マークシュルツからの告白(無断翻訳:ひねリン)
■投稿日時:2004年10月19日
■書き手:ひねリン ex:ひねリン's blog

(訳者まえがき)


10月12日のWrestling Observer βでも既報の通り、2003年9月13日、ブラジルはアマゾンで行われた第1回ジャングルファイトで、レオポルド・モンテネグロに三角絞めで1R一本負けを喫したマーク・シュルツ(元レスリング五輪金メダリスト)は

「この試合はワークだった。俺は相手の急所を蹴って反則負けになる約束だったのに、本気で三角締めを決められたんだ。ダブルクロスされた(ダマされた)んだ。俺は負けてない。猪木金よこせゴルァ!」

と某掲示板で告発を開始しました。で、その後シュルツは(なかなか奇妙な体裁の)自分のサイト上にて、さらに細かい裏話を暴露 (http://www.markschultz.com/Jungle%20Fight%20Story.htm)

この文章がなかなかに興味深いので、肝心な部分を翻訳紹介したいと思います。

本人に無断でやりますが、シュルツさんも、より多くの人間に猪木の悪行を知らしめたいと思っているはずなので、きっと許してくれるでしょう…

俺としても、シュルツさんの叫びをぜひ世間に広めねば! と考えております。(本当は、面白いからやってるだけですが)


文の前半では、(国民的英雄だった)シュルツがどーして金が必要になったか、が延々と説明されてます。大学の仕事をクビになり、医者の不手際 で死にかけ、(妻の訴えで)自宅への接近禁止命令を警察から申し渡され、メダルも財産もすべて離婚した妻に奪われ、公園で寝て、友人の家を泊 まり歩き・・・と暗い話がてんこもり。でも、弁護士やってる教え子のおかげで、なんとかメダルや財産の半分を取り戻し、子供との会えるよーに なって・・・ってところからジャングルファイトの記述が始まるので、以下訳。(ちなみにこの文、基本的には本人のことを三人称で描いてるんだ が、たまに「俺の」とか一人称がまざったり、その他もミスと思われる箇所がちらほら。ので、そのへん適宜修正をかけてます)。


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しかし、その前にマークはタダアキ・ハッタから電話をもらった。タダアキはマークの亡き兄、デイブの良き友だ。デイブは1996年1月26日 に、ジョン・E・デュポンに殺された。それはマークがUFC IXでデビューする四か月前のことだった。ダタアキはマークに、カート・アングルやザ ・ロックやハルク・ホーガンがWWFでやっているようなプロレスリングの試合をして、2万5千ドル稼ぐ気はないかと尋ねた。


タダアキは、日本のプロレスラーアントニオ猪木が、ブラジルにおけるジャングルファイトという興行に出場するアメリカ人を探していると言っ た。当然マークは承知した。何年間もロクに報酬なしにトレーニングを続けた後、2万5千ドルを受け取り、プロレスラーになってさらに稼げる チャンスを誰が見逃すだろうか? マークは自分の幸運が信じられなかった。彼はこれが自分の新日本プロレスでの新しいキャリアのスタートにな ると思った。


そこで、タダアキはマークに、1976年のオリンピック王者、ジイチロウ・ダテの電話番号を渡した。ダテは(マークの亡き兄)デーブ・シュル ツの良き友であり、またオクラホマ州立大学におけるデーブのコーチでもあった。ダテは、猪木は、面接やその他の話し合いをするために、マーク を日本に呼んでくれると言った。マークは興奮していた。彼の苦難はすべて終わりを告げるかのように見えた。そこでマークは来日し、いいホテル をあてがわれ、「おこづかい」を与えられ、良い待遇を受けた。マークは空港で猪木と会った。そこで猪木は多くの報道陣に追われていた。猪木が マークに腕を回し、日本語で何かを言うと、皆がそれを撮影した。その後マークと猪木は一緒にスシを食べに行った。この滞在の間、ブラジルでの 興行が、MMAとは違うプロレスリング以外のなにかであるということをマークにほのめかすようなことは一切起こらなかった。アメリカに戻った 後、マークとジャレド・コールマンと、マイク・コールマンは揃ってブラジル行きのビザを取得するため、ロスを訪れた。そこで猪木の養子のサイ モン猪木は、日本のプロレスはいかにアメリカのプロレスと異なるものであるかを話した。サイモンは、違いは(日本のプロレスは)フェイクかリアルかを識別するのが困難であることだと言った。マークはその点は問題にならないと確信していた。どっちにしても彼はリアルファイターなのだから。


ブラジルに飛ぶ一日前に、マークはインターネットでジャングルファイトを調べ、リコ・チャパレリがやはり試合をすることになっているのを見 た。リコとマークは1987年に何度かレスリングの試合をしており、マークはリコもまた、プロレスラーとして試合をするんだろうと考えたが、 疑いの念も抱きはじめた。そこでマークはサイモン猪木に電話し「これはワークであって、シュートではないんだよな?」と言った。驚いたことに サイモンは、これはリアルなシュートだと言った。マークは、左腕の怪我があるからそれなら試合できないと言った。サイモンは、マークが知らな かったことに驚いたようで、後で電話を掛けなおすと言った。そしてサイモンは電話を掛けなおしてきて、この試合をフェイクプロレスリングマッ チに変更することに問題はなく、日本からマークと試合するためのプロレスラー達を連れて行くと言った。マークはブラジルでその中から相手を選 べるとのことだ。サイモンはまた、ミスター猪木はプロレスリングの試合にこれほどの金額(2万5千ドル)は払わないとも言った。サイモンが言 うには、カート・アングルは日本でもっとも人気のあるプロレスラー(か、その一人)だが、彼でさえ一試合で1万ドルしか稼がないとのことだった。サイモンは、猪木はプロレスラーにはMMAファイター達の約10分の1しか払わないと言った。そこでマークが自分はUFCで5万ドル受け取ったと言うと、では(今回のファイトマネーは)5千ドルということで同意に至った。電話を切ると今度は猪木の娘であるヒロコ猪木が電話をよこし、マークの口座に5千ドル入金したと言った。そして彼女は「でも、リアルに見えるようにしてくださいね」と言った。そこでマークはブラジルに飛んだ。


ブラジルでマークは、そこにいるはずの(対戦予定の)プロレスラー達について話し合うために、サイモンを探すのに苦労していた。ミスター猪木 の姿もまた見つからなかった。猪木は選手たちのそばには決していなく、選手たちはホテルのある岸に戻るためだけに、ボートを借りなくてはなら なかった。ついにマークはサイモンを見つけ、自分と試合をするはずのプロレスラー達はどこにいるかと尋ねた。驚いたことにサイモンは、もとも とマークと(シュートで)戦う予定だったブラジリアンがプロレスリングマッチをやることを承諾したので、日本のプロレスラー達を連れて来る必 要はなくなったんだと言った。マークはそれを信じ難いと思ったが、サイモンが嘘を言っていると信じこむ理由もなかった。


マークはそのブラジリアンと話したいと言い、やがてそのブラジリアンのコーチでありプロモーターのヴァリッジ・イズマイウがマークのところに やってきて、俺のファイターは意図的に負けることはしないと言った。ここでマークはサイモンが嘘を付いたことに気が付き、さらに二つの選択を 迫られていた。今すぐアメリカに帰るか、なんとかミスター猪木との関係を損ねない方法を見つけ出し、今後もさらなるプロレスの試合をしに日本 に連れていってもらうか、だ。この時点でマークの「セコンド」であるマイク・コールマンが割って入り、自分がそのブラジリアンと話し合ってど うにかできないかやってみるとマークに言った。そこでマイク(コールマン)はサイモン、イズマイウ、モンテネグロと話し合った。マークのとこ ろに戻って来たマイクは、モンテネグロは、もしマークが彼の急所を蹴って自ら反則負けになるなら、ワークをしてもいいと言ってると言った。そ の後マイクはマークを呼び、イズマイウが通訳をした。モンテネグロとマークは最初の2分間はお互い強くパンチとキックを出し合い、やがてマー クが急所にヒザ蹴りを出して警告を受ける、そしてその後マークがもう一度急所にヒザを入れ、反則負けになるという計画にモンテネグロは同意した。マークとモンテネグロは握手した。


その後、サイモンとマイクとマークとレフェリーの間で、さらなる話し合いが行われた。そこてサイモンは少しのあいだ席を外し、ジャングルファ イトでフェイクプロレスリングマッチをやる予定になっている日本のファイターを連れて来た。サイモンはマークに、このもう一人の日本のプロレ スラーは、脚本の決まっているスタントをして負けることになっていると言った。この日本人はマークに、もし望むなら自分のスタントを使っても いいよ、自分は別のを考えるから、と申し出さえした。試合前、マークはサイモンに向かって、モンテネグロに伝えてくれと言った。もし自分が彼 をテイクダウンしても、それは試合を盛り上げるためだ、どんなことがあってもサブミッションホールドをかけたりはしないから、と。


リング内で、マークとモンテネグロはしばらく打撃の交換をし、マークはモンテネグロからテイクダウンを奪おうとした。モンテネグロはガードに 飛びつき、三角締めをかけようとした。マークはそれをかけさせたが、マークが立ち上がってスタンドに戻ろうとした時、モンテネグロは三角締め を離さず、本気でマークを絞め落とそうとしてきた。マークはモンテネグロが協定を破ろうとしていると気付いたが、もう遅かった。三角締めはあ まりにキツく極まっており、マークには二つの選択しか残されていなかった。タップするか、絞め落とされるか、だ。マークはタップした。その後 すぐさま、モンテネグロは飛び起きてカメラに向かってポーズを取った。マークはすぐさま彼に向かっていって騒ぎを起こそうかとも考えたが、ミ スター猪木との関係を保っておきたかったので、彼は何も言わずにリングを降りた。試合後にマークは、マイクとサイモンと共にモンテネグロに詰 め寄った。当初モンテネグロはマークが脚本を守らなかったことを非難しようとした。その後、三人ともに大声を上げはじめると、ついにモンテネ グロは首を振り、なにかブラジリアン(ポルトガル語)でわめきながら去って行った。


その「闘い」の後、マークはミスター猪木を見つけると、リングで騒ぎ起こすこともできたけど、あなたのためにやらなかったんだと言った。ミス ター猪木は「サンキュー」と言った。そこにイズマイウが二人のもとにやってきて、マークが脚本通りにやらなかったことを非難しようとした。 マークは怒りが込み上げてきて「BS (bullshit=インチキ)だ」と何度も口にした。そこでイズマイウはマークに、モンテネグロは責を負って引退 させると言い、さらに「他に俺は何をすればいい? 奴を殺せばいいか?」と聞いて来た。マークは何も言わなかった。猪木はイズマイウの言うこ とはどうでもよく、ただマークの気分が収まっていることを確かめたいと言った。そこでイズマイウは再び、マークが脚本通りにやらなかったこと を非難しようとした。今度はマークが怒り、二人の声が大きくなると、ミスター猪木は立ち上がり、話し合いは終わった。マークは去った。


翌日、マークはミスター猪木に東京ドームにおける、次の日本でのプロレスリングマッチについて話した。ミスター猪木がマークに最後に言った言 葉は「日本で会おう」だった。これが、マークと猪木の最後の会話だった。


これがマークのはじめてのプロレス体験、はじめての日本のプロレス体験であった。アメリカにおいては、プロレスラー達は試合は競技ではなくエ ンターテインメントであると認めている。日本ではこのような線は引かれていない。マークにとってはまったく苦い教訓だった。もし最初からこれ が純正なプロレスリングの試合ではないということを知っていたならば、マークは決して試合に同意することはなかっただろう。彼はハメられたと 感じているし、もしファンの誰かを失望させたなら、ここに謝罪する。





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