第21回 ディアスポラとしての力道山 Part4
■投稿日時:2001年10月25日
■書き手:Drマサ


4 力道山のライフヒストリー(2)

 力道山が相撲を廃業した矢先、日本相撲協会の大スポンサーでもあり、力道山
個人の後援者でもあった新田組社長が力道山の相撲への復帰の画策をしている。
この画策において、やはり問題となったのは力道山の国籍問題であった。新田は
相撲協会では力道山が横綱にまで昇進した場合、その国籍が朝鮮籍であることを
忌避する振る舞いを持っていると察知した。そこで、百田家の養子として入籍さ
せるという手続きをとった。この時点で、初めて力道山は百田義浩という名の日
本人に戸籍上なったのである。前節で力道山の廃業の経緯を力道山自身の「朝鮮
人コンプレックス」に回収するような論理で要約してきたわけだが、この「朝鮮
人コンプレックス」の基底に制度的な朝鮮人差別が存在していたことは確認して
おきたいところである。国籍問題という制度的差別次元と「朝鮮人コンプレック
ス」という心理的差別次元には連続性と非連続性があるだろう。

 朴はその非連続性を強調する視点から、「横綱どころか大関にも挑戦できなか
ったことは、残念ながら相撲協会の閉鎖性を云々出来るレベルではなかったよう
に思われる」との見解を示すが、この連続性をこそ増幅し、意識化させるものが
「朝鮮人コンプレックス」という心理であり、力道山に差し向けられていた他者
たちのまなざしであったのではないだろうか。力道山の現在と未来とを規定し束
縛するのは、力道山自身が朝鮮人であるという制度上の過去を中心として生産さ
れる「朝鮮人コンプレックス」である。本人が今生きる現在として、かつ未来に
おいても、執拗に他者たちからこのコンプレックスを増幅するまなざしと、他者
からの実践が存在する。このまなざしと実践が力道山自身に直接的に振りかざさ
れないとしても、いわゆる「同胞」を媒介として力道山自身に降りかかる。力道
山が自ら髷を切り落とすという振る舞いとは、国籍上日本人となる力道山の未来
を先取りする事件であったのではないだろうか。

 しかしながらというか、当然のことであるというべきか、力道山は相撲に復帰
することはなかった。力道山は相撲の世界で生き残るために朝鮮籍からの決別を
選択したのであったが、相撲協会は結局「既に引退したものを復帰させねばなら
ないほど、力士は不足していない」との理由から、彼の復帰を否決する。相撲協
会の提示した理由が本当の理由かどうかはここでは判断しがたいが、先に挙げた
制度的な差別次元と心理的差別次元の連続性を、一転相撲協会側が力道山を他者
として扱うまなざしにおいてその連続性を強調する文脈を捏造したのかもしれな
い。
 こうして、相撲の道を断たれた力道山は第二の人生としてプロレスを選択する。
1951年10月、身体障害児童救済のためのチャリティ興業として”本場”ア
メリカからプロレスチームが来日する。半ば飛び入りで参加した力道山は、その
後1952年2月には米国にプロレス修行へと旅立つ。ちなみに、私が子どもの
頃(昭和50年前後だったろうか)にはこのような身体障害者へのチャリティと
関わるプロレス興業がよく行われていたように思う。最近は全くこのような興業
がなされていないような気がして残念でならない。当時の新日本プロレスのある
地方興行での経験であるが、猪木がリングに登場するのを待ちかまえていた子ど
もの私は、花道での猪木の目の恐さに心底恐怖を感じたことがある。ところが、
その恐い猪木が観衆に気付かれないように、リングサイドで車椅子に座る少年の
頭をサッと撫でていくのである。本当に周りの観衆はほとんどその猪木の所作に
気付いていない。しかしながら、あの車椅子の少年の喜びようといったら天にも
昇るという感じであった。身体障害者であるからこそその表現はいびつであった
が、だからこそ目撃することが出来た私の胸に響き、今でも思い出させるのかも
しれない。昔のプロレス興業がそのような不可思議な空間を構築するものであっ
たと主張しては、”昭和のファン”のノスタルジーであると笑われるかもしれな
いが。

 さて、プロレスで日本の英雄となった力道山は映画化されてもいる。朴は、力
道山の実像と虚像の乖離を問題とする視角から、1956年夏公開された日活映
画「力道山物語:怒涛の男」を分析の遡上に上げる。ストーリーは以下のような
ものである。

 長崎県大村市に生まれ、幼少期に父を失った力道山少年が、喧嘩の強さをかわ
れて相撲 の世界に入り、不屈の闘志で関脇までのぼりつめる。しかし理不尽な
親方との確執で相 撲界から追放。その後、力道山は、逆境にもめげずプロレス
の世界に転じ、米国での激 しい修行の末、ついにプロレスのチャンピオンにま
でのぼりつめる。(P133)

この映画は力道山の証言からいわゆる実録風に仕立て上げられ、力道山本人が主
演を張っている。映画の中で、力道山廃業の理由は「相撲界の理不尽な扱いにあ
ったといっているようなもの」となっている。窮地に堕ちた部屋を救い出したの
は、力道山ひとりの所業によるものとして描かれてもいた。二所ノ関部屋とNH
Kはその虚偽性から、日活と力道山を名誉毀損で告訴する動きを見せたが、元師
匠玉の海の尽力により回避された。朴はこの玉の海の心情を解釈し、真実暴露に
よって傷つく存在は当の力道山であると考えたからではないかとしている。玉の
海こそ、力道山をそのような虚偽を描かせてしまう人物にして世に送り出したの
ではないかという、まさに親方としての責任と悔恨の情があったのではないかと
いうのである。しかしながら、親方自身が力道山にとっての他者たちのまなざし
の媒介となっていたのか、あるいは防波堤となっていたのかはこの文脈では理解
できないのである。

 映画のクライマックスシーンは力道山が自らの髷を切るシーンとなっている。
ストーリーではその直前、親方とのいざこざのシーンがある。ハガミを切望する
が、親方に逆らえない力道山は、親方から「てめえ、俺を脅迫するのか。今夜に
とはなんだ。でっかいつらすんな」「部屋だってお前が建てたといいたいんだろ
う。いくら民主主義が大流行でも、相撲の社会では親方は親方だ。俺が気にらな
きゃ、さっさと廃業しろ」と悪意を浴びせられる。この言葉に切れた力道山がつ
いに髷を自らの手で切るというのがストーリーの要となっている。この力道山は
映画というフィクションにおける力道山像であるが、この虚像が一人歩きをはじ
め、「力道山がなり得なかったもう一人の力道山像に他ならなかった」と朴は指
摘する。力道山の幼少期のシーンでは、日本人である力道山少年が母親に叱られ
るシーンが盛り込まれている。現実の力道山は幼少の頃、間違いなく朝鮮で育っ
たのである。過去の自分を映画という虚構空間で変更してみせる心理とはなんな
のだろうか。

 「両親が朝鮮人である事実を忘れてしまいたい力道山の屈折した心境を物語っ
ている」との朴の指摘は、一面正解なのであろう。それは単に忘れてしまいたい
ということを飛躍し、力道山がコンプレックスとして内面化してしまっている他
者たちのまなざしをも逆に操作しようという主体の欲望が立ち上がっているので
はないだろうか。しかしながら、このような操作は頓挫するものである。コンプ
レックスに依拠した操作である限り、コンプレックスがあらわとなる局面が常に
回帰する可能性を宿しているからである。ここで、我々の視角はこのような主体
による他者の操作ということではなく、この社会の中で構造的に張り巡らされた
関係の連鎖の中で、本論の局面では民族差別という問題系の中で、それぞれの生
活史においてそうするより他ならなかった事情を照射することに意義を見いだし
たいのである。朴の指摘を踏み越えて、関係の絶対性に身を晒しながらも、その
社会を、その時代を生きるしかない力道山のその虚構像の創造を否定するのでも
なく、単に肯定することでもない地点はあるのかという問いが生み出されている
とはいえないだろうか。

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