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「某っちのVT群雄伝」第一回
第一部 悪ガキと先駆者(ティトとライオンズ・デン抗争史)パート1 |
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■投稿日時:2002年11月18日 ■書き手:某っち (ex:「格闘潮吹きマン○固め!!」) |
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はじめに ヴァーリ・トゥード(以下VT)・・・・、ポルトガル語で何でもありを意味するこの言葉が世界に広まったのはわずか9年前の事である。 男と男が1対1で素手で戦う、誰が一番強いのかを戦って決めると言う男子なら誰でも夢見る最強を決定する場、古来よりブラジルで行われていた、この決闘の場が世界に紹介されたのは93年、アメリカはコロラド州デンバーと言う田舎町。 アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、即ちUFCである。 体重80キロにも満たないホイス・グレイシーが、ゴルドー、シャムロックと言う100キロを超える強豪格闘家を次々と秒殺し優勝した。 このセンセーショナルな結果と、誰もが夢見た最強決定の場、リアルファイトで強いのは誰かを明確に証明したUFC、VTはあっと言う間に世界中に広がった。こと現在の格闘技界に置いては、格闘技=VTと言っても過言では無いだろう。 歴史を重ねる事によって、様々なルールが出来、それは総合格闘技と代わり、初期UFCにあった何でもありの要素は薄れてきてはいるが、その代わりにこの総合格闘技には世界中の格闘家が挑戦する様になり、益々広まっていった。 来年はこの総合格闘技が世界中に広まって、10周年になる。 わずか10年の間に千差万別に広がりを見せた、この最強決定の場に取り憑かれた大会、選手、そして世界各国の歴史や最新の状況を、10周年に向けて振り返り、現状を把握する為に、暫く語ってみたいと思う。 ある時は誰もが知ってる有名な試合を語る事になるかもしれない。またある時はまったく無名の一選手を取り上げる事もあると思う。 VT、最強決定の場に魅せられた男達を活躍を通して、男の生き様を描ければ本望である。 第一部 悪ガキと先駆者(ティトとライオンズ・デン抗争史) 第一章 ティトとケン・シャムロック 「貴様! お前だけは許さん! かかってこい! ぶっ飛ばしてやる! 」 オクタゴンのフェンスによじ登ったケン・シャムロックが吠える! 「俺はお前の弟子ボーランダーを倒した、メッツアーもぶっ飛ばした、次はお前だ! さあ、やろう! このオクタゴンでな!」 オクタゴンの中ではティトが仁王立ちでケンの挑発に答える。 1999年3月5日、UFC19のメイン終了直後の場面である。 来る2002年11月22日、アメリカ、ラスベガスで行われるUFC40。 血の復讐と銘打ったこの大会のメインである、ティト・オーティスvsケン・シャムロック。血の復讐とはずばりこのカードに付けられたものである。この2人にどんな因縁があるのか、どんな復讐があるのか? 2人の因縁はこの何年も前のUFC19に突き当たる。 UFC19のメインで、現在、中量級世界最強と呼び声も高いティト・オーティスが、ケンの弟子であり現在はプライドでも活躍している難攻不落の獅子ガイ・メッツアーを葬った直後に起こった。 「Gay Mezger is my Bitch!(ゲイ(男色家)のメッツアーは俺の情夫になった!)」 敗北しうなだれる敗者メッツアーに向けて、勝者ティトはこう叫んだ! もっとも過酷で激しい戦いであるオクタゴンの決闘も、戦い終わればノー・サイドである事がほとんどである中、勝負が決した後もここまで罵る例は、近年では先日のプライドで行われたハイアン・グレイシーvs大山俊護くらいだろう。 「これでお前が女だったと証明されたな!」 大山の腕を叩き折ったハイアンはうずくまる大山に向かってこう吐き捨てた。この2人にはここまで言うほどの因縁があったのだ。 そしてティトとメッツアーにも同じく因縁があった。この試合は再戦だったのだ。 しかし、弟子をここまで悪しく罵られて黙っている様なケン・シャムロックでは無かった。 オクタゴンによじ登り、勝利をアピールするティトに襲いかからんばかりの勢い、ティトも挑発を繰り返す。両者のセコンドが必死で押さえつけ、その場が収まったが、因縁が収まるはずは無かった。 第二章 UFC ケン・ウェイン・シャムロック、彼こそホイス・グレイシーと共に初期UFCを支えた英雄である。 元々、アメリカでレスリングをベースにサブミッション・ファイト、シュート・ファイトを行い、日本ではパンクラスに参戦、パンクラス旗揚げ戦で当時のエース・船木を秒殺し、見事パンクラスの初代王者に輝く実績の持ち主だ。 UFCではUFC1でホイスに秒殺されたものの、その後UFC5にてホイス相手にドローに持ち込む。ルールの問題でホイスがUFCを離脱した後は、ダン・スバーン、キモらを下し、UFCのエースとして大会を引っ張っていった立役者であった。 否、選手としてだけでは無い。 現在とは違い海のものか、山のものか分からない、VT、総合格闘技。そんな状態なので古くからVTを行っているブラジルとは違い、アメリカには総合専門のチームなど存在しなかった。そんな中、もっとも早く総合のチームを築き上げたのもまたシャムロックである。 ライオンズ・デン、と名付けられたアメリカ初の総合格闘技チーム、ガイ・メッツアー、ピート・ウイリアムス、ジェリー・ボーランダー、マイキー・バーネット、ヴァーノン・ホワイト、ジェイソン・デルーシア、そして弟であるフランク・シャムロック。UFCに参戦し、この最強決定の場に取り憑かれたアメリカの獅子たちが次々にその門を叩いた。 ケンは文字通り、アメリカの総合シーンの立て役者の一人であった。 そんなケンの活躍もあり、UFCは全米に広まった。そしてアメリカ中で道場をもつ格闘家が、腕に覚えのある者が、UFCを会場で、TVで食い入る様に見つめたのである。 彼らの中にはやがて、グレイシーの教本ビデオなどで見よう見まねねトレーニングする者もいた、またある者は自分の技術を信じ鍛錬した。そしてその中から、自分もオクタゴンに踏み込もうと勇気をもって挑戦する者も現れたのであった。 ジェイコフ・オーティス、西海岸ハンデントン・ビーチで生まれ育ち、カリフォルニア州立フルトン大学に通う、レスリングを学び、体育教師志望の若者もUFCに感銘を受け、挑戦を試みた若者の一人である。 彼こそがティト・オーティス。ティトとはどうしようも無い悪ガキと言う意味で、手の着けられない不良少年だった彼に付けられたニックネームだった。 手に負えない不良少年だったジェイコフを救ったのは高校の体育教師だった。 「いいか、お前はレスリングの才能がある、いつまで悪い仲間とつるんでいるつもりなんだ? お前さえ本気で打ち込めるなら、俺が短大にレスリングで推薦してやる、だから本気でレスリングに打ち込んでみろ!」 元々、父親とそりが合わず不良生活に明け暮れていたジェイコフは、初めて自分の才能を認めてくれる男に巡り会った。 確かにそうだ、何時までもバカばかりやってやれない、手に負えない悪ガキの俺にも才能があるなら、打ち込んでみよう、レスリングに・・・・・。 ジェイコフはメキメキと頭角を現し、短大へレスリング推薦で進学、短大時代2年間は無敗の成績を残した。そして、レスリングで自分に自信を持った彼は、かつての自分の様な不良少年を更生させる為、自分を救ってくれた高校時代の体育教師の様な教師になる夢をもつ様になった。 どうしようも無い悪ガキでも、最初から悪い訳では無い。本当は大人の助けをまっているんだ、俺もそういう手助けが出来れば・・・・。そう考えて短大から大学に編入した。 そんな時にTVから飛び込んできたのがUFC、オクタゴンの闘いであった。 凄い・・・こんな闘いがあったのか・・・・・、俺がレスリングの才能があるらしいが、レスリングがこの極限状態の、本物の闘いで通用するのだろうか・・・、俺も闘いたい! オクタゴンで自分を試してみたい! ティトのかつての悪ガキの血が再び熱く燃えはじめた・・・・・。 (つづく) |
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