第26回 日本古武道演武大会(後編)
■団体:第26回 日本古武道演武大会
■日時:2003年2月9日
■会場:日本武道館
■書き手:ヤス

〜後半〜
●演武観戦記
で実際の演武の順番は
http://www.nipponbudokan.or.jp/shinkou/html_1/main4_2.html
上記の順番で行われたので参考にしてみてください。そしてこの中でも特徴があった
柳生心眼流甲冑兵法(岩手)、示現流兵法剣術(鹿児島)、竹生島流棒術(長崎)、兵法二天一流剣術(大分)、沖縄剛柔流武術(沖縄)、二刀神影流鎖鎌術(高知)円心流居合据物(大阪)、柳生新陰流兵法剣術(愛知)、陽流砲術(福岡)の9流派についてレポートしていきます。演舞内容はレポートしたもの以外にも色々行っていますが、筆者が忘れていたり(ぉ)見た目から判断しづらいものは省略していますのであらかじめご了承下さい。また、流派の[由来]はパンフレットに掲載されていた記事を要約したもの、[流儀の特徴]はパンフから全文引用、[演武内容]が完全な主観のレポートです。細かい流派とかは書かず(書けず)見たままを書いてみました。

◆柳生心眼流 甲冑兵法
[由来]
1640年頃の仙台藩の武士、竹永隼人が奥義を極めた後、時の将軍家武道指南役、柳生但馬守宗矩に仕え修行して一流派を開き、柳生心眼流の名を許可されたと伝えられる。当流は伊達六十二万石仙台藩及び江戸藩邸でも広く学ぶものが多かった。無形文化財指定。
…伊達家との関係は不明。そもそも「竹永隼人が但馬守に仕えるのは時期的に合わない」という説すらあるが、流石にここでの考察は止めておく。

[流儀の特徴]
 柳生心眼流は攻撃ではない。相手の攻撃を持つ八点足、いわゆる無念無想の護身術で、相手の攻撃により初めて一瞬の間に、相手の術技を利用しながら諸武具を活用して、自分を守るため足手腰体を変化させて戦う技法である。

[演舞内容]
5番目の演武にしてようやく知った名前の流派に出会う。といっても漫画からだが。
「続きましては柳生心眼流の演武です」というアナウンスで演武者が入場するが、ここでわたしは心底驚愕した。なんと演武者全員が戦国時代の鎧甲冑姿で来たのだ!
「この平成の時代に、目の前で柳生心眼流の達人たちが甲冑姿で演武する」というあまりに現実離れした光景に感動すると共に「この時代にもこのような技術を伝えて訓練している人たちがいるのか…」と歴史の重さを感じずにはいられなかった。

 演武内容は[流儀の特徴]にも書いてあるようにカウンターが中心。相手が面を狙い刀を振った瞬間に小手(正確には親指を切り落とすらしいが)を打ち怯んだところに面打ち。あるいは上段斬りを避けそ相手の手を取り投げた後、懐の短剣で刺したり当身を入れたりもした。演武者の動きは甲冑をフル装備(兜もつけている)しているにも関わらず、非常に滑らかな動きであった。

 この後も他の剣術や薙刀等の流派が続くが、共通しているのは「集中して狙うのは小手や腋などの、狙いやすくかつ確実に重傷を負わせることができる個所」「相手の動作に対応して自分も動く。逆に「先手必勝」と思われるような技法はほとんど無い」という点であった。

◆示現流兵法 剣術 宗家:東郷重徳
[由来]
 示現流兵法は、東郷藤兵衛肥前守重位を流祖とする薩摩独特の兵法で、鹿児島県の精神文化に今日においても強い影響を与えている。重位四十四歳の時、薩摩藩第十八代太守家久公より、薩摩藩の剣術師範役を命ぜられ、家久公は重位を師として、示現流の奥義を極められ、また歴代太守も示現流の奨励に努められた結果、薩摩士風の振興に貢献するところとなった。
 さらに、第二十七代太守斉興公は「御流儀示現流」と称するよう命ざられ、門外不出となった。
 以来四百年余年、時世に迎合せず当初そのままの姿で一子相伝され、歴代の古文書(県指定有形文化財東郷家文書)と共に、現代第十二代宗家東郷重徳に伝承されている。
 また、平成九年五月一日に、示現流兵法所並びに資料館が完成、これまで門外不出とされ非公開となっていた歴代古文書等が一般にも公開されるようになった。

…要約すれば「四百年余年も門外不出だった非公開の古文書において伝承される一子相伝の剣術」という、漫画やゲームでも「無茶な設定だなあ」と思う由来である。だがこの示現流は現実に存在し目の前で演武している。正に「事実は小説よりも奇なり」

[流儀の特徴]
 示現流は「一太刀の打ち」といわれる。一太刀の激しい攻撃がそのまま防禦を兼ね、先を制す。何事を行うにも生死一如の真剣な境地を養うべき、古来生死の境の中でも真剣に行じてきた人達の「業の集積」「心の集積」として伝承されてきた形を稽古することにより、強靭な肉体と精神の鍛錬に努めるのが目標。

…上に「所謂「先手必勝」と思われるような技法はほとんど無い」と矛盾するようなこと書いちゃいましたが(苦笑)この剣術は例外として考えてください。「先手必勝」「一撃必殺」なんてのが特徴の流派は今大会においてはこの示現流ぐらいです。そしてそれは実際の演武内容にも如実に現れています

[演武内容]
 とある漫画に、示現流の説明として「一言でいえば敵に突進し、あらんかぎりの気迫をこめて振り下ろすだけの流儀である。その声猿(ましら)に似て文字に現すこと不能…」と描いてあり「いくらなんでも誇張しすぎだろ」と思っていたのですが…

 まず準備されたのは、倒れないよう支えのついた長さ1メートル強、太さ30センチほどの木の杭。しかし最も目を引くのが、その杭の状態である。まるで何か堅いもので何百回も叩きつけられたかのように、真中から徐々に削れている。極端に言えば砂時計のような形なのである。そしてその付近に置かれた10本ほどの木の枝。…枝?太さや長さは普通の木刀と同じぐらいだし、堅さも十分ありそうである。ならなぜ普通に木刀を使わないんだろうか?しかし、その謎は演武が開始されたとき解明された。

 まず演武者が枝を持ち杭の前に立った。そして大上段(剣先を真上に向ける)に構え、
「キエエェェ!!(という風にしか聞きとれなかった)」「ガシッ!」
「キエエェェェ!!」「ガシッ!」
「キエエェェェ!!!」「ガシッ!」
「キエエェェェェ!!!」「ガシッ!」
とまさに猿のごとき声で何度も杭に木の枝をものすごい勢いで連打しているのである。誇張ではない。むしろ描写不足ですらある。その証拠に、打ち込むたびに杭の周囲に木片が飛び散っていた。杭が削れているのはこのためであった。そして木刀ではなく木の枝を使うのも、「こんなに力一杯打ち込んでいたらすぐ木刀が壊れる。それならどこにでもある丈夫な木の枝を使おう」という合理的な判断から採用されたものだと想像できる。
幕末時代、新撰組の近藤勇が隊員たちに「薩摩の侍の初太刀だけは絶対に受けるな」とアドバイスした、というエピソードがあるぐらいです。確かに「刀で力の限り上段から滅多切りにする」なんてことをされれば反撃のしようが無いですな。

◆竹生島流 棒術
[由来]
 竹生島流棒術の流祖は難波平治光閑という人で、琵琶湖の竹生島弁才天を信心し長刀一流を夢想奉得した。今から八百余年前の源平合戦に出て、その長刀でよく働きを極めたが、戦いの最中に長刀の込本から折れ、柄ばかりになりながらも、その残った柄を長刀の手で使い大勢を討ち取ったという。これから棒を編み出した。

[流儀の特徴]
 八百余年の古い形そのままで敏速と手数の少ない極致の技で急所をつき、敵を倒さなければならない。その為には心と気合と技とが冴え、合体して棒を真剣以上に強いものに到達できるよう修練せねばならない。そして一本一本の極致を得て臨機応変、相手の出方に対処できる修行を要する。

[演舞内容]
棒を持つ方が攻めであり、木刀を持っている方が受けであった。型としては全てにおいて「太刀で斬りかかられた時にどう捌き、その勢いのまま攻めるか」に集約されていた。これは他の薙刀の流派でも同じであった。

 この棒術や薙刀術を見て感じたことは、「実戦においては太刀よりも薙刀や槍のほうが有利ではないだろうか?」ということである。理由は「間合い」だ。明らかに刀より薙刀の方が当る間合いが広い。これだけでも相当有利なのだが、薙刀及び棒術は刀で受けられても、その勢いのまま薙刀を180度回転させ、反対側の石突で攻撃ができるのである。懐に潜り込まれてもこの石突で払う型もいくつかあった。「戦国時代は太刀ではなく薙刀や槍が主武器であり、日本刀が発達したのは江戸時代になってからである」という説もどこかで聞いた事があるが、おそらく本当だろう。侍が携帯するには腰に下げられる二本差しに比べ、薙刀や槍はあまりに邪魔であり、女性の武器として継承されたと思われる。

…このことを書いているうちに「間合いの話はセーム・シュルトまんまだな」と思ったわたしはやはり総合好きが身に染みているようである。

◆兵法二天一流 剣術
[由来]
 兵法二天一流の流祖は、宮本武蔵藤原玄信である。これ以上の解説は「バカボンド」やNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」を参考にしてください(ぉ

[流儀の特徴]
 当流においては兵法は心の修行にあると説き、心が出来なければならぬ、心がもとだと説いています。また兵法は利方即ち悟りを開く方便だともいっています。心が出来なければ勝負には勝てないと言うのです。
 刀法の特徴は相手の剣を知って剣を見ず、即ち相手の剣がまだ動かない前を打って勝つ機前の太刀である。

…これも特徴を読む限りでは「先手必勝」な流儀に思えるが、実際の演武では「流打左:相手の面攻撃を左に流し、相手の面または小手を切る」など他の流派同様「相手の攻撃を流し、落とし、押さえた後に斬る」という型であった。

[演武内容]
 宮本武蔵の剣術=二刀流とイメージする人がほとんどだと思われるが(当然わたしもそう思っていました)演武内容は一刀で演武する「一刀太刀勢法」と、二刀流の「二刀太刀勢法」の2種類があった。
 「一刀太刀勢法」の型は、他の剣術流派と大きな差は無いように思えた。
 肝心の二刀流の「二刀太刀勢法」であるが、右手に普通サイズの木刀を持ち、左手に小太刀ほどの短めの木刀を持っていた。そしてその型は「左の小太刀で相手の剣を受け、捌き、流し、押さえた直後に右手の太刀で斬る」を基本としていた。しかし、漫画やゲームでたまに見られるような「二刀同時に相手に斬りつける」、というような型は見られなかった。まあ斬った後の体のバランスを考えれば当然か。

◆沖縄剛柔流 武術
[由来]
 沖縄剛柔流は宮城長順(1888〜1953)を流祖とする沖縄を代表する流派のひとつである

[流儀の特徴]
 沖縄剛柔流は剛柔呑吐といいまして攻防の技はすべて呼吸法で極まり、その呼吸法の鍛錬型は剛の「三戦」と柔の「転掌」という基本型がある。
 その三戦と転掌で徹底的に呼吸法を練り、呼吸と共に心身を鍛えるのである。体力の無い人には伝統器具でもって体力づくりを行い、攻防の技と強靭な精神と体力を向上させるために型の練習を徹底的に反復し、そして武道的気魄と人格を完成させるのが目的であ

…これだけ見ると、どこにでもある町の空手道場の宣伝と同じようなものだが…

[演舞内容]
 演舞内容は補助運動として、伝統器具を使用しての剛柔流独特の鍛錬法の披露と、百八手(スーパーリンペエ)という剛柔流の代表的な型、そしてカキエ(靠基)と呼ばれる組手を行った。伝統器具として、カメを握って握力を鍛える握甕などを演武者が行っていた。
 しかし、わたしは全く別の「あるもの」に注目していた。観戦している時に双眼鏡を持って細かい動作を見ていたのだが、この演武で「あるもの」を見てしまったのである。

 それはこの沖縄剛柔流代表(東恩納盛男)の「手」だ。

 観察した限りでは、両手とも骨ばったところが全く無く全体として太く、丸みを帯びている。そして手刀を打ち続けてきたためか、小指側の側面が青紫色をしていた。そして肝心の正拳を突く時に必要な、人差し指と中指の付け根であるが…巻藁を突くこと等によって丸みを帯びているのは分かる。しかしその色は拳では今まで見た事の無い色、

「灰色」

だったのである。拳が黒ずんでいたり赤くなるのは理解できる。しかし、どんな鍛錬を積めば拳の色が「灰色(実際にはかなり白っぽくなっていた)」になるのか、想像もできないし想像もしたくなかった。格闘技雑誌で空手家の拳を何度が見てきたが、拳ダコはあっても変色するまでの選手は記憶に無い。ちなみにこの代表の拳にも拳ダコはあったが、何度も潰れては治し、潰れては治しをしているうちに、ただの丸い跡になっていた。

◆二刀神影流 鎖鎌術
[由来]
 当流は、宮本武蔵玄信から二天一流を継いだ寺尾求馬助信行の弟子、新免弁助が開いた二刀神影流より発したもので、流祖は二刀神影流の達人であったと口伝えされている。

…正直由来はかなり怪しい。結局宮本武蔵とはほとんど縁も無く、流祖も不確定だし。

[流儀の特徴]
 剣の二刀流より変化したる武道であり、二丁の鎌を持ち、攻撃・防御共に有利性のある実践的武道である。

[演武内容]
 「鎖鎌」と聞くとほとんどの人が「鎌の柄の根元に長い鎖分銅がついてあり、右手に鎌を持ちながら左手で鎖分銅をビュンビュン廻している」という武器を想像するだろう。現にわたしもそのような武器をイメージしていた。しかしこの流派ま全く違う斬新な鎖鎌を完成させたのである。それは
「鎖分銅を柄の根元ではなく、柄の頭、つまり鎌の方につける」
というものである。これならば片手で鎌を構えつつ鎖分銅も同時に操れる画期的な武器である。しかも左手にはもう一丁の鎌を持っており、これにより攻守のバランスが取れているのである。
 実際の演武は、鎖鎌(もちろん演武用に鎖の代わりに紐、分銅の代わりに柔らかい重りがついたもの)の分銅を振り回し、相手を間合いに入れ無いようにしている。そして一瞬の隙を突いて相手の脳天(無論防具はつけていたが)に分銅がきれいに当った。これには会場からどよめきが上がった。また、鎖分銅を刀を持っている相手の小手に捲きつけ取れないようにした後、左手の鎌で相手を突き刺す型や、面を打ってきた相手の木刀に鎖分銅を捲きつけ、その勢いで木刀を飛ばすという型にも観客は多いに沸いた。

個人的に非常に気に入った流派であった。これなら猪木と竹薮で戦っても勝てるぞ(笑)そういえば今大会に「寛水流」の文字は無かったな(笑)何のことかは
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/2672/bookfolder/book-bn/book16.htm
を参考に。

◆円心流 居合据物斬剣法魄
[由来]
 戦国時代、北面の武士、速水長門守円心を唱導の祖とする。(由来書き写すのが面倒なのが露骨になってきたな(苦笑)

[流儀の特徴]
後ろ敵対象の技が多く、また突き技を至極とする。抜刀の際の送り鞘、引き鞘、納刀の際の迎え鞘に特徴を有する。

[演舞内容]
 20種類ほど抜刀の型を行ったが、その約半分の「一人で抜刀し、色々動きながら斬る型を披露し刀を鞘に納める」という型は、正直ほとんど違いが印象に残らなかった。ちゃんとそれぞれの動作に意義はあるのだろうが、パンフの演舞内容を見ながら出ないと理解できなかった。しかし、それぞれの型が非常に洗練されており、素人目にも「きれいだなあ」と思える高いレベルであった。
 また、一筋の竹や巻藁を実際に斬った演武はさすがに迫力があり拍手が沸いた。
『料理をするとき、包丁で何かを切るためには、押すのではなく引かなければきれいに切れない。それと同じように、日本刀を力任せに竹や巻き藁に叩きつけても斬れない。そのため刀で当てた瞬間引かなければあんなにきれいに斬れない…』
と前半部分で書いたわたしの前の席に座っていた旦那さんが解説しておりました。もちろんその時も子どもはGBAで(以下略)

 あと気づいた点として、よく時代劇漫画で見られるような「鞘から刀を抜いたそのままの勢いで相手を切りつける」という型は見られなかった(はず)。どんな抜刀の型でも
「抜刀」⇒「(一瞬でも)構える」⇒「斬るor突く」という順番を踏んでいた。やはり鞘から抜いた勢いのまま斬りつけるのは、不安定になってしまうからだろうか?

 またパンフの活動状況に書いてあった
「居合修行のネックとなるのが刀の入手難である。初手から真刀を用いるか否かでは、その心構え、技ともに、その差は歴然であり、出来る限り真刀使用の原則は崩したくない。最近の入門志願者には、居合刀、模擬刀使用もやむを得ぬかと許している」
と記載されていた。つまり今まで漠然と「刀」と書いていたものには
「真刀」「居合刀」「模擬刀」と様々な種類があるということなのだろうか?この辺り、刀そのものについて調べるのも楽しそうだ。

◆柳生新陰流兵法 剣術
[由来、流儀の特徴等]
前半部で引用したので割愛。もしくは「柳生連也武芸帖1〜4(連載中)」
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=07075296
を読んでください。つかこの漫画は本当に傑作なので是非読んで欲しい。こういう時代劇ものを読むが否かで、古武道やその流派に対する思い入れは格段に違うだろうと容易に想像できる。なぜならわたしがこの「柳生連也武芸帖」を好きで読んでいるため、
「おお、これがあの柳生新陰流か!」
「うわ、連也斎がちゃんと系譜に載ってるよ!」
「ああ!ちゃんと袋竹刀使ってる!!」
などと単純にワクワクしながら観戦していたからである。逆にこうした時代劇(幕末ものを含む)の世界観が合わない人にとって古武道の観戦は続かないのではないか、と思う。
[演舞内容]
 「袋竹刀」と呼ばれる割れた竹を革で包んだ、竹刀の元祖を、防具を付けずに打ち合うのが特徴。この時「合し打ち」と呼ばれる、お互い面を打ち合い、その時剣が触れると同時に相手の剣を若干横に流すことで、相手の剣は横に逸れ、自分の剣は相手の面に当てるという技法を何度も行っていた。この技法はさきの「柳生連也武芸帖」に載っていたままだったため素直に
「をを!実在したのかあぁ!!」
と喜んだ。この流派は他の流派と違い、思い入れ(と若干の知識)があるので非常に楽しめた。しかしこの楽しみは文面では伝えられないんだろうなあ…
 演武のレベル自体も完成された流派であるためか、非常に洗練されていた。

◆黒田藩砲術 陽術 抱え大筒 
第十五代家元:尾上大筒城祐(名前に大筒が…)

[由来]
九州筑前国五十二万三千石の福岡城主黒田氏の家臣阿部家に伝えられた砲術で、藩外不出黒田藩のお留め流として伝承された武術。

[流儀の特徴]
 陽流砲術即「心眼掌一致」、心と目当と手の内とか一体となって働く事の要を説き示したものである。「陽流砲術教歌巻」に指示がある通り、「しめ所両手一眼心意気、目当に星ののくは引金」「引くというな心に知らば、指も知り、まなこも知れば、つつも知りぬる」。
 常に作法を重んじ厳正な射技を行い、場所の状況により大音を発して、敵の戦意喪失を生じさせる。また人馬殺生には散弾元を使用。城門破壊、橋梁の爆破等など。

[活動状況]
 日本各地区、ただし火薬使用可能の公安委員会の許可のある場所にて射技の公開をなす(いやこの説明文が異色だったので載せてみました)

[大筒について]
大筒の外見は
http://homepage2.nifty.com/akizuki-kyoudo/pic25.html
こんな感じです。

[演舞内容]
 正直後半のその他の演武は飽きてきており、何度か帰ろうかと思ったがパンフの最後のこれが気になったのでじっと耐えていました。そして耐えただけのものが見れました。

 直前の流派の演武が終わると同時に、スタッフが東側の板貼ステージ全面に厚めのシート(後で考えれば防火シート)を急いで敷いていた。次いで演武者入場。5人ほどいるが姿は戦国時代の足軽を想像して欲しい。大筒は3丁。そして次のアナウンスがされた。
(全文を書き取らなかったので正確ではありませんが、意味的には同じようなことを言っていたと思ってください)

「最後の演武になりました。次の陽流は火薬を使いますのでたいへん大きな音がしますのでご了承下さい」

本当に火薬使うんだ。確かによく見れば、ステージ全面を囲うように消火器を持ったスタッフが待機している。その数7台。ずいぶん厳重だ。そしてアナウンスは続く。

「こちらとしても万全の準備をしており、まず安全では有りますが、『万が一のこと』を考えまして」

そして武道館中に響く声でこう言った。

「一階南西側にお座りのお客様は、全員移動してください」

・・・・は?

ざわつく武道館内。移動する南西側のお客さんたち。良く見れば南西側客席真下のステージに的がある。

・・・・当てるの?

いや確かに当てる気ならば、この厳重体制も理解できる。大筒を構えた演武者から的まで約40メートル。これで当てて的を粉砕すれば、今大会の締めとしては大成功だろう。しかし失敗すれば・・・

不安と期待が混じる中、演武者の準備ができたのか、大筒を持って構えている。消火器を持って待機しているスタッフたちは耳を塞いで構えている。
ついに師範レベルらしき演武者が「ヨーイ!」という掛け声と共に大筒に着火される。
間があく。時間にしては5秒も無かっただろうが、相当長く感じられた。そして

「ズガアァァーーーンっっっ!!!!」

[流儀の特徴]にあった「大音を発して、敵の戦意喪失を生じさせる」に相応しい爆音が武道館中に響き渡る。次いで一瞬遅れてステージ全体がうっすら煙で覆われる。どよめく観客たち。そして煙が晴れ、ステージを見ると

見事に粉砕され散っていた。

紙の弾が。

・・・・空砲かい!そりゃ実弾を使えば即銃刀法違反だわな。あの的はあくまで「目標」としての機能だけだったらしい。
 しかし観客は拍手喝采。続けて演武者は次に撃つ準備をするのだが、これがやたら時間がかかる。4.5分はかかっていた。戦国時代火縄銃を見て「こんな時間がかかる武器では役に立たない」といった武将がいたらしいが、まさかその意見に同意することがあろうとは思わなかった。ただそこは古武道、伝統の技法を使ってこそなので時間がかかるのも仕方が無い。そこに価値を見出してこその古武道である。そして二発目。今度は心の準備もできていたので、双眼鏡でじっくり準備している演武者の手元を見てみると

ライターで着火してた。

・・・伝統の技法はどこにいった!そりゃ火打ち石よりは安全確実に火はつけられるし、代わりに何で着火すればいいか問われれば返答できないが・・・もしかしたら見間違いで蝋燭か何かで着火していたのかもしれないが、あの火のサイズはライターかチャカマンとしか思えなかった。

そんな風に合計3発打ち、今大会は満場の拍手と共に無事終了した。


●まとめ
 今回のレポートで意識的に書いていない流派がある。それは「柔術」全般である。なぜなら普段PRIDEや修斗などの総合格闘技を好んで観戦しているわたしにとって、古流柔術の約束演武(受と打に分かれて、「後ろから組み付かれた場合の対処」「ふりかぶって殴ってきた相手の手を取り捻る」等)が「白々しい」としか思えなかったからである。当然だが古流柔術の演武のレベルが低いわけではない。むしろ演武者たちは全て師範代レベルなので、その技の洗練度、熟練度は目を見張るものがある。その動きから彼らが日々精進している事が容易に伺える。
 間違っているのは、「似ているから」といって目的(競技スポーツと武道)が違うものを混同して一方の基準だけで比較しているわたしの認識の方である。ただどうしても柔術に関しては「武道は武道、スポーツはスポーツ」と切り離して観戦できないでいたのが心残りであった。流石に武器を使う剣術や薙刀術は「これは別物」と切り離して楽しく観戦できたが。

 ふとこの構造は「プロレスと総合格闘技の『強さ』を混同している人たち」にそっくりではないかと思えた。つまり「エンターテイメント」が目的であるプロレスと「競技」を目的とする総合を混同している一部の人たちの考えはこれに近いのではなかろうか?これについて色々コラムめいたものも書きたいが、今回の「観戦記」としては相応しくないので、可能ならば別の機会で書きたいと思う。

 「観戦記」のまとめとしても、自分は古武道に関しては完全な素人の客、「マーク」なので「見たまま」を書くしかなかったが、柳生新陰流兵法は「柳生連也武芸帖」を読んでいたので非常に楽しめた。「秘伝」などを定期購読したり、他の時代劇に興味を持って由来や流派や人名について知識をもっていればもっと別の楽しみ方ができただろう、と少し残念に思えた。

 次回 第27回 日本古武道演武大会は2月15日(日)に日本武道館で行われる。その時までにもう少し知識をつけ、もっと楽しく観戦しようと思った。




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