「流血の魔術、最強の演技」評
■投稿日時:2002年1月16日
■書き手:グリフォン (ex:Gryphon’s MMA HP

「本は書評家を試す」
この言葉を今、ひしひしと実感しつつこの項を書き始める。
「流血の魔術 最強の演技」というこの本はそれに値するからだ。

新日本プロレスの黄金時代、猪木やタイガー以上に画面に映り、「ミスター」という奇妙な名前を冠したレフリーの名は、間違いなく「世間」に届く射程があったはずだ。
それが、「猪木の真剣勝負は生涯二回だけ」
「アンドレのギブアップ負けは、私が一ヶ月一緒に飲んでようやくOKをもらった」
「生放送で、試合を終わらせないのもリアルさを出すための演出」
などを暴露しまくるのである。これは初心者から中マニア(いわゆる「シュマーク」)、ディープなマニアまでその評価はともかく、面白くないわけがないだろう。

さて、この本の背景には大げさに言えば「情報化社会」の加速度的な進展がある。
田中正志氏が、「この本の先駆者は俺だ!盗作だ!!パクリだ!」と怒り狂っている(アングルな)ことは聞き及んでいるが(笑)、まあ法的に盗作か否かはともかく実際田中の活動が、プロレス世界に厳然としてあったタブーを「別に公開してもいいんじゃないの?」と思わせることに大きな役割を果たしたことは否定できない。

むろんその前に流智美、フミ斉藤氏らがディープに書いていた、レスラーの回想録や「素顔」のスケッチ、そして「ビヨンド・ザ・マット」「レスリング・ウィズ・シャドウズ」の映画が少しづつタブーの祠に鎮座していたご神体の姿を見せてきたのだ。
リー監督の言葉を借りれば「時代の扉は3センチくらい開けられた。これだけ開けば扉の向こうに見えるものは見えるのだから、どんどん開いていくことだろう」。

さて、その意義はひとまずあとに回して、本としての面白さをもう少し詳細に見ていこう。
前作「プロレス至近距離の真実」もそうだったが、これがライターの構成か高橋が実際に筆を執っているかはともかく、類書と比べてもひとつひとつのエピソードの描き方や関連付けが非常にすばらしい。
とくに、やはり猪木のタチの悪さ、トンデモなさを描くとまあ面白いこと(笑)。

高橋が苦労して、ギブアップ負けすることをのませたアンドレに「ボディスラムもやらせてもらえれば最高だ!」「投げねえから、肩車で持ち上げるシーンもOKするように高橋、頼んでくれよ」とどんどんエスカレートしていき、最後に「ファックユー」と言われるとことか、とりあえずマンネリだから、試合潰してみっか、で藤原を乱入させた札幌事件の真実(笑)。そして例の「人間不信!!」との書置きを坂口に書かしめたホーガン戦失神事件。
どれもこれも意外さとともに、「あのアゴ親父ならやりかねんな」という説得力に裏打ちされている。

また、田中シュート活字の洗礼を受けたものならともかく、そうでないものが「指のジャブ(JOB)指定」や、「負けるけどクイックで」「レフリーがかみそりで流すジュース(流血)」などを聞けば、驚きとともに、未開民族の奇習を初めて覗く文明人のようにその豊か(?)な「ウォーク(WORK)文化」に目を丸くするだろう。そしてそれにまつわる悲喜劇も十分に読書人の興味を引く。タイガー・ジェット・シンが猪木の「腕折り」で折られたふりをするため、テープを何重にも巻いて固めており、最後は腕がただれた状態になったことを「よく辛抱してくれた」と称えるなどというのはちょっと泣き笑いというか。

ジミー鈴木氏だったか、「サンタがいないと言いふらしてどうするんだ!」といいう言葉でシュート活字を否定する人がいたが、私は基本的にこの意見に反対なのである。なぜなら、高橋が披露する上記のようなエピソードも、個々のレスラーの「幻想」を別の意味で強化していると思うからだ。少なくとも私はそうだ。

パキスタンで二重関節のアクラムを折り、暴動寸前の観衆を手を広げ沈静させた、という猪木伝説も興奮させるが、だまされて(連絡の行き違いで)いきなり試合が真剣勝負となり、寸前まで「今から話をつけてこい!」と焦りまくりながら、いざ覚悟を決めてシュート試合になると、セコンドですら「ああ、格下だ」と安心した相手の目に指を突っ込んでまで勝とうとした猪木---。
この「真実」にドラマを読み取れないほうがどうかしている。

これは吉田豪が宝島で再構成した猪木vsアリ、猪木vsウイリーやヴォルク・ハンのKOK出場にも言えるだろう。これらは「流血の魔術、最強の演技」を前提にすればするほど、幻想はさらに膨らむ。サンタで言えば、実在を否定しても、『それは北欧の伝説で、キリスト教と土俗信仰が混交し、アメリカで二十世紀に『赤い服』が一般的になり…』ということをしればサンタというものに知的興味がわくようなものだと思う。

だいたい、「オールドスクール」レスラーからすればジミー鈴木もミスター・ヒトも十分に裏切り者だよ(笑)。
「ゴング格闘技」でビル・ロビンソンがパンクラスを観戦するという企画をやったときに記者が、桜庭は「観客にアピールする技」を意識的に出すんですと言ったらビル先生、「そういうことを言うとなぐるぞ!」「すべての技は相手を倒すためだけに出してるんだ」「桜庭がそんなこと言うはずがない。マスコミの歪曲だろう」……ある意味あっぱれな態度といえる。
「ポリスマン」とか「あいつはガチで強い」という言葉が誌上をにぎわす時点でもうタブーは一部やぶれているのだ。

さて、しかしだ。

ひとつ心配がある。メモ8ノリリンといった、ほんとにディープなファンも、最近数年でこれらのワークにまつわるディテールを知ったわけだ。つまり70、80年代の少年期は猪木やタイガーに熱狂、その後UWF、リングス、そしてパンクラスやUFC、逆に女子プロや闘龍門……(ここは一般論で、さっき例示した個々人がそうだというわけではない)。
つまり時代によって少しづつ情報が提示されていき、そしてすでに骨がらみになった(笑)われわれが田中正志や高橋本に接したからこそ「ふーん、それで?」「おお、この情報でさらにプロレスが面白くなった!」といえるのだが、もしタイムスリップしてタイガーやUWFを見ていた少年期、思春期にこれらの本があったとき、どうであったか?

これについては、実は日本のプロレス界はまったく未知数であり、これから実験が始まるのだ。高橋、田中本はハードカバーで子供向けではないとはいえ、早熟な子は一定の割合でいるし、おそらく高橋本はリクエストに答え多数の図書館におかれるだろう。
また、一般マスコミも今まで紙面で断言できなかったことを「『流血の魔術』によれば〜」という形で書くことができる。

どう対処すべきか?
ほんの仮説だが、私は「プロレススーパースター列伝」「ヨネ原人」にあるような気がする。
詳細は可能なら1/26、田中氏に直接ぶつけたいと思うので、ここで一旦筆をおく。





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