第20回 ディアスポラとしての力道山 Part3
■投稿日時:2001年10月18日
■書き手:Drマサ


3 力道山のライフヒストリー(1)

 朴の視角は、在日コリアンの日本社会における民族的な生き方に向けられてい
る。在日コリアンが3世、4世と進展いく中、既存の朝鮮学校において試行され
た民族教育は既にその機能として不十分なものとなっているという。つまり、在
日コリアンというエスニック・グループは朝鮮民族と同一視できない固有の集団
力学を持ったものとして認識されるべきであると指摘される。「日本人でも朝鮮
人でもない」独自の集団であるという性格こそが、その生き方を探る機軸になる
のであると。

 しかしながら、この「日本人でも朝鮮人でもない」という独自のアイデンティ
ティは必ずしも可視化されたものとはならず、日本社会というシステムに飲み込
まれていく。その表れとして、特に「国際結婚によって生まれ、日本名を名乗り、
日本国籍を有するもの」の実体が不明であることが挙げられ、また彼らが「日本
人でも朝鮮人でもない」という固有のアイデンティティを見えないものとして、
既存のアイデンティティのあり方に収斂させてしまうことが挙げられている。そ
こで、彼らを含め、日本籍コリアンやコリアン・ジャパニーズなど在日コリアン
が、自らの出自を隠さない、異文化理解を深める「在日コリアン教育」によって、
在日コリアン自身の失われた民族性を回復させ」日本人との「共生を実現すると
いう」「日本人を視野に入れた民族教育が志向されている」という。

 このような「日本人でも朝鮮人でもない」新しいアイデンティティへの力点の
置き方の有効性とは、既存の差別意識から規定される受動的な民族意識を反転さ
せ、「日本人でも朝鮮人でもない」というアイデンティティを肯定的に自己提示
しうる可能性にあるという。また、このようなアイデンティティの方向性が現代
社会のあり方に一致する傾向を持つことが指摘される。統計上見られる被差別体
験の希薄化、国際化社会の進展において日本人にとって最も身近な異文化の所有
者であることが積極的に評価されるのである。

 このような「日本人でも朝鮮人でもない」というアイデンティティを視角とす
る朴の議論の中で、力道山はどのような位置にあるのだろうか。プロレスラーと
して日本人の英雄になった力道山。しかしながら、彼は自らの出自を隠し続けな
ければならず、日本と朝鮮という二つの”祖国”への思いに揺れ動いた人物であ
る。しかしながらこの状況を単に「不遇」であるとするのではなく、「むしろ、
「不遇性」にさらされながら、それと向き合い賢明に生きる彼らのあり方をでき
るだけありていに表現したかった」と朴はいうのである。「日本人の仮面をかぶ
って」日本人を演じる力道山の日本人を志向するアイデンティティ。隠される出
自としての朝鮮人を志向するアイデンティティ。この「朝鮮人でもあり日本人で
もある」という引き裂かれたアイデンティティから、「日本人でも朝鮮人でもな
い」というアイデンティティへの歴史的距離を埋め合わせるために、現在に生き
るわれわれにとってある遠い地点に力道山はいるように思われる。

 また、力道山を描く書籍などにおいて、その力道山像は「朝鮮人を否定し、排
除し、嫌悪する」ものとして描かれてきたという。つまり、日本人として評価さ
れて来たのである。しかしながら、イ・スンイルの作品『もうひとりの力道山』
(1995)においては、朝鮮人の誇りに目覚める力道山像が描かれている。1
961年、力道山は北朝鮮から新潟港に着いた帰国船の中で、娘と兄に再会して
い、高らかにアリランを歌った。これは受動的な民族意識から離脱し、「朝鮮人
の誇り」「自身が在日であること」を目覚めさす経験であるという。この出自を
隠す力道山のカウンター像の提示が、「在日コリアンの生き方」をすくい上げる
作業となる。つまり、朝鮮人として評価されるのである。

 さて、このような朴の視角に関する評価は後に譲ろう。ここからは、この二つ
に棲み分けられた力道山像を介して理解されるものへ接近するために、力道山の
ライフヒストリーを追うことにしよう。朴が参照する資料は北朝鮮の文献「力道
山にも祖国はあった/世界プロレスリングの王者金信洛(キム・シンラク)の生
きた道」(『統一新報』1984年3月9日・16日)を中心としている。よっ
て、その照射するところは失われがちであった朝鮮人としての評価に偏向する。
それは失われがちであったものを照射することにおいても意義があり、力道山の
虚像と実像という範型に向かい、日本における力道山神話のイデオロギー性を暴
露するとともに、朝鮮から見た力道山神話のあり方が理解されるだろう。そし
て、その両者の意味が交叉するところに力道山の”思い”を見いだせるだろう
か。

 『統一新報』における力道山の渡日の理由は、いわゆる強制連行である。相撲
見物に来ていた百田という人物が警官と結託し、両親の反対を押し切り、金信洛
の相撲によって甘い汁を吸うためであったと記述されているという。一方、石井
代蔵の『巨人の素顔:双葉山と力道山』という”日本産”の資料によると、朝鮮
総督府下警部補・小方寅一による誘いに日本にあこがれていた金信洛少年が喜ん
で応じたという。真実はどうあれ、この資料の出所の違いによって導き出せる”
神話作用”は対照的である。しかしながら、井手耕也のノンフィクション(『ナ
ンバー』1983年3月5日号)から導き出されるところからすると、強制連行
という事実は退けられる。しかも、金信洛少年はひとりで日本に向かったとい
う。ただ、両親の反対があったのは事実でもあるようだ。金信洛少年は小方寅一
の義父である二所ノ関部屋の後援をしていた百田巳之吉にスカウトされたと見る
のが妥当であり、『統一新報』の記事は「在日コリアンのほとんどは強制連行で
連れてこられた一世か、その子孫」という広く行き渡った当時の日朝関係の縮図
が神話作用として適応されたのであろう。また、百田家では金信洛を三男として
養子縁組している。

 渡日前、金信洛は母親の願いを叶えて結婚式を挙げている。しかし日本での成
功を夢見る彼は、花嫁を置き去りにしたまま渡日する。結婚生活を捨てること、
母親の思いを裏切ること、相撲での出世への思いとその決意。彼はこの時おそら
くは17才、1940年のことである。1941年1月「朝鮮出身、力道山光
浩、本名金信洛」で相撲デビュー。ここから人気商売が故、名前や出自が改めら
れていく。同5月「肥前出身、力道山光浩、本名金信洛」、42年2月「肥前出
身、力道山信洛、本名金信洛」、43年「長崎出身、力道山光浩、本名金村光
浩」と名前出身とも日本のものとなり、「日本人」力士として活動をすることに
なる。朴はこのような名前出自の書き換えによって、力道山の民族意識が極度に
屈折していったのではないかと指摘している。しかし角界在籍時の国籍は朝鮮で
あった。

 順調に日本人力士として出世していく力道山の屈折した「民族への思い」を感
じさせるエピソードが挿入されている。戦後間もなく、朝鮮人による集団闇買部
隊での列車の不法占拠が頻発していた。「戦勝国民」と「第三国人」(原文マ
マ)を看板として、日本人乗客に暴力を振るう暴力団まがいの朝鮮人を戒める力
道山の姿が描かれている。勿論角界でスピード出世をするほどの力量である。し
かしながら、ここでは彼の腕力が問題ではない。その戒めを言葉とする論理であ
る。力道山は自らを「親父は日本人だけども、お袋は朝鮮人だ」として「日本人
に敵討ちするつもりか」と朝鮮人の振る舞いを否定する。力士として書き換えら
れたことによって導き出された日本人、しかし事実としての朝鮮人という間での
葛藤の中で、自らの”同胞”への思いが錯綜するこの場面。「日本人にならねば
ならない」と指摘される民族からの逃避とは、まさに「日本人ではない」という
思いを根底に抱えている。しかしながら、戸籍上の日本人としての事実。また朝
鮮人であるという事実。この複雑な民族の思いへの反映を、朴は「民族の郷愁に
かられる葛藤がそこには見られる」としてまとめるより他ない。
 この葛藤、あるいは「朝鮮人コンプレックス」が暴発するのが、自ら髷を切っ
て相撲を廃業する場面ということになる。『統一新報』では、力道山の廃業の理
由を朝鮮人故の、角界での民族差別に只一点帰すると報じている。朴は、この見
解が正当なのか否かを検証していく。

 朴の見解は、力道山の廃業は朝鮮人差別ではなく、力道山自身の「朝鮮人コン
プレックス」にあるとみる。関脇まで昇進した力道山が大関、横綱昇進を果たせ
なかったのは、心理的原因ではなく、外在的原因が挙げられる。力道山が肺ジト
マスという病にかかり、体調を崩し、成績を落としてしまったこと。相撲の編成
である「東西制」や封建的な番付制度によって番付に対する不満が起きやすかっ
たことなどが挙げられる。また親方にハガミを申し入れたところ、拒否されたと
いう経緯もある。それまで、部屋の運営資金に協力してきた力道山にとっては納
得のいくものではなかったようだ。このような不遇を、力道山は自らの「朝鮮人
コンプレックス」という枠組みを通して理解してしまう。全ては「朝鮮人である
から」という理由付けが自己の中で肥大化し、正当化していくのである。彼の錯
綜する心理的基盤こそが自らの髷を切らせたのである。だからといって、朴は力
道山が「コンプレックスによってつぶされた」ことを非難しているのではない。
朝鮮人であるという事実を持って見いだされる「まなざしの地獄」を、力道山と
いう過敏な感受性の主体が生きざるを得なかったという事実をこそ問題にしてい
るのである。

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