第六回「ファントム・ペイン」
■投稿日時:2001年10月26日
■書き手:ささきぃ (ex:「気分次第で責めないで」

腱鞘炎にプラスして寝違えたんだか何だかで
右手の肩から下にシビレが出ているささきぃです。
ちょっと怖くなってきました。
医者で軟膏をもらったのですが
ベタベタするのがイヤーンと思って塗ってませんでした。
すみません。今日からちゃんと塗ります。

痛みというのは、うっとうしくてそして辛いもんですが、
いかに右手ばかりを使ってきたかがわかるなぁ、と
気づかされています。
今の私の手は会社の伝票ファイル程度でも
うっかり持つとズキンとしちゃうような状態なんですが、
そういう事がなかったら、そうやって普段右手ばっかり使ってた
ことを思い出さなかったなぁ、と。

痛みを感じるということは「右手がそこにある」ということを
思い出させてくれるのです。
乱暴に言えば痛いうちはちゃんとそこに有るのです。
失ってしまったら痛むことはありません。
たとえ、それがぼろぼろになっていたとしても。

そして、もうひとつ私の右手にはしびれと神経の麻痺が出ています。
(こうして書いているとエッライことになっているようですが
 大したことはないんであんまり心配しないで下さい)
さわってもあんまり感じないという場所があります。
医者で左手と感覚を比べられたのですが、確かに違ってました。

麻痺というのはそこにあるけど無いように感じるもんです。
当然感じて当たり前のことが「ない」ように思う、という。

どっちが個人的に怖いかと言えば断然麻痺のほうが怖い私です。
麻痺するくらいなら痛いほうがずっといいです。

麻痺するということは、そのとき直接痛みは感じないけれど
そこに右手が無くなってもわからないということだと思うのです。

麻痺して何を見てもなにも感じない、という状態になるくらいなら、
たとえばその痛いところをグリグリやってでも
いちいちそれに痛みを感じたりしている自分であろう、と。
どうやってもそれは私に付随しているものなのだから、
それを麻痺させて忘れさせてしまうのはナシにしよう、と。

そういう私でしたが、1年たらずのプロレス観戦をしてきて
先月末からはじめての団体にもいくつも出かけまして
そしてそこでいろいろなものを見てきているのですが

どうもまずいことに

わくわくしたり怒ったりするよりも
文字にして人に伝えるという
「責任感」のようなものを先に感じている自分に気づいたりしています。

それはイコールそれを見たという感動が
私が文字にしたいという気持ちまで届かなかったということでも
あるのですけども、

それと同時に好きだった団体が活動を停止してしまったことで
私の気持ちがどっか麻痺してしまっているんだろうか?
とも思いました。
またそれを感じることが怖いから
のめりこまないようにしているんだろうか?と。

たとえそれがバトラーツごときであったとしても。

私の中の冷静な部分が後ろから私の肩を叩いて

「おい、相手は前田日明でもUWFでも
 ましてやアントニオ猪木でもなく
 石川雄規だし格闘探偵団バトラーツだぞ?」

とは言っているにしても。
そしてそう言ってくれる私の冷静な部分によって
完全に麻痺してしまうことから救われてはいるにしても。

それでも私はまだ好きな人物も団体もあるので大丈夫ですが
まだまだ格闘技もプロレスも見続けていきたいし
それを言葉にしたいという気持ちも持っているのですが

同時にいま、直視するとあんまり痛いので目をそらしている場所があります。
他の事を書こうとしても、私の格闘技・プロレス好きの根はそこに繋がっているので

何か考えるとズキズキ痛むのです。
あんまり痛いので、やっぱり、これほど重要だったんだなぁと
考えてしまっています。

その場所の名前は

サクラバカズシといいます。

彼の今度の試合のことを考えると
右手よりもずっとずっと胸が痛いです。
ずっと見ないふりをしてきたのですが、
痛みを感じているほうが、麻痺して何も感じなくなるよりも
ずっと怖くないので、あえて痛いところをちゃんと感じようと思います。

完全にタダのファンとして彼の勝利と無事を祈りたいのですが

無事はともかく

勝つ気がしません。

全く私には勝算がみえません。

どうやってサクラバカズシはシウバに勝つのでしょう。

前回見たあの短いシーンが目に残っていて
どうやってもアレを頭の中から消すことが出来ません。

何よりもサクラバカズシが負けてしまったら
PRIDEは、日本はどうなるんだろう。

想像するだけでなんだかそれはガックリ来る世界で
サクラバ不在の中で、ノゲイラの事を褒め称えたり
リングスの見慣れない外人ガンバレという気持ちには
どうしてもなれない。

サクラバがいたから、安心して他の者を持ち上げる気になれていた。
私は、今度の負けを、彼がいなくなってしまうことと
同じだと思っている。
私が居て欲しい位置から彼が「いなくなってしまう」のだから。

それにしたってサクラバは試合をしていない今でも当然のように
スターというか大事なところを受け持ち続けているのは
どういうことなんだ。
他にどうして誰もそこを受け持とうとしないのか。
サクラバだってそんなの受け持ちたいわけがない。
何も得をしないのだから。
ふら〜っと出てきて2,3いいトコ見せて負けることが
許されるなら、誰だってそっちがいいに決まっている。

それでもサクラバは、そうでない戦いをしてきていて、
たまに楽しくプロレスをやっては酷評されるという
かわいそうな事になっていて、そのサクラバが負けたというのに、
その後もPRIDEに他の日本人は根性だけみせにきたり
自分の実力を試しにきたり
ケンカをしにきたので負けてもいいと堂々と言ったりしていた。

なかには出てきて11秒で負けるヤツまで出てくる始末。
何しに来たんだ。
だれか持って帰れ。
いらないから。

サクラバが勝っても負けてもこの状況は変わりはしない気がする。

むしろサクラバが勝ったとしたら
サク勝利という細いラインでプライドを保ちつづけたまま
他の日本人は自分たちの戦いを続けるような気がして仕方ない。
その中で私はまたアローナあたりにあっさりサクが
やられちゃいはしないかとビクビクして過ごすのだ。

そしてそれを他の人たちはどう見守るのか。
サクが勝っても負けても、勝負の世界だからそんなこともある、と
そういうものだよと思って眺めるのだろうか。
仕方ないと受け止めて、勝ったものにサクラバと変わらない
エールを送るんだろうか。

何が見たくてPRIDEを見ているんだろう。
誰か強いヤツが出て居さえすればいいのだろうか。

サクラバカズシという日本人でなくても、
そこにいるのは例えばヴァンダレイ・シウバという外人であっても
構わないのだろうか?
私は未だに絶対にシウバに拍手を送る気にはなれないのだが、
そういう私の方が特殊なのか?

前回サクが負けた時も私は
ネット上での薄情さに愕然としたものだった。
サクラバの負けは他の負けと同じ扱いなのだろうか?
ここで負けてもまたいい試合をすればいいとでも言うのか?
それは麻痺してるんじゃないのだろうか?
違うだろうよ!

国をあげて敗戦を憂えとはさすがに言わないが
個人のファンはもっと泣いたりわめいたりしてもらえないか。
少なくとも高田道場は3日くらい喪に服してもらえないだろうか。

ばかばかしいと思う人もいるだろうし
そこまでやってたらもたねぇよと言う人もいるだろうけど

私はイヤなんですよ。
何事もなく受け止める気にはなれないんです。
前回会場にも行ってないくせにね。
ごめんね。

でも今回はちゃんと応援シートを取ったので
そして前回の時よりももっとサクラバの負けは
世界にも私にも大きく響くと思っているので、

それは全然少なくとも私には
たやすいことじゃないですよと言いたいがために、

次またサクラバがシウバに負けたら私はメルマガも
観戦記の連載もやめます。
やめるったらやめちゃいます。

品川さん(観戦記ネット主宰)に確認?
とってません。すんません。私はそういう人間です。

そんなことしたってどうなるもんでも無いんですが
私はそうすると勝手に宣言しちゃうことによって
コレを読んでいる貴方を少しでもこの面倒くさい痛みに
付き合わせたいだけなんです。

キーボードを打つ手がちょっと痛くなってきたので、
麻痺に変わる前に、

そろそろ仕事に戻ります。
ささきぃでした。

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