超・週刊プロレス 第七号「渋女の取った方法論がプロレス界に与える影響」
■日時:2001年7月11日
■書き手:愚傾(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

 はい。どうも。愚傾です。

 先週は公開が一日遅れちゃって申し訳ありませんでした。言い訳は致しません。というか単なる怠惰が理由なので言い訳になるような材料などまったく無いんですが。せめてものお詫びとして、今週はいつもより一日早く公開しようと思います。

 そいではさっそく本題。先週の続きってことで「渋女」について。

 先週の金曜日にTV朝日(系列なのかな? それともキー局だけ?)でドラマ版「渋女」のレギュラー放送が始まったわけですけど、実は見逃しちゃったんですよ。ちょっと副業(本業はあくまで”観戦記書き”ですから)のほうがトラブルがあって、その時間に家にいれなかったんですね。

 なので、事前に二回にわけて放送された煽り番組を見た上での感想しか言えないわけなんですけど、その限りで言えば「拍子抜け」もいいとこですよね。期待外れも甚だしいです。

 あの、我々が見たいのは「TVドラマを利用して展開するプロレス」であって、「プロレスを題材としたTVドラマ」ではないじゃないですか。でも、いま放送されてるのは完全に後者ですよね。しかも内容はというと往年の名作「輝きたいの」のリメイクっていう匂いがプンプン漂ってる。正直、あれじゃぁグラビア系アイドルのマニアとして市川由衣や森本さやかの姿がチェックできるという以外に楽しみが見出せないですよ。

 思うんですけど、たぶん、篠社長はあの番組には絡んでないんじゃないですかね。何でそう思ったかっていうと、理由は簡単。「スタッフロールに名前が出てないから」です。これっておかしいですよ。だって「篠泰樹」っていう名前を出さないことには、ReMix/SGとの渋女の関係性とかがまったく見えてこないじゃないですか。
 さもなければ、自分の考えと現場の思惑があまりにもかけ離れてたから、企画だけ渡して内容にはノータッチということにしたとか。まぁ、そうとでも思わないことには説明がつかないです。あれじゃぁどうしたって「21世紀のプロレス」じゃないですもん。
 ドラマの終了後、それまでTVで放送された展開を、渋谷を拠点に始まるであろう実際の「渋女」にどうやってフィードバックさせていくか、強いて言えばそれがドラマ版の見所ですかね。

 で、まぁ来年からスタートされるという予定のドラマ版ではない「渋女」なんですけど、これが始まったらどうなることか。ちょっと考えてみました。

 まず間違いなく言えるのがJd’のアストレスなんかは露骨にワリを食うだろうな、ということですかね。両者のコンセプトは極めて近いですから。違うところといえば、アストレスはタレント候補生の女の子たちに「普通に」プロレスをさせている――ハッキリ言って手前には大森彩乃と山本千歳にそれほど遜色があるとは思えないですから――のに対して、渋女はタレント候補生の女の子たちに「これまでとは違う」プロレスをさせるであろうというところ。

 この「これまでとは違う」というのが曲者なんですよね。

 例えば、渋女の理念の一つに「筋書きのある、結果の決まっているプロレス」というのがあるじゃないですか。で、これが「新しいプロレス」だというイメージを成り立たせてるわけです。
 けど、実はこれって新しくも何ともないですよね。ぶっちゃけて言えばプロレスには筋書きもあるし、勝敗の結果だってあらかじめ決められてるわけですから(例外が無いとは言いませんけど)。

 しかし、そのことをおおっぴらにしたのが渋女の最大のポイントです。これまで日本の団体は、そのことをおおっぴらにはせず、頑なまでに黙り通してきましたからね。

 ここで気になるのは東証二部もしくはナスダックでの株式公開を目論んでいる新日本プロレスリング(株)の動向です。これは見物だと思いますよ。
 というのも、新日本って今年に入ってからルールの明文化に着手したりとか、スカウト部門の強化とか、まぁ色々と外面をよくするための努力をやってるじゃないですか。
 それっていうのは、「プロレスっていうのはヤラセのショーじゃないんですよ、野球とかサッカーと何ら変わらないスポーツなんですよ」というアピールに他ならないですよね。ようは、渋女とはベクトルがまったく正反対に向かってるわけです。
(「シュート活字」の提唱者である田中正志さんは「新日本の株式公開なんて無理に決まっとるやろ」と言うてはりました。詳しくはこちらで販売しているCD−ROMをどうぞ。我田引水で御免)

 というか、篠社長と新日本の考え方そのものがまったく好対照ですよね。
 篠社長は「もうそろそろプロレスと格闘技を分けてもいいでしょう」という考え方でReMix/SGと渋女を立ち上げたのに対し、新日本はルールを整理したりK-1だのPRIDEだのと絡んだりすることによってプロレスと格闘技の境界線をどんどん消していく作業をやってるじゃないですか。

 つまり、新日本が株式公開の審査に望む上で、一番厄介な存在となるのが篠社長かもしれないということなんですよ。
 だから、手前は先週号で「2002年の台風の目になるのは篠社長じゃないか」と書いたわけです。

 なんといっても、渋女やReMix/SGの場合、新日本が「取り込む」ことができないじゃないですか。ここが一番厄介なポイントだと思うんですよね。
 というのも新日本の場合、古くは国際プロレスからストロング小林を引き抜いたり、最近ではUインターを吸収したり全日本をアレしたりと、目の上のタンコブといった存在を「取り込む」ことで業界における地位を築き上げてきたわけじゃないですか。
 でも、渋女やReMix/SGは「女子」ですからね。これは手の出しようがないですよ。なんせ同じリングに上げさせることができないんですから。上がってる土俵そのものが違うんだから、誰の目にもわかる方法で潰そうにも、その手段が講じられないわけです。

 で、篠社長と新日本の方法論、「プロレス界の発展」ということを考えたときに、どっちが正しいベクトルであるのか。それはわからないです。というか、明言は避けます。海の向こうの成功例を逆手に取れるほど、手前はあっちの事情に精通してるわけじゃないですから。

 ただし、どっちがプロレスというものを説明する際に「嘘」が無いかといわれれば、それは圧倒的に前者です。
 プロレスを知らない人に説明するにしたって、前者の方法をとったほうが断然ラクです。もし手前が彼女をプロレスファンにしてやろうと思ったら、確実に前者の方法を選びますよ。だってそのほうがラクチンだもん。説得力もあるだろうし。まぁ手前の場合は説明する彼女がいないというのが問題なんですけど。

 そんな手前が自分のことを棚に上げて言いますが、正直、「世間から八百長呼ばわりされる」という”業”を拒否した渋女の方法論は感情移入しにくい部分も無いでもないです。勿論、それがプロレス界の発展に繋がるのであれば、手前は自分のケチな拘りなんて喜んでドブに捨てますけど。

 というわけで、ベクトルの違う二つの団体が2002年に「プロレス界の構造改革」をめぐってぶつかりそうな気配を感じる今日この頃。両団体の水面下の動きに目を凝らしてみるのも、今年下半期のプロレスの楽しみ方の一つと言えるんじゃないでしょうか。
 あ、でもいくら「構造改革」といっても、聖域はあります。例えば男帝王や長く与える千の種といったあたりの性癖とか、そういうマット界に古くから伝わるもう一つのタブーには触れてはならないんじゃないかな、と。余計なお世話かもしれませんけど。

 そいではまた来週。





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