再び、アメリカ開拓期のNHBについて
■投稿日時:2002年10月14日
■書き手:ひねリン(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

以前にコラムで紹介した、初期アメリカのNHB、Rough and Tumble(「ぼこぼこぐちゃぐちゃ」 以下勝手に「R&T」と略)fightについて、詳細な検討を加えた論文がネットにあるのを某所で教えてもらった。

http://ejmas.com/jmanly/jmanlyart_gorn_0401.htm

こりゃ凄い。R&Tを通して、米南部の文化、歴史、民間伝承の特質まで考察する力作。使用ボキャの難度も妙に高く、きちんと辞書を引きつつ、論文の全容を吟味熟読した上でのレビューをするのはちとホネだ。が、なんとか強引に一読はしたので、以下、それを元に面白そうな部分の紹介をさせてもらうことにする。俺の主観による勝手な付け加えがかなり混ざるし、下手すりゃ論旨の曲解もあるかもしれん。だから興味を持った向きは、自分で原典に当たってちょ。

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当論文によると、アメリカ南部で実践されていたR&Tってのは、少なくとも独立戦争前の18世紀半ばから、南北戦争期の19世紀半ば辺りまでの間には、確実に栄えていたみたい。

で、これはもともと、17、8世紀あたりにイギリス各地で行われていたベアナックルボクシング(=プライズ・ファイト)と似たような社会的機能を持っていたよう。つまり、なんかくだらんことで男同士が争いをはじめたときに、周りの人間も集まって、男らしく闘って決着を付けさせるための方法だったてこと。で、そんな文化がいくらか制度化されていって、R&Tっていう名称も付くようになって、そのうち地域の「チャンピオン」が出てきたりするというわけ。ちなみに、初期には下層の者どもだけでなく、ジェントルマン達までいっしょになってやってたり、賞金を出したりしていた点でも、イギリスの素手ボクシングに似ている。

でも、拳のみで闘う英国の初期ボクシングとは違って、アメリカ南部のR&Tはなんでもありあり。基本的にはどっちが相手の目のえぐり抜くか、が勝負のキモだったそうな。だから単に「gouging(目のえぐり合い・当論文の著者はこっちの名称を好んで使う)」とか「tear and rend(引きちぎり合い)」とも呼ばれた。競技者達は爪を焼き固めて、やすりで磨き、またはフレッドブラッシーのように歯にもやすりをかけた者もいたという話。金玉のちぎり合いが行われたという記録もある。そんなんなんで、当時のディープサウスのある地域は、目無し耳無し男がうじゃうじゃ状態だったそうな(たぶん玉無しも)。

そして、先にイギリスでベアナックルファイトが、支配階級の手で徐々にルールを整備され、近代スポーツボクシングと姿を変えていったのを追うように、19世紀に入ると、南部の貴族連中(農場主とか)もR&Tを敬遠し、もっとジェントルマンな闘いとしての英国ボクシングを学びはじめたりするようになる。でも下層の荒くれ男達の多くは、男同士の決着を付けるのに、ボクシングのような「フェアな闘い」なぞではなく、もっと男らしい「引きちぎり合い」=R&Tを好んだのだそうだ。

ってことで、R&Tは序々に、産業化の及ばない南部の辺境地の、下層の人間の野蛮さと未開さを象徴するものとして、見聞録や旅行記で語られるようになる。また南部の男どもも、R&Tをネタに自分たちの豪気さを自慢話にして競ったりするので、現在まで土着のフォークロアがいっぱい伝わっている。だから著者もこういう論文が書けるというわけ。この力作論文には、前回のコラムで紹介したのとは別のR&Tの試合の観戦記(笑)が引用されているので、以下訳してみよう。これを書いたのは、18世紀末から19世紀初にかけて米南部を訪れたある英国人。アメリカの南部の貧しい白人達が、ロンドンの貧民どもよりも、アイルランド人よりも、インディアンどもよりも、どうしょうもなく野蛮で救い難い人種であることの例として、R&Tを描写する。

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我々は見た・・・格闘者たちは、まず髪をつかみ合い、そして親指をお互いの目に届かせようと試みていた。その間、見物人の中の何人かは、どっちの目が最初に眼窩から飛び出すかについて、賭けをしていた。格闘者たちはときに、器用に相手の親指を避けていた。ようやく彼らはグラウンドにもつれた。と、次の瞬間には、上の者が、相手の目を手に納めて跳ね起きたのだ!! 野蛮な群集どもが大喝采をしている間に、我々は馬でその地獄の光景から走り去った。受難者の名前はジョン・バトラーといって、カロライナ人で、相手のジョージア人に戦いを挑まれたようだった。最初にくり抜かれた目は、彼らの属する州の名誉のために争われたのだ・・・
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で、この英国人ジェントルマンは、かくなる野蛮人ども(=戦う者たちも、それを喜ぶ群集も含めて)に自由だの平等だのを与えるから、米国は荒廃してるのじゃあ、と怒っているんだけど、彼とは違って、当論文の著者は、この恐るべきR&Tを南部の僻地の人間の「動物性」「原始性」を示すものとしては考えない。そうではなくて、南北戦争以前の隔離された南部という、特定の歴史的条件が可能にした社会&文化の下でこそR&Tは栄えたのだ、と著者は言う。

当時、R&Tを闘って男らしさを競っていたのは、主に農園とかを持っていない白人達、つまり自作農、狩人、牧夫、ギャンブラー、港湾労働者、河川労働者らだそう(さすがに南部の農園の黒人奴隷達が、主人の名誉のために闘わされたとかってのはないみたい。その点では、闘鶏とはだいぶちがう)。

つまり、こういう男どもは、市場経済から比較的隔離された南部の僻地において、前近代的な、キツくて退屈で、でも同時に危険と隣り合わせでもある仕事を持っていた。だから彼らは、必然的に腕力、忍耐力、度胸、凶暴さなどに強い価値を置くようになる。そもそも彼らは、古いヨーロッパ世界の価値観を保持していたので、男が自分の「名誉」を傷つけられた時には、暴力による復讐も辞さなかった。家父長制的な考え方も強い。また彼らは、家族から長いこと離れて男同士でツルんで仕事することが多いから、そんな男同士の価値観を職場や酒場でさらに強め合うことになった。

別の方向から言うと、隔離された南北戦争前の南部の社会では、北部で発達していたような、プロテスタンティズムに基づく禁欲的な勤労態度(近代資本主義の精神、ってやつね)とか、自己制御する内面性(これって、近代スポーツの基礎でもあるんだよね)とか、そういう精神性はまだ普及していなかった。だから南部の男たちは、(常に禁欲的に労働に励むのではなく)騒ぎたい時は騒ぎ、笑う時は笑った。彼らにとっては戦いも、フェアプレイ精神とか自己鍛練とか(=近代スポーツ的な価値観)とは関係なく、単に男としての名誉を守り、共同体内での評判を得るためのものだった。だから「プロの格闘家」なんて観念自体なかった。彼らは単に、地元での自分の名声のために戦った(仕事で出世するとかの希望も最初からないので、共同体内での評判を高めることが、男どもには重要なことだった)。

そんな文化的、経済的な条件が揃っていたからこそ、18,9世紀の南部で、(大酒飲みや各種ギャンブルなどの、他の豪快な文化とともに)危険で残酷なR&T(あるいは「目のえぐり合い」)というルール(?)の戦いの文化が栄えたのだ、というのがこの著者の見解。要するに著者は、R&Tは本質的に前近代的なものであると言っているわけなので、「R&T=原始、野生の証し」とは言わないけど、「R&T=未発達、発展途上の証し」だということは否定しない。ていうか、つまりそういうことなんだろう。

とにかくそんな豪快なR&T文化だったんだけど、やがて時代は移り、技術の発達とともに(特に南北戦争前あたりから)上流層の人間は、男同士の決着を付ける「より洗練された」手段として、リボルバー銃での決闘を好み出す(こっちのほうがよっぽど残酷やんけ)。で、序々にそれはR&Tをやっていた層にも浸透してゆく。

さらに南北戦争では産業社会の北軍が勝利し、国際経済の要請とかもあって、隔離されていたディープサウスも、だんだん米国の国を挙げての生産体制&市場経済に巻き込まれて行く。プロテスタンティズムの精神も広まる。ってことで、近代化とともに、R&Tを支えて来た南部独自の土壌そのものも失われていったのだ・・・

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まあ、この論文の紹介としてはこんな感じかな(繰り返すが、以上が完全に正確である保証はないので、詳しく知りたい者は自分でリンクに当たるのじゃぞ)。

で、俺の感想としては・・・うーん断片的でうまいことまとまらん。この豪快なR&T男文化はタンクアボットの精神性そのものだなー、とか、近代化とともに野蛮な暴力として消えていったNHBは、(最大の特質だった目潰し抜きとはいえ)なんでまた現代になってUFCとしてアメリカ社会に蘇ってきているんだろーか? とか、同じNHBとか言っても、R&Tはビジネスでは有り得ずプロ選手も生み出さなかったのに対し、UFCは第一義的にビジネスであるという根本的な違いがあるよなー、とか。

あと、この論文からはどうも「文明化とともに、暴力的で未発達な競技としてのR&Tがすたれ、かわりに洗練された近代スポーツとしてのボクシングが普及していった」ということが透けて見えるから(ていうか俺が恣意的にそういう読み方をしたんだけど)、いわゆるフィギュレーション社会学の定番スポーツ観にぴったり重なりそう。でも俺的には、この論文が同時に「文明化とともに、男の決着をつける方法としてのR&Tが、リボルバー銃による決闘にとって代わられていった」ということを示している点にも注目したい気がするのにゃ。

まだ全然ちゃんと考えてないんだけど、そのほうが、ガンガン刺激の強い音に乗って、映像メディアを使ったビジネスとして、蘇ったNHB=UFCが現代アメリカで栄えていたり、あるいはBJJや草NHBがこんなにそこらじゅうで流行っていることを考えるヒントになるような気がするのにゃ。





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