超・週刊プロレス 第五号「レスラーの引き際」
■日時:2001年6月27日
■書き手:愚傾(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

 はい。どうも。愚傾です。

 先週号を読んでお便りをくれた方、ありがとうございます。励みになりました。これからも痛みに耐えてよく頑張って小泉首相じゃねぇや読者貴兄を感動させてありがとうって言わせてみせますんで乞うご期待。

 というわけで、今週の題目は「レスラーの引き際」です。これからも頑張りますので乞うご期待とか言っときながら舌の根も乾かないうちに引き際の話をするのもどうかと思いますが、まぁとにかく引き際について。

 ご存知の通り、愚傾の一番好きな団体はNOAHです。で、最近はNOAHの選手の死生観について、勝手に想像を膨らませたりしてます。まぁ選手にとっては迷惑極まりない話かもしれませんけど。ていうか迷惑極まりないですよね。手前だって他人から「アイツの死生観はどうたらこうたら……」とか言われたら「うるせえよ」って思いますもん。

 それはともかく、例えば高山と秋山。この二人は「レスラー寿命が尽きる瞬間」を明確に意識してますよね。自分が、というよりプロレスラーが旬でいられる時期はそう長くないってことを自覚してるというか。だからこそ高山はPRIDEへのチャレンジを決意したんだろうし、秋山は新日本参戦をブチ上げたわけです。
 彼らの姿勢には、いまを一生懸命生きる美しさっていうんですかね。そういうのが感じられるんですよ。手垢にまみれた表現だと思いますけど。
 よく「プロレスは峠を越えたヴァーリトゥーダーの再就職先として絶好の舞台」という馬鹿なことを考えてるファンが多いみたいですけど、まったくもってレベルが低いですよね。で、こういうことを考えてる輩に限って「俺は真剣勝負フェチだけど、プロレスにだって理解はある」なんてことを口にするわけです。情けない限りですね。こういう連中には高山や秋山の爪の垢すら勿体無いですよ。ヘソのゴマでも煎じて飲んで欲しいです。

 話を戻します。

 もう一人、手前が気になるのが三沢光晴です。手前は「プロレスラー・三沢光晴」が「死」を迎える瞬間というのは極めて近い将来のことだと思うんですよ。
 三沢ファンの手前が「プロレスラー・三沢光晴の死」を初めて意識したのは、そうだなぁ、かれこれ二年くらい前ですかね。全日本の社長に就任した頃だと思うんですけど。そのあたりから「三沢は極めて近い将来、死ななければならない」と考えるようになったんですよ。で、NOAHを旗揚げしてからはその思いがなおさら強くなったわけなんですけど。

 あの、プロレスラーっていうのは、後進のために死ななきゃならないんですよね。まぁ後に続く者のために「捨て石」となる必要があるのはどこの世界でも一緒だと思うんですけど、プロレスラーの場合は自分の「死」を観客に見せなけりゃならないわけです。見られてしまう、ではなく見せなくてはならない、です。そうすることによってようやく「捨て石」となれる。これが他の職業とは決定的に違う点です。
 これは辛いと思いますよ。芸能界でも自分の死に様を大衆の目にさらしたのなんて岡田有希子くらいですからね。ちょっと意味合いが違うか。まぁいいや。

 たぶん、このほど発表された7月27日、旗揚げ一周年記念日本武道館大会のメイン「vs秋山戦」で、プロレスラー・三沢光晴は死にます。秋山準の「捨て石」となるでしょう。
 これはあくまで推測ですけど、三沢自身は去年末の有明コロシアム大会「vsベイダー戦」で死にたかったんじゃないかと思うんですよ。自分がベイダーに殺されることで、メインの「小橋vs秋山」の勝者に「エース」の座を禅譲、その後は「エース」ではなく「社長」としてNOAHの舵取りをしていくつもりなのでは、と。
 結果、三沢はベイダーに勝利し、死ぬチャンスを逃しました。これは三沢との対戦を熱望した橋本真也が三沢の「死」を思いとどまらせたんじゃないかと。

 そう考えると、ここ数週間の橋本と三沢の関係も面白い仮説が成り立ちます。

 つまり、こういうことです。

橋本「三沢! オレと戦おう!」
三沢「ハッキリ言って、キミと絡んでるとオレはいつまで立っても『死ねない』んだよね。ウチもそろそろ、秋山をピンで押し上げなきゃっていうアレがあるからね。」

 三沢の本音はズバリこれだと思うんですよ。だから、頑なまでに橋本の誘いを拒否してるんじゃないかと。
 というか、そのほうが辻褄は合うように思うんですよね。三沢の商売の仕方っていうのはかなり殿様商売ですから。ちょっと微妙な言い回しになりますけど、ZERO-ONE銀行から融資されたモノもおそらく無利子無担保での借り入れでしょうし、今後メインバンクをZERO-ONE銀行から新日本銀行に乗り換えるとしても、両行の関係に留意する必要は顧客である三沢には無いですから。だから、ZERO-ONE銀行から手を引きたがってるのも、あくまで会社としてのアレ(三沢調)というよりは三沢個人の考え方、死生観から導き出されたものなんじゃないかと。

 もっとも、NOAHとZERO-ONEの間には日テレと毎日放送の関係がどうなってるのか等、色んな要素はあるんでしょうけどね。一番大きなポイントは「三沢は死にたがってる」から「死なせてくれない橋本とはつきあいたくない」ということではないかと。

 というわけで、いろいろと書いてきましたけど、あくまで「レスラー寿命が尽きた」=「引退」とはならないのがプロレスの良い点でもあり、悪い点でもあるわけです。

 満足な動きもままならず、たるんだ腹を見せ続けるレスラーに「老害」を感じつつ、しかしボロボロになりながらもリングに上がり続ける姿に畏敬の念を持てたりもすれば、長くない選手生活を全力で走り抜け、真っ白な灰となって燃え尽きる「破滅の美学」に酔いしれたりもしつつ、でもカッコ悪くてもみっともなくても現役であることにこだわり続ける執念深さみたいなものを感じられなかったりもする。

 結局、どっちが良いとか悪いっていう問題とは違うんじゃないですかね。重要なのはそのプロセスであって。プロレス道という道を歩いて消費した、そのカロリーが大事なんだと思いますよ。

 JWPの美咲華菜が現役引退を表明し、ラッシャー木村が史上三人目となる「現役還暦レスラー」になったというニュースを聞いて、長らく結論の出なかった「レスラーの引き際」にある程度の個人的結論が導き出せた今日この頃です。

 そいではまた来週。





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