹介されている。

 この情報は、恐らく、朝岡編集長のミジンコ並みの脳みその中では、こう解釈された筈だ。「そうだよねえ、時代はガチンコだよねえ。やっぱり不正試合は、商売にだってならないんだ」。ガチバカの典型的な思考は、単純で予想しやすいので、外してない筈だ。

 違うんである。日本テレビが要求しているのは、総合格闘技という競技の大会ではなく、「真剣勝負」というアングルなのだ。極論すれば、日本テレビ役員が、わからない程度のワークを混ぜるのは有りなのである(と田中正志が言うと思います)。実際、小川が出るとするなら、また微妙なワークになるのではないか。この連載の第1回で、修斗に向けて「八百長をやれ」とまで書いた自分からすると、積極的に混ぜて欲しいとすら思う。

 「真剣勝負を売りにした格闘技興行」と「総合格闘技の競技化」は、根本的に矛盾した概念だ。「総合格闘技の競技化」を推進する為には、同じ「総合格闘技」の名を持つものが、フェイクばかりやっていては問題があるのは確かだろう。が、「真剣勝負を売りにした格闘技興行」の未来の為に、「総合格闘技の競技化」がホントに必要であるのかは、相当微妙なところだ。競技人口の拡大は明らかに必要だが、競技化されてしまう故の弊害は、いくらでも上げられる。

 要は、この興行と競技という問題、色々難しいのである。考えることは多いのだ。このテーマを連載の中心に据えてしまった故に、この連載は中断しているほどだ(言い訳)。

 「総合格闘技の競技化」を推進するクラスマガジンでは、さっぱり売れない。だから「真剣勝負を売りにした格闘技興行」を扱う必要がある。そういう編集方針自体に、根本的に矛盾があるのだ。

 が、ベースボールマガジン社には、格闘技通信には、矛盾を矛盾のままスキャンダリズムにまで止揚して、雑誌を売りまくったターザン山本という先例がある。毀誉褒貶激しいター山だが、ひとつだけ断言するならば、彼はプロ中のプロであるということ。朝岡くんは、一揆塾からやり直しだな。

 真っ当なジャーナリズムたらんとするか。雑誌屋として商業主義を選択するか。どんな分野の雑誌であろうと、同じ問題は存在する。バランス問題なのだ。本多前編集長と、朝岡現編集長による格闘技通信、このバランスが致命的に壊れている。もしくは、バランスを取る場所を致命的に間違えている。

 おれはジャーナリストではない。ジャーナリストではないが、とっても親切なので、提言しよう。

 不正試合だステロイドだ暴力団だと、今のキミらじゃ絶対無理だ。もっとアタマを使え。

 その替わりと言っちゃなんだが、せっかく大宮のびじーん柔術家のテラシマさんを出しておいて、あの扱いはなんだ! 等身大全身ピンナップを付録につけるとか、色々やれることはあるだろ? ああん? 水着希望な。

 しまった、最後に変態の地が出てしまった。



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