第26回 日本古武道演武大会(前編)
■団体:第26回 日本古武道演武大会
■日時:2003年2月9日
■会場:日本武道館
■書き手:ヤス

●入場まで
会場はこの大会に真に相応しい日本武道館。10時半開始だが10時40分ごろ到着。
普通の興行なら橋の付近にダフ屋の兄ちゃんが「チケットあるよー」とか言いながらたむろしているのだが、
この日ばかりは1人も見かけない。まあチケットが一般500円当日券のみでは当然か。

そのまま何事もなく受付でチケットとパンフレット(500円)を買い入場。係員の誘導で2階席に向かうが
、その途中の廊下で物販を発見。売り物を見てみると書籍が中心で「季刊 秘伝」のバックナンバー、「嘉
納治五郎師範に学ぶ」「剣の道 人の道」「ビデオ 日本の古武道(収録時間はどれも30分程度)」が
80タイトル等この大会ならではの作品が並んでいた。正直「こんなん誰が買うんだ?」と思っていたが、
大会終了後そこに人だかりが出来ており驚愕。よくよく考えれば「WWE代々木大会の物販でHHHのTシャツ
を買うために行列が出来る」現象と同じ構造なんだと納得。

●会場の様子
 全席自由席のため3階側南西の前から2列目に座る。会場の様子としては、まず北側全部を潰し濃紺の
垂幕を吊り下げ、その中心に日の丸が飾られていた。その真下の1階アリーナ席に主催者側の席があり、
両脇に来賓の席が造られていた。ただ来賓の席は40席ほどあったが最後まで4割弱しか埋まらなかった
のが気になった。主賓や来賓の席に有名人や格闘家は発見できず。おそらく著名な武道家等はいただろう
が判別できなかった。

 そしてステージ中央を見ると2面構成になっており、東側が板貼り、そして西側が畳張になっていた。
この構成を見て一瞬「有明コロシアムの闘龍門JAPANvsT2P全面対抗戦か?」などと思ってしまったが、
単に剣術、居合術、薙刀術、鎖鎌術等が板張の上で演武を行い、受身を必要とする柔術の演武が畳の上で
行われるためでした。

 次に客席のほうを見まわすと、1階席は8割以上は埋まっており、その1階席の最前列の人たちのほとんど
がビデオカメラを用意する熱の入れよう。2階席は最終的には3〜4割のまったりムード。結局5.6000人ぐ
らいは入ったと思われる。これが年に1度の全国大会として多いかどうかは分からないが。

 気になったのが来ていた客層について。男女比率が9:1なのは理解できるんですが、その年齢層や風貌が
面白いぐらいにバラバラ。60代ぐらいの関係者と思わしき人もいれば学生のグループもいる。外国人も
何十人も来ていた。逆に「いかにも」なごっつい体格の人は「格闘技の興行」として見れば奇妙なぐらい
少なかった。他にはカップルや子連れ夫婦も数組いました。現にわたしの前に座っていたのは子連れ夫婦
(旦那は茶髪ロンゲ)。しかもこの旦那がやたら武道に詳しく「あの技がどこが凄いか」を熱心に奥さんと
子供さんに語りかけていました。でも子供さんはGBAのポケモンサファイアに熱心のご様子。

●パンフについて
 表紙は兵法二天一流剣術の演武の写真。裏表紙はなぜかDole100%ジュースの広告。その他パンフの中の
広告としては「日本の古武道」ビデオ各巻9800円+税の一覧。天然理心流剣術(近藤勇が習得した剣術)の
ビデオなんてあるんだ、などと感心する。その他は国際武道大学の広告や「(財)日本武道館発行 珠玉の
武道ライブラリー」の広告ぐらい。表紙カラーでB4 60ページもあるパンフなのに、500円で売って採算
取れるのか?などという疑問は表紙を捲ってすぐに解決した。1ページ目の左に太字で

「国庫補助対象事業」

と書いてありました。税金使ってるんかい!そりゃ入場料500円という破格なのも納得。
細かい情報としては

主催:財団法人日本武道館 日本古武道協会
後援:文部科学省 朝日新聞社 NHK
協賛:日本武道協議会 全国都道府県立武道協議会

さらに細かい情報としては大会役員一覧があるんですが、流石に全員の名前を書いたりしません。ただ顧問
らが(理事や会長として)いる団体が興味深いので書き出してみます。

(財)日本武道館
(財)少林寺拳法連盟
(財)合気会
(財)全日本柔道連盟
(財)全日本弓道連盟
(財)全日本なぎなた連盟
(社)全日本銃剣道連盟
(財)全日本空手道連盟
(財)全日本剣道連盟
(財)日本相撲連盟
日本古武道協会
日本武道協議会
文部省科学省 スポーツ・青少年局長

…武道ってこんなに連盟があるんだ。ここにK-1や総合格闘技が食い込むのは数十年は無理だろうなぁ。
そもそも目指す方向が違うから食い込まなくても良いのか?でも形だけでも「(財)キックボクシング連盟」
や「(財)総合格闘技連盟」として一致団結してもらいたいと一ファンとして思うのであった。

●パンフの各流派の紹介について
 当然パンフのメインは演武順の出場流派紹介です。形式としては一流派1ページで右上に太字で「流派」
その真下に現在の宗家(代表や総務長の場合も)の顔写真と名前、本部の郵便番号、住所、電話番号が記載
されています。そして練習風景の写真が一枚。
肝心の共通する内容は「由来」「系譜」「流儀の特徴」「演武者」「演武内容」「活動状況」「稽古場及び
支部」が載っています。例として「柳生新陰流兵法」を引用しますと

(引用開始)
『柳生新陰流兵法 剣術』宗家:柳生延春厳道 
[由来]
 室町末期、上泉伊勢守信綱は愛洲陰流よる『転(まろばし)』を工夫して新陰流を創始した。信綱に師事
した柳生石舟斎宗厳は「無刀の位」を開悟して第二世を継いだ。宗厳五男の宗矩(江戸柳生の開祖)は徳川
家康に仕え、将軍秀忠、家光の兵法師範となり剣名を天下に高めた。次いで十兵衛三厳(柳生十兵衛)、宗冬、
宗在と伝えたが、江戸後期には惜しくも兵法から遠ざかった。
 一方、宗厳の長男厳勝の子、兵庫助利厳(尾張柳生の開祖)は祖父石舟斎の薫陶を受け、異才が開花し第
三世を継承した。元和元年(1615年)に尾張藩主徳川義直の兵法師範となり、太平の時代に即応する「直立つ
る身」―自然体―の兵法を確立し、上泉流祖依頼の剣の理と刀法に根本的な改革を加え、当流を大成した。
利厳の子、連也厳包(柳生連也斎)も天才的な達人で「尾張の麒麟児」と称えられた。当流は尾張藩の
「御流儀」と尊ばれ、道統は尾張柳生家代々の師範と尾張藩主徳川家の協力によって正しく伝承されて、
第二十一世宗家柳生延春厳道に至っている。

[系譜]
上泉信綱―柳生宗厳―柳生利厳―徳川義直―柳生厳包―徳川光友―徳川綱誠―柳生厳延―徳川吉通―柳生
厳儔(としとも)―柳生厳春―徳川治行―柳生厳之―柳生厳久―徳川斎朝―柳生厳政―柳生厳蕃―徳川慶怒
―柳生厳周―柳生厳長―柳生厳道

[流儀の特徴]
 心身ともに「無形の位」を本体とし、千変万化する相手を明らかに観て、その働きに随って無理なく転変
して勝つ自在の刀法、即ち活人剣である。太刀を全身の働きにより伸び伸びと遣い、刀身一如、臨機応変、
自由活発に働く神妙剣を目指している。流祖以来の剣理と刀法が正しく体系的に完備している。

[演武者]
打:渡辺清和 使:柳生耕一
打:葭谷 努 使:松原博英
打:柳生延春 使:平野宣昭

[演舞内容]
一、三学円之太刀
 上泉信綱草案の当流の代表的な太刀の一つである。「一刀両断」「斬釘截鉄」「半開半向」「右旋左転」「長短一味」の五本から成り、「待」の剣理を具現したものである。
二、試合勢法
 尾張柳生独特の刀法で、徳川中期に作られ、基本的なものから実践的なものなで多種多様にして百数十本
ある。
三、燕飛之太刀
 上泉信綱が愛洲陰流の「猿廻」より発展させ、「燕飛」「猿廻」「山陰」「月影」「浦波」「浮船」の
六本の太刀として完成した。これを序・破・急の調子により連続して遣う。懸・待・表・裏の刀法が円転
滑脱、流れる如く自在に展開する。

[活動状況]
 「柳生会」により当流の弘流に努めている。稽古場は名古屋を中心に東京、大阪にて定期的に実施して
おり、柳生延春師範の指導が得られる。なお、毎月一度古来伝承されている兵法口伝書についての講義を
行っている。東京は第三土曜日[二時〜四時]中野区上高田地域センター。名古屋は熱田神宮内龍影閣にて
第一土曜日[七時〜八時半]、大阪は第四土曜日[四時〜五時]豊中市武道館「ひびき」である。

[稽古場及び支部]
○名古屋柳生会
名古屋枇杷島スポーツ・センター 毎週木曜日七時
サン・ライフ名古屋 第一・第三月曜日七時〜九時
名古屋市総合体育館 第二・第四月曜日七時〜九時
○東京柳生会
中野区立体育館 火曜日六時半〜九時 日曜日午前九時半〜十二時
安城正武館 水・金曜日八時〜十時
岩倉市総合文化センター 第四日曜日
三重県東員町武道館 第二・第四土曜日
○関西柳生会
豊中市武道館「ひびき」 土曜日一時〜四時
(引用終了)

・・・と膨大な情報量になっています。さすがにこれを35流派分書くのは無理なので、演武観戦記に必要
な分だけ情報を書こうと思います。しかしこのパンフレット、資料的価値なら他のどんな大会のパンフ
レットより段違いに高いんじゃないだろうか?これで500円ならもう2、3冊ほど買っておくべきだった。

●演武とは
演武そのものについては詳しく書かれたサイトがあるのでそこをリンクしておきます。
http://www2a.biglobe.ne.jp/~manjikai/enbu.htm
上の解説は少林寺拳法の演武についてですが、古武道の演武もそう大きな差は無いと感じました。剣術や
薙刀術など武器(木刀等本当に当ったら大怪我をする武器を使ってます)を使った組み手演武は脳天や小手、
腋という急所を狙って寸止め、という流れでした。その際必ず「攻撃する側」と「技を受ける側」に分かれ
るとが全ての演武の特徴です。個人的な理解として「まあ武器を使うのは寸止めにしないと、相手が確実に
死ぬからこういう方法なんだろうな。というか死なすために武術があるのか」と感じました。

●演武の形式について
各流派共通する形式として
・どの流派も演武時間は8分間
・演武者入場の時に、パンフに載っているその流派の由来がアナウンスされる。
・演武中は電工掲示板に流派名と種類(剣術、柔術など)、演武者の名前が表示される。この時演武者の
名前の上に「免許皆伝」「免許」「師範」などの肩書きが添えられる。
・演武内容はパンフに載っている[演舞内容]をそのまま行う。時々簡単な解説がアナウンスされるが、
基本的には黙々と(キエー!等の掛け声はほとんどの流派で叫んでいたが)演武を行う。
・終了すると北側の主催者側を向いて正座(蹲踞と言うべきか)し一礼。観客の拍手で退場する。そして
間を置かず次の流派のアナウンスが始まる
・とこれを35流派連続して行われた。休憩は無しに。

…10時半〜15時半まで、と昼を挟んでいるのに休憩時間一切無し。これは主催側の致命的なミスである。
仕方なく演武と演武の合間に急いでトイレに行くぐらいしかできなかった。昼食も当然食べれず。

もう一つ致命的なミスは、どの流派の演武内容にも解説を加えなかったことであろう。当然パンフレット
には[演武内容]が載ってはいるが、それ以上のアシストは一切無し。「次に行います技はパンフレットに
あります『巻返』であります」等というアナウンスなどが全く無かったため、今行っている演武が何である
かは、自分でパンフを読み返さなければ知ることが出来ない。
これは「演武」が持つ性質を考えても非常に不適切であった。確かに8分間しかない演武時間に一々「この
技は〜」などという解説を入れてしまうと、一つや二つの演武で時間切れになってしまう。逆に全ての演武
内容に解説を入れてしまうと何時間あっても足りなくなってしまう。そのため、解説をパンフに載せるだけ
にしたのは理解できる。
しかし、実際の演武だけで「この技の一連の動作がどんな意味を持っているか」を一瞬で理解するのは
(少なくとも知識の無い素人のわたしには)ほとんど無理なのである。

例えば鐘捲流抜刀術(系譜の中に佐々木小次郎の名前がある)という流派の演武内容は、素人の私から見ると
「刀を抜き、色々な方向に刀を振っている」ようにしか見えない。しかし、パンフの[演武内容]を読むとその
動作が

・後浪方返
刀を抜きながら前面の敵を牽制し剣先が鯉口を離れる瞬間反転して後方の敵を刺撃する。

という意味を持っているらしい。これを動作だけで理解する(しかもこの演武は組み手ではなく一人で行わ
れた)のは至難の技である。これに比べれば「他の格闘技に比べて分かりづらい」とされる総合格闘技の
いかに見やすいことか。

そのため演武内容観戦記は、見た目に分かりやすい流派のみに絞ります。

でその観戦記は、長くなったので後半に続きます(ぉ


●古武道について 以下は「第26回日本古武道演武大会」の公式パンフレットに載っていた古武道の概略を引用したものです。 
古武道の前提知識としてどうぞ(わたしもこれを読むまで知らないことばかりでしたが)

 古武道の流派の発生時期については、平安時代末、すでに流派が成立していたという説もあるが、戦闘
技術としての武術は、弓術、剣術、槍術などの個々の武術ではなく、戦いの場に必要ないくつかの戦闘技術
を合わせた総合武術であった。それが分化して単一の武術に重点がおかれて修行されるようになり、室町中
期から徳川初期にかけて流派が発生する。しかし、弓術、馬術は、それ以前に、また十五世紀に入って剣術、
槍術、柔術が流派的芽生えを見せるが、流派として確立したのは、十六世紀の慶長初期以降であるといわれ
ている。

 古武道流派の発祥の地として有名なのは、鹿島・香取である。大利根を挟んで鎮座する鹿島神宮・香取神
宮は両者とも武神である。この両社を中心に武術が栄えた。「兵法は東国から」といわれているが、この東
国とは鹿島・香取の地をいうのである。鹿島新當流・香取神道流がこれである。

 初期の室町時代には、中条流の祖、中条兵庫助とか陰流の愛州移香斎、香取神道流の祖である飯篠長威斎、
塚原ト伝などの強力かつ天才的な武芸者が、各地を武者修業と称して巡回指導したため諸流派あるいはその
分流、分派が、各地に派生した。

 徳川中期以降、幕府の藩制が確立されるにともない、諸国の大名、小名がすぐれた各流の武術かを競って
雇い入れ、自藩の武術市販として家臣に武芸を奨励したため、その藩(地域)に定着した流派も多くある。
また、藩主が他藩への流出を禁じた、いわゆる藩外不出の「お留流」の流派もある。このようにして武術
流派は、江戸時代末期には弓術五十二・剣術七百十八・槍術百四十八・柔術百七十九(異名同流を含む)の
流派があったといわれている。これらのおびただしい数の流派が全国各地に伝承されたが、分流、分派、
亜流は次第に消滅し流名のみを残しているものが大多数である。現在、その道統の正確性は別として、伝承
されている武術流派は大胆な推定であるが、500流派程度ではなかろうかと思われる。

 現存している流派は、図(注:パンフには地図とその地域の流派一覧が載っていた)にあるように、必ず
しもその土地で発祥し、そのままその土地に伝承されている流派ばかりだけではなく、流派の継承者が現在
その土地に居住しているという流派もある。発祥地と同一地域に現在も伝承されている流派としては、鹿島
新當流(茨城県鹿島)、天真正伝香取神道流(千葉県香取)示現流(鹿児島)、竹内流(岡山)、小笠原流
弓馬術(鎌倉)、馬庭念流(群馬県高崎)タイ捨流(熊本県)、尾張の柳生新陰流などの有名流派がある。
これらの流派は、系譜も道統もほぼ完全な形で連綿としてその道統を伝えている日本の代表的な流派である。




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