初めての修斗・下北大会生観戦雑感
■団体:修斗
■日時:2002年4月21日
■会場:北沢タウンホール
■書き手:ひろた@福岡
修斗とはSHOOT。

私が生で見ていた頃のSHOOTは、まだ私と変わらない体格の
兄ちゃんがリングでドタバタやっているという印象しかなく、
打撃や関節が繰り広げられているリングを、後楽園ホールの南側で
"踏ん反り返って眺めている"私には、彼等にプロ選手の色気は
感じ得なかった。
川口、大原、山田、桜田、草柳…。
中井や朝日はその後の逸材という記憶…。

VT或いはヒクソン・グレイシーと交わり、強さの証明としての
格闘技という点でその足元が揺らぎ、VTとアクセスして
SHOOTは修斗になった。
ヒクソンは去り、佐山が去り、私が見ていた彼等は指導者となり
(全員ではないが)、選手も様変わりした。
ジムは増え、競技人口は増大し、現在の総合ブームにおける
一翼を担ったのは、佐山以後に残った人達の尽力の賜物だろう。
修斗は競技であり、総合格闘技の一団体ではないことを、何時の間にか
自はともかく他も認めるところとなっていた。

そんなわけで私にとって、修斗になって初めての生観戦です…

*****

4月21日(日)修斗・下北大会雑感

<会場について>

まずはこの北沢タウンホールという観客4〜500人程度しか入らない
会場が、現在の修斗クラスB大会には丁度いいキャパシティだと思う。
この日は、昼間にアマ修斗を開催していたようで、会場には現役及びその
関係者が所狭しと徘徊していた。(恐らくパス付き及びその関係者は客の7割強)
試合開始時には満員。
地方の格闘技興行にありがちな、少々訳ありな輩はいない。
客は各々、修斗という競技に深い愛情と共に、技術や選手への共通理解力が高い。
まるで演劇をみているような心地よさが、一見の私にも伝わってくる。
恐らくは4〜500人という人数も、この心地よさに寄与しているのだろう。

試合が始まれば、そこかしこから声が飛ぶ。
「そこはパスしよう」
「右足抱えて」
「グランド拘らなくてもいいよ!立ってもいいよ」
「時間がないよ!殴っていこう!」
 etc.etc.
ここで試合を見ていれば、そりゃ観客の目は肥えていくはずだ。
なにせ現役選手が、それぞれの技術をベースに解説してるような
ものだから。彼等の声で、リング上の選手の状況や、複数の選択肢が
解かる。
会場中に響き渡る無数の技術解説を聞く喜びを感じた。

<試合について>

昨年後半より、少しずつ現在の修斗に対する不満のコメントが
「うしさん」の観戦記に記されてくるようになり、あの3月15日に爆発して
いた。しかもその最たる原因に対し、特に対策を施してはいないようだった。
そのため今回の生観戦に際し、「こりゃ、あまり期待しないほうが得策か」
と覚悟はしていた。
しかし嬉しいことに、その心配は杞憂に終わってくれた。
勿論、前述の会場を包む心地いい雰囲気によるところもあるが、
それだけではなく、出場選手がそれぞれの個性を試合に反映していたように
感じられた。

* ****

そもそも修斗(総合)とは、戦い方に選手の個性が反映され易いはずだ。
なぜならば、殴ってもいい、蹴ってもいい、投げてもいい、絞めてもいい、
極めてもいい…。有効な攻撃が多種に渡っている。
選手の最終型はオールラウンドになるかもしれないが、その入り口はそれぞれ
別競技であることが多い。攻撃が多種多様なら、バックボーンの競技も多様と
なるはずだ。
風田 陣は元MAランカー。
塩沢正人は高校時代に柔道地元県の3位だったそうだ。
それぞれのバックボーンに即した得意の攻撃へのアプローチは、
やはり各々違うはずなのだから、それこそが個性になる。
風田がクリンチの離れ際、ガードが空いた瞬間を見計らってショートフックを
合わせた。キックなら常套。離れ際にテンプルをガードするのは当然。
しかし修斗は違う。バックボーンに打撃がなければ、(痛い目に合わなければ)
想定の難しいシチュエーション。修斗における風田の真骨頂なのだろう。
門脇が相手を打撃で圧倒し、相手がバランスを崩して膝を付き、そのまま傘に
掛かって顔面を狙って殴りに行くかと思えば、サイドから身体を寄せて腹固めから
チョークをとって一本勝ち。これとて、門脇ならではの詰めなのだろう。
川尻は、そのパワーを利して山崎をテイクダウンして、絶えず相手の上をコント
ロールして殴る、まさにGRABAKA殺し(近藤SA殺法)!
この日の試合は、それぞれ選手自身の個性をデザインしているような試合展開が
多く、選手個々の魅力が客席の私に十分伝わった。

これぞプロ!
「俺はこの戦い方で、客にお金を出させてまで魅せて、勝負するのだ」との
主張が見て取れた。
個性のぶつかり合い、その結果の衝撃と意外性。
真剣勝負の醍醐味が存分に味わえた。

<総括…そして>

この日は、ある意味奇跡的な盛り上がりだったのかもしれない。
出場選手の技量もあるが、対戦相性が絶妙によかった結果なのかもしれない。
勿論、クラスAの選手は彼らよりも技術的に上なのだろう。
しかしながら、前述のとおりの魅力溢れる彼らの試合に煽られて
試合終了時にも、まだ会場に残っていたいという心地よい余韻を
感じることができた。(決して雨が降ってたからっという訳でなく)
本当にこの日に下北に行けてよかった。

* ****

修斗は、その競技人口の増加とプロモーションの活発化により、興行を
月に2,3回開催している。
それが故に、その他の総合格闘技団体よりも早い段階であらゆる問題点が
眼前に迫ってしまう。
その多くはプロ興行と競技性との狭間に起こる問題であり、他のどこも経験
していないようなものである。

競技側として、興行会社として…。

如何な選択をすれば"修斗"が発展していくか?
その落し処が非常に難しい。
彼ら(主催者)は修斗を競技として愛している。
そしてその発展を競技人口増にあることを十分認識し、出来る限りの算段で
行っている。(日本格闘技界において、その広がりは極真に匹敵する)
しかしその愛する競技は、そのまま競技者のみならず、万民(いや一般と
言ってもいい)に愛されるものなのか?
プロとしてアピールしていく上で、下北のキャパを満足させることから
その最下位レベルのキャリアを始めることが、彼等の望むところなのか?
断じて違うだろう。
例えばクラスBでも、後楽園、もしくは文体クラスでも分かってくれる
人々で溢れかえることのほうが望ましいはずだ。
では、どうするか?
競技の本質を変えずに、マイナーチェンジを繰り返し、客に審議を謀っていく
しか方法はない。それは主催者及び競技者の意に沿う形とは限らないのかも
しれない。しかしながら、それを敢えて飲み込むかどうかで、その後の発展性が
変わっていくことだろう。なぜならば、VTとアクセスすることで修斗が発展して
いったとき、すべての競技者がその方向性を望んではいなかったのだから。

膠着を導く判定基準の不確定さは、相変わらず特に対策が施されておらず、
いつまた負の連鎖が爆発するやも知れない。
競技者にその責任を負わせるだけでなく、競技団体としての必要な決断をその都度
やって行かなければならない。

果たして修斗の行く末は?

雨の中、そんなことを考えながら小田急に乗っていた…。




本稿の著作権はすべてKANSENKI.NET及び「書き手」に帰属します。

戻る
TOPへ