「メモ8の総合格闘技・言いたい放題」〜第1回 修斗の巻
■投稿日時:2001年12月22日
■書き手:メモ8(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

 総合格闘技の未来は暗い。

 ここそこの格闘技系の掲示板で、ウザいウザいと嫌がられながら延々繰り返してきたこのフレーズだが、どうもイマイチ伝わらない(勿論、心あるわずかな層には伝わっている実感もある)。だから、丁寧に書いていこうと思う。

 題して、メモ8の「総合格闘技・言いたい放題」。

 理屈ばかりを書いても、つまらないので、各団体の今年の総括というカタチを借りながら書いていく。まあ、総括にしたってどれほど面白くなるかは疑問だが。さらに、今まで、ここそこの板に書き散らしたこととの重複も多くなるけど、それは勘弁して頂戴。マトメることに意味があるので。

 まずは恒例の年末NKホール興行が終わった修斗から。

 修斗をひとつの団体、プロモーションとして、今年の総括をしようとすると、なかなか難しいことに気付く。あの選手がどうだったとか、あの興行はどうだったかとかは、いくらでも言えるのだが。

 ワークでしかあり得なかった筈の必殺技という概念がシュートでも成立することを見事に証明しつつ、圧倒的な強さを誇る小ノゲイラのファイトは、プライドしか見てないファンにも是非とも見て欲しいよなとか、その小ノゲにノンタイトルながら勝利した勝田のファイトスタイルのツマラナさこそが、総合の暗い未来を予感させるよなとか、「おれだけのゴーノ!」という素敵な応援をするファンはパンクラスには来なくて、最近は「おれだけのシコー」に転向しちゃったんだよなとか、パレストラの番頭はさすが元リングス営業だけあって現リングス営業と区別つかないよとか、五味がゾロゾロ引き連れてくるガキどもは心底ウザいとか。

 ん? これは総括じゃないですね。

 とにかく、総体としての「修斗」を、総括しようとすると、範囲が広すぎて、ホントに難しい。そもそも、修斗はプロモーションではなく、プロモーションであるのは、サステインであり大宮でありパレストラでありガッツマンだ。そして「修斗は団体ではなく競技」…。

 そう「修斗は団体ではなく競技」。修斗コミッションが執念深く繰返してきたこのフレーズ、おれを含めた多くの人間が「そんなこと実現不可能に決っているだろ」と言い続けてきたこの理念、驚いたことに、かなりの局面で、現実のモノになりかけているような気がする。

 別にこれ、論文じゃないので細かい例証は挙げないが、柔術や総合系のアマ大会の開催数、その参加人数の極端な増加、と書いておけば充分だろう。

 何だよ、柔術は総合じゃないだろ、問題は総合じゃなくて修斗だよ、と言われればその通りであるし、つまりは「修斗が競技として認知されつつある」のではなく、「総合格闘技という競技が認知されつつある」ということなのだが、その認知の過程おいて、修斗系のジムが果した役割は果てしなく大きいわけで。柔術もパレストラ主導といっていいしね。勿論、プライドのメジャー化というの相当大きな要因だと思うけど、今回はそれには触れない(プライドの回で触れることになるかもしれない)。先駆者はあくまで修斗であるわけだし。

 数多いアマ大会の開催。プロに進みたい者達への道順の明確化。クラスBが熱い闘いを見せる下北興行。回数は増やしても、そこそこ埋められた後楽園ホール興行。そして頂点としての、年2回の大箱興行。ピラミッド構造がキチンと出来上がって、しかも、ちゃんと機能してる。

 去年(2000年)の、12月のNKは素晴らしかった。練りに練った演出、誰もが納得のマッチメイク、交差するそれぞれの意思、驚愕のアップセット。シュート(修斗ではない)興行で、これ以上のモノは滅多に見られない。いや、おれはこれ以上のシュート興行を見たことがない。

 ちなみにこれ、マッハにも、宇野くんにも何の思い入れがなく、佐山嫌いが昂じて長年修斗嫌いであり、未だに修斗なんか応援する気のない、おれが言うんだから間違いない(まあ、今年も10回近くちゃんと自分でカネを払って生で見ていることだけは付記しておくけどね)。

 では、今年のNKはどうだったか。

 文句なしのマッチメイク(1点曇りがあるとすれば、マッハの相手だけだろうが、それ以外のカードは、現時点でこれ以上のカードは組めないという位のベストマッチ)。さらに練り上げられた演出も文句なし(パンクラスやリングスも少しは見習ったらどうだ、プライドにだって明かに勝っている。簡単に言えば、修斗の演出は、選手をどうすればカッコよく見せるかという基本に外さない。勿論過去の失敗に学んでいるわけだが)。

 それでも、NKは埋まらない。去年あれだけの興行をやって、今年も期待できるカードを出して、期待通りに演出も決めて、それでも2階席は8割強。

 現在の修斗のやり方では、これ以上、客を入れることが出来ないのだ。

 NKは入り難い会場だとか、あそこまで入れていれば充分じゃないかとか、見方は色々あるだろう。が、おれが言いたいことは、そんなことじゃない。

 2年ほど前に、某所でこう書いた。「トップになれば、サステインの社員になれるじゃ、あまりに夢がない」。

 肝心のここが変わってないんだな。勿論、おれは、誰と誰がサステイン(修斗協会?)と年間契約してるのかも正確には知らないし、マッハやルミナの年俸は多少は増えたのかもしれない。が、ライトヘビーのトップランカーに「修斗1本で生活したいんです」とリング上で号泣させ、それに応えることも出来ずに、パンクラスに移籍されてるようじゃ話にならない。

 んじゃ、郷野にリングの上で号泣させない為に、いや、シンプルに言って、もっと修斗が金儲けする為には、どういう方法があるのか。加盟ジムからの搾取をもっと増やすか(反発必至だなあ)。デビロックレベルじゃない大手の企業様の登場願って冠を仰ぐか(世の中不景気だしなあ)。思いきってヤクザと仲良くなるか(せっかくのオシャレなイメージが吹っ飛ぶなあ)。結局、どれをどっても一長一短、やっぱり基本は客を増やすことなんだよな。

 修斗が何も考えてないとは言わない。ここんとこでは、X−SPORTSとか言い出した。が、今のところ、いくら修斗側が「ウチはX−SPORTSだ」と言っても、X−SPORTSの側からは相手にされてないように見える。それ系のサイトをちょろっと覗いた感じだけどね。あっ、X−SPORTSってのは、あれね、スノボーとかスケボーとかBMXとか、ちょっとオシャレっぽいそれ系スポーツの総称なんだけどイマイチ概念がハッキリしない。やってる奴みんな馬鹿だしな。

 勿論、競技だなんて言って笑われていたのが、それを現実に近づけつつあるように、数年後に関係者の努力によって、X−SPORTSとして認められることもあるかもしれないし、その結果、競技人口も益々増え、ジムからのアガリ搾取も益々増えて、ウハウハなんて可能性もないではない。

 が、どうだろう。「週末スノボー行くか?」「おお行くか」という会話はX−SPORTSを支える重要な底辺であるけど、「週末ジムでスパーやるか?」「よし今週は負けないぞ」なんて会話は全然X−SPORTSじゃないし、成立しないわけだ。残念ながら、致命的に「総合格闘技をやること」にはX−SPORTSに必要なカッコよさがないのだよ。

 そもそもだ。スノボー好きな奴のどれだけが、競技としてのスノボー興行を見に行くというのだろう。興味を持つというのだろう。つまりは、X−SPORTSなんて概念は、その競技のプロ興行の観客動員には、ほとんど繋がらないのである。

 「修斗は競技なんだ、競技として広まれば、プロ興行なんてどうでもいいのだ」と言うのなら、それはそれで結構。確かに佐山はプロ化に反対だった(と聞く)。「修斗は競技」という理念としては、それが正しいのだ。

 が、人は霞を食っては生きていけない。

 「強くなりたい」という想い。

 修斗を、いや、総合を支える根本にある、やる側の「強くなりたい」という想いは、「有名になりたい」「金持ちになりたい」「ウマいもんをたらふく食いたい」「いい女とバコバコやりたい」というような、人間としての根本の欲望のひとつだ。極論すれば、だからこそ、修斗は「プロ化」をせざるを得なかった。根本的な成り立ちが、スノボーやサーフィンとは違うのだ。

 修斗は、総合格闘技は、ひょっとすると競技にはなるかもしれないが、絶対にやる側の娯楽(レジャー、趣味、まあ何でもいい、要はそういうモノ)にはならない。ならば、発展させたいなら、選手を食わす必要があるのだ。選手に夢を見せる必要があるのだ。そして、その為に見る側の娯楽にする必要があるのだ。サステインだってそれをわかっているからこそ、演出に凝るわけだろう。

 格闘技通信の朝岡が、前号で「バトミントンの雑誌はバトミントンのファンしか読まない。格通も格闘技のファンだけが読めばいい」となどという白痴以下の発言をしていた。こういう本物の馬鹿の「修斗は金魚マッチをやめろ」などと知能指数がマイナスな発言を鵜呑みにしてしまう修斗も修斗だ。金魚マッチは興行作りの基本。勿論、全試合金魚マッチにしろなんて言ってない。少しはモノを考えろ。

 そして今年のNK。

 若さの象徴である五味に圧倒され、ホイス戦での高田のように、下からセミのように五味にしがみつくルミナを見て、おれはルミナに涙した。修斗ブレイクの象徴。修斗のカッコよさをすべて体現する男。リスクを顧みず1本を狙う勇気を持った男。そんなルミナがリング上で見せた無様さに、おれは涙した。

 でだよ、あの「月狼ルミナ様@ノリカにパイズリさせました」が、自分より稼ぎが少ないかと思うと(多分)、益々泣けてくるのだよ。えーんえん。

 ルミナは勝つべきだったのだ。いや勝てないのなら五味に毒オレンジを盛ってでも勝たせるべきだったのだ。

 提言する。

 修斗よ、八百長をやれ(こっそりな)。

 それが出来ないなら、イヤならば、理想を追いたいならば…。というわけで、次回に続くのである。





本稿の著作権はすべてKANSENKI.NET及び「書き手」に帰属します。

戻る
TOPへ