紅白観戦記への感想文
■投稿日時:2002年1月9日
■書き手:生首

*:本稿はノリリン著「第52回・NHK紅白歌合戦 atNHKホール 地上波観戦記」への感想としてKANSENKI.NETに投稿されたものです。

「紅白だってプロレスだ」という命題はプロレスのレーゾンデートルを検証するための重要な方向性を提示したものと考える。(うーん、我ながらすばらしい秀才な書き出し)つまりプロレスにおける「ジャブ」とは何かを考えよと言う問題提起と受け止めた。(ジャブって、いきなり自爆。あとは普通にやります)

いや、ノリリン先生がご子息(アラビア語で言うとビン-ノリリン?)と交わした紅白の勝ち負けに関する会話は実に心に響く意味深いものでした。これまで白組応援団の漫才師が「袴と下駄で、ハカマゲタ。アカ負けた」とやってピンを競っていたのがワークだったとわ!高橋本に続く衝撃です。しかしそれ以上に本論文の重要なことは、「視聴率」を稼ぐとはどういうことかという深い洞察を掘り起こしてくれたことにあります。掲示板で田中さんが提示された、シュートの視点=ブッカーの視点ということについて、広告的な仕事に携わる人間としてかねてから思うところがあり、そのモヤモヤをクリアにしてくれたのがこの「紅白論文」であります。

「シナリオとしての完成度の高さ」=「芸術的あるいはエンターテインメントとしてのレベルの高さ」=「作品としての秀逸さ」であるといえると思うのですが、問題はそれが =「興行的成功」でないという現実です。ノリリン先生はレベルの低いことが高視聴率の秘訣と喝破されていますが、まさしくその通り。マンネリこそ紅白の魅力であり、あれ以上のマンネリ番組は物理的、歴史的に日本に存在しません。
ダウンタウン(DT)の松本氏は「DTは若者にしかウケないと、批判する先輩芸人がいるが、レベルを落とせば年寄りやらオバハンなぞ簡単に笑わせられる。なぜならヤツらはレベルの低い笑いしか受付けられないから」と言っています。禿同です。
ビートたけし氏は漫才ブームの末期に同じようなことを言っていたばかりでなく、「毎回最高のモノを出しちゃだめだ。本当に面白いのは4回に1回くらいでいい(←回数はうろ覚え)。」と言いました。このことは4回に1回は最高におもしろいものを生み出せる自身と実績と能力があって言える、すごい言葉だと思います。

私自身はアゴ祭りの、なんとも形容しがたいドタバタぶりとTBSの格闘技(プロレス?)へのドロナワ式対応振りを批判したくてレポート書いたのですが、結果は15%という歴史的超高視聴率。私の完敗です。紅白のウラで、15%を取れる番組なんて基本的にありません。つまり格闘技をさらに超える大きな「ブック」として考えた場合、あれは大成功だった訳で、クオリティの高さと結果が一致しない、典型的なものだったと思います。

テレビではスマップ番組全盛で、とにかく冠に「SMAP」さえ入れときゃバカでも視聴率取れるというのが定説(懐)であり、「ジャニーズお笑いも制覇!」なんて特集が週刊誌に出ました。ホントですか?
浅草キッドがどんなに作りこんだ漫才やってもそれを流す番組がない、流せたとしてもスマップの視聴率の前には、それは「興行的に」勝てないんでしょう。DTチームが練りに練ったコントですら、定番で流せる番組はもうありません。

ノリリン先生の紅白論文で、私の中の寝た子を刺激されました。ブランドマネージャーが、広告主として広告計画を立てる際、広告代理店が機械的に出してくるGRPベースの出稿表をそのまま鵜呑みにして、広告を出していると言う現実が、こうした芸術破壊の元凶だと、私は信じます。どーせほとんどのブランドマネージャー連中なんて、ろくにテレビなんて見やしないし、テレビ見ないことがインテリの証という稚拙なカン違い野郎(女性も多い)ばかりですから。(私も昨年夏、スマスマに1回でいいから広告入れてくれと、AEに泣いて頼んだ(爆))
例えば観戦記掲示板で語られていることの100倍くらいに希釈したハナシなどをそーゆー人たちとすると、「わー、生首さんキツイですねー」なんて言われるほどの超ヌルマ湯レベル。私は仕事上、お笑いとかに興味ない男として通っています。(だって、ナイナイとかロンブーとかの話出来ないんだもん)

日本の文化レベルを上げるのには広告主の責任は重大であり、文化レベルを上げることはプロレス・格闘技の質的向上に貢献すると信じます。ノリリン先生の論文、すごく大事ですよ。




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