プロレス暗黒史シリーズ(1)貴方の知らない世界
「呪われた恐怖と哀しみのプロレスラー、フレンチ・エンジェル」
■投稿日時:2001年12月25日
■書き手:(´∀`)

「リングの中にいる時だけ、私は自分が奇形児である事を忘れる事が出来る」
                             フレンチ・エンジェル


「な、なんだあの男は?!」「か、怪物だ〜」「き、気持ち悪い・・・・・」「人間じゃない・・」
時は1940年1月27日、場所はアメリカはボストン、一人のプロレスラーがデビューした。

 否、非現実を売りにしているプロレス界においても、その異形な容貌は通常のレスラーとは言えないかもしれない、極端に肥大化した頭部、手足、四頭身のそのレスラーの顔は醜くひしゃげ、西洋の邪悪なる小鬼ゴブリンが現実に現れた様な恐ろしい容姿は、およそ人間では無く、ボストンの観客たちの度肝を抜くには十分だった。(顔はこちらを参照

 逃げまとう子供たち、失神する女性まで出る始末・・・会場はパニックになる。そんな中、リングアナウンサーのこの新人プロレスラーへの紹介コールが会場に鳴り響いた。

「諸君、この男は本名はモーリス・ティレといい、ニューヨーク州立大学を卒業後、バッファロー地区の判事を務めていたインテリである。だが、あるとき子供殺しの女囚に死刑を言い渡したが、その女囚が電気椅子のうえで”判事のティレにのろいをかけて、ネアンデル・タール人のようにしてやる!”と絶叫した。そして女囚が処刑された直後にハンサムだったティレの髪の毛は抜け、顔もまさに猿人のように醜くなったのである!」


 ああ、恐ろしや女囚の呪い、人生に絶望したこの男は、この憎しみを叩き付けるべく、プロレス界に乗り込んできた、その名もフレンチ・エンジェルとなって!(一龍齋貞水風で)

このプロレスラーこそ、20世紀最大の怪奇派レスラーと言われ、かつ、日本プロレスマスコミが絶対に記事にしなかった(*)幻のレスラーフレンチ・エンジェルである。


 光があれば、闇がある、表があれば裏がある。(漫画サスケのさわりではないよ)基本的に歴史などは、その時代の権力者、実力者によって改竄されるものだが、日本のプロレス界も同じである。

 諸外国(アジア)から避難されたまるで第二次大戦中の日本軍の様な歴史改竄がまかり通っている。

 先日のミスター高橋の書籍で遂に日本のプロレスも全試合、筋書きがあるショー(見せ物)であると証明されたが、日本のプロレス界は他の競技スポーツと同じ「真剣勝負」である様に嘘をつく事により、成り立ってきた。そのつじつまを合わせる為に嘘を嘘で固め、その結果、ある種の全く持って一般から見て特殊な報道を繰り返してきたのが日本活字プロレスマスコミだろう。

 例えば、お客様のためにやむなくショーマン化したが、実はかつてはプロレスは真剣勝負だったなどと嘘のイメージを植え付ける為に、昔はシュートっぽいレスラーしかいなかった様に報道し、その結果、古のガス灯時代のプロレスがどうだの勘違いを熱弁するプロレスファンが未だに後を絶たない。

 しかし実際は日本で「プロレスの神様」など崇め奉られているカール・ゴッチなど、実際はトップ選手でも無く、実際に昔からプロレス界を支えてきたのは、骸骨男だの原始人だの、ヘビ男だの巨人だの小人だののフリークがあふれる見せ物小屋(サーカス)を十分に意識したレスラー満載で、最初から現在まで、筋書きのあるショーでありエンターティンメントこれがプロレスなのだ。

 ある意味大仁田の言う、プロレスは見せ物小屋、これはまったく正しいのである。

 そこで、今回より不定期に日本では報道されない、プロレス界の暗黒史を紹介していくコラム、これが「プロレス暗黒史」である。そして記念すべき第一回では、この見せ物小屋の頂点に立つ、プロレスラー、フレンチ・エンジェルに関し、出来うる限り詳しく述べていきたいと思う。


 フレンチ・エンジェル、本名はモーリス・ティレという1940年代から50年代にかけて世界中で活躍したプロレスラーである。彼の異様な風貌は、勿論、上記の女囚の呪いでそうなった訳では無い。彼は重度の末端肥大症だったのである。私は医学には詳しく無いのでキチンと説明出来ないが、要するにホルモンの分泌に異常をきたし、両手、両足そして頭部がどんどん肥大していく病である。

 実はこの末端肥大症、プロレス界と実に縁の深いもので皆様にはおなじみのアンドレ・ザ・ジャイアント、そしてジャイアント馬場も末端肥大症である。

 「人間離れ」が売り物のプロレス界ではこうしたフリークはドル箱になるのは今も昔も変わらないと言う事だろう。ただそれでもアンドレや馬場の時代には末端肥大症の特効薬や治療技術が進んでいた事と、さらに彼らがしっかりと試合も出来たため、普通の人間・・いやある意味スーパースターとして人生を送ることの出来たアンドレや馬場と、見せ物として一生を終えた上記のフレンチ・エンジェルとの違いかもしれない。

 それでは彼の数奇な運命を辿ってみる事にしよう。

 1903年10月23日にロシア、ペテルスブルグにてフランス系の両親の息子として生まれたモーリス・ティレは裕福な家庭に生まれ、すくすくと成長した。しかしそんな彼に悲劇が襲ったのは17歳の時、突然、重度の末端肥大症に冒されたのであった。

 日に日に肥大していく頭部、手足と我が子が化け物になる様に、母親はノイローゼになり、やがて自殺してしまう。

 更に悲劇は続く、今度は父親も世の中に絶望し、蒸発してしまうのであった。あわれ、一人残されたティレ少年はその異様な容貌を生かすしか生きるすべが無く、フランスはパリ郊外の見せ物小屋に売り飛ばされ、見せ物として生きる事になる。なんとも恐ろしい呪われた運命である事か。。。。

 そんなティレ少年に転機が訪れたのは1938年、フランスにアメリカのプロレスが遠征し興行を行ったのであった。そんな中、その興行に来ていたレスラー、カール・パジェロはティレの存在を知り、彼に見せ物小屋にいるより、アメリカに渡りプロレスラーになる事を進める、その誘いにのったティレはアメリカに渡り、翌年、ボストンでデビューしたのであった。

 デビューと同時に、皮肉にも彼のその異常な風貌は見せ物レスラーも十分ビジネスとして成立するプロレス界では大人気となり全米各地はもとより欧州などでも引っ張りだこ、ネットで調べた記録でも1950年代のスペイン遠征にも名前を連ねていたので、その人気はかなりのもの、トップスターだったらしい。

 勿論、パリの見せ物小屋にいた彼はまったく格闘経験など無く、プロモーターも観客も彼のレスリングに期待していた訳では勿論無く、観客はその容貌、怪物ぶりを半ば怖いもの見たさで会場に足を運んだのであった。

 彼のプロレス界での扱いは、「プロレス・スーパースター列伝」のアンドレのエピソードのアンドレのフランス時代を見てもらえば、そのニュアンスが伝わると思う。若手レスラー数人を相手に半ば怪物と人間の戦いと本人から言わせれば惨めな役割だったと言う。

 しかし彼には

「プロレスのマットに上がってる時だけが、唯一彼と世の中を繋げる接点であった」と聞く

 もしかすると安らぎの場であったかもしれないのだ・・・・

 それが冒頭のフレンチ・エンジェルの台詞となっているのだ。

 彼はその後12年間、皮肉にもスターとして君臨し、52年に引退、54年には心臓麻痺で永眠した・・・・と言われているが、別の説として57年に試合で足を骨折して引退、姿を消すが、数年後セントレーレンス川でその遺体が発見されたとも言われている。

 まあ、川に浮かんだと言うのはプロレス界によくあるギミックであると思われるが、いずれにしても世間的には短い恵まれぬ生涯だったと言う事だろう。

 まさしく呪われた一生、しかしプロレスとはこういった悲劇の怪奇派などもいるから、興行として成立している事も決して忘れてはならないだろう。

*:実は、過去に一度だけ流智美氏が週刊プロレス誌上にて1ページほど取り上げたことがあります。しかし、それをもって「当時の日本のマスコミが取り上げなかった=幻のレスラーである」という筆者の論旨は、なんら虚偽の無いものであることを付記いたします。(編集者注)

(第2回へ続く)





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