Dr. Inside MOATのプロレス哲学講座・第11回 『愛について』
■投稿日時:2004年9月1日
■書き手:Dr. Inside MOAT (ex:プロレス至上主義宣言!

Dr. Inside MOATは店の前に止められた車の中で車番をしながら90分考えた。
『プロレス』ってなんだろう。


日本プロレス最高のプロレスラーである武藤敬司は『Natural Bone Master』と名乗り『プロレス・ラブ』を打ち出した。しかし皮肉なことにそれ は、プロ(レスラー)中のプロ(レスラー)であった武藤/ムタがその能力の大半を使い果たしたあとでのことであった。プロ中のプロがプロであ ることに苦しくなった時、『愛』と語る。

Dr. Inside MOATは店の前に止められた車の中で車番をしながら90分考えた。
『愛』ってなんだろう。


『プロレス』を語る時、そして総合格闘技の試合で消極的に膠着した時、よく『プロ』と言う言葉がキーワードになる。この場合の『プロ』にはポ ジティブな意味が込められている。未熟で責任感の乏しいもの、見てつまらないものに対するアンチテーゼである。しかし『責任感があって見て面 白いもの』=『プロ』ではあるまい。なぜなら『プロ』がやってもつまらないものはつまらないし、アマチュアだって責任感を持って面白いものを 見せることがある。大体アマチュアほど真面目でうまくやろうとしているものだ。『プロ』の定義は後でするとして、このポジティブな意味あいを 持つ『プロ』という言葉をここではとりあえずPositive(p)『プロ』としておく。


そもそも昔はスポーツにおける『プロ』にはポジティブな意味はなかった。『プロ』は紳士が行うスポーツに、体を動かすことで報酬をうける労働 者階級が混入してくることを除外するために作られた差別用語だ。だから一度でもスポーツで報酬を得たものは『プロ』に当たる。もともとの『プ ロ』には、アマチュアではないというだけの意味しかない。高度な技能を持とうが持つまいが、アマチュアに属さない選手は全て『プロ』になる。

このネガティブな意味の『プロ』をここではNegative(n)『プロ』としておく。『アマ』がPositiveな意味を持つ時、『プロ』がNegativeな意味を 持つ、vice versa。 サマランチ以前のオリンピックはn『プロ』を除外したアマチュアのみで行われた。しかしそこで活躍した選手は高度な技術を持つ専門的な選手で あった。


  今でもn『プロ』の定義は生きている。日本の学生野球・社会人野球において、アマチュアとは”n『プロ』ではない”ということだ。技術や責任感 や選手としての価値とは関係ない。一度でもn『プロ』に属してしまったものは汚れているので禊を果たさないとアマチュアになれない。『職業 (プロ)野球』とは『高度な技術を持つ野球専門の契約プロによって行われる野球』という意味ではない。その昔出来た頃には大学野球の方が強い と思われていたくらいだ。


勿論全ての歴史有る言葉は多義的である。『プロ』もNegative-Positive以外にいくつかの意味を持つ。国ごとに意味が違うであろうし、時代に よっても意味合いは違うであろう。特に、富国強兵の国策としてスポーツが国主導で導入された日本では数十年前まで特殊な(もしかしたら欧米を 除けば世界的にはそれが一般的なものかも)意味を持った可能性もある。

意味のひとつはNegativeな意味もPositiveな意味もなく単に対価として金をもらっているという意味。これは例えば卓球の愛ちゃんのプロ選手登録 とか、そういう契約上の地位に関わる言葉だ。特に我々の感情をかき立てることはない。当然Dr. Inside MOATはプロ契約をかわした選手が即ちp 『プロ』の選手であるとは見なさない。p『プロ』である者と区別するために『契約プロ』と呼ぶことにする。勿論、契約『プロ』の者がp『プロ』 に属したり、n『プロ』に属したりする。

また、金にこだわる行為に『プロ』を感じることもある。後輩選手に技術を伝えないベテランとか出場給のためにコンディションが悪くても出場す る選手など。これはこれでおもしろいが、ま、『契約プロ』からの派生的な意味だからここではおいておこう。

スポーツから離れる。

誇り高き『よゐこ』達の大半はおっさんであろう。何らかのプロフェッション/職業を持つに違いない。専門的な技術と誇りを持ち、職業と健全な 関係に有ればたいていの人はp『プロ』としての意識を持っているはずだ。そこにはn『プロ』の定義が入り込む余地はない。お金をもらっているこ とを恥じ、アマチュアでないことを悔やむ職業人はいまい。だからDr. Inside MOATを含め大半のおっさんはp『プロ』である。


一方、『プロ』によく似た言葉に『エロ』がある。ま、単に字面が似ているだけなんだが・・・『エロ』は『プロ』によって支えられている。『エ ロ』の経済系風俗は性を売る契約『プロ』/風俗嬢が行う娯楽である。『エロ』のうちイメクラでは『アマチュア/素人』であることが高校野球並 みに重視される。ここから生まれるのが高校野球イメクラ説なのだが、それはまた別の話。・・・金もらってやってて『素人娘』も糞もないもんだ が・・・

風俗嬢が素材となり料理されるイメクラではアマチュアであること(またはその幻想)が重視される。仮想的にアマチュア/素人であるイメクラ嬢 と仮想的に恋人になったり、イタズラしたりする。イメクラ嬢は『愛@偽』や『フェチ@真』を提示するが、客をもてなす技術自体は高く評価され るわけではない。イメクラ嬢は仮想的にPositive『アマ』であり、現実にn『プロ』である。

一方ソープでは『アマチュア/素人』はさほどPositiveな意味を持たない。ソープ嬢にはパターン化されたソープ特有の技術体系というものが存在 する。仮想的な関係ではなく技術そのものが重要である。パターン化された技術体系で客をもてなし、お金をもらう。ソープのあり方はDr. Inside MOATの考える『プロ』そのものである。

即ち、同じ『エロ』で、性を売る契約プロの娯楽であっても、技術よりもシチュエーションとしての『愛@偽』もしくは『フェチ@真』が重視され るイメクラでは、(幻ではあるが)Positive『アマ』が評価される。逆に体系化された技術を基本とするソープはp『プロ』の文脈に属する。

これではっきりするのはp『プロ』であることは『楽しい』ことを保証しないということだ。n『プロ』/仮想p『アマ』であるイメクラであっても 充分楽しいし、ソープも『苦行』に過ぎなくなってしまうことがある。p『プロ』であることは性交を保証するだけで、成功を保証しない。


そのポイントだけを押さえておいて、次は芸術の話をする。

時間と紙面の関係で大幅にとばす。職人も芸術家も、絵や彫刻や細工などのものを作る。どんな芸術家でも、作品を制作する技術を持っている。

実際優れた芸術家は優れた職人であることが多い。優れた細工を施された作品を見ると、『名工の技だ』『優れた筆致だ』と感心するだろう。確か に芸術と技術は不可分な領域で癒合している。しかし、所謂『芸術』的なものに対する感動をあらわす時に『プロ』の技だというだろうか? 優れ た職人が優れた作品を作り芸術として評価された場合、優れた技術に対してp『プロ』を感じ、それ以外の『±α』の部分を芸術として評価する (望むらくは)。それが一般的な感じ方だ。だから『プロ芸術家』と言う言葉は殆ど目にすることはない。『芸術家』の『芸術』の部分が技術に よって形作られないので、プロという言葉がふさわしくないからだ。芸術作品の値段は、その作品に込められた技術に比例しない。技術によってコ ントロールされない部分に価値を決められる芸術家はp『プロ』という評価に似つかわしくないのだ。


例えば、歌手の場合。浜崎あゆみやあややをNegativeであれPositiveであれ『プロ』歌手とは言わない。『プロ歌手』と言う言葉はインチキ芸能プ ロの募集でしか見たことがない。歌手が商業的に成功したり、聴衆に受けたりすることと歌唱技術にはおぼろげな相関関係しかないため、どの部分 をp『プロ』と評価していいか分からない。


ここまで、『おっさん』『風俗』『芸術』『芸能』を俯瞰して『プロ』という言葉の意味を考えてきた。「p『プロ』という評価は技術面を評して 与えられる」という割と納得しやすい通りのいい結論に至る。


ここでまたスポーツに戻る。

プロと名の付くスポーツはいろいろある。

『野球』ではアマチュア野球とプロ野球で同じスポーツが行われる。これはプロでもアマチュアでも、レベルの差はあれ同じ技術が使われているこ とを示す。同様にJリーグのサッカーでもVリーグのバレーでも、マラソンでも、大抵のスポーツにおいてそうだ。だから成立の過程の不幸な歴史に よって『プロ野球』@n『プロ』と呼び慣わされている職業野球を除いて、サッカー・バレーなどにおいてはプロ契約選手が試合を行ってもプロ サッカーとかプロバレーとか呼ぶ習慣がない。

Vale Tude/Mixed Martial Artsにおいてもそうだ。興行はお金をもらって生計を立てている選手や生計を立てられるほどではないがお金をもらって いる選手によって行われるプロ興行も、参加費を選手が取られるようなギャラなしの試合でも、ともにVTとかMMAと呼ばれる。プロVTやプロMMAと呼 ばれることは珍しい。(注:この文脈でリングスにアマチュア・リングスという大会があったことが興味深く思い起こされる)
つまり、お金をもらっている選手が高い技術を見せても、そのことは『プロ○○』と呼ばれる理由にはならない。アマチュアとプロが同じルールで 行われる(すなわち、同じ)スポーツでは、サッカーであれ、バレーであれ、VT/MMAであれ、p『プロ』であること本質とするスポーツではないの で、選手にp『プロ』を求めることは不可能and/or無意味なのだ。そもそも彼らは幾ら強くても幾ら技術が高くても『契約プロ』選手であって、直 接客に対して機能するための技術をもつp『プロ』ではないだからだ。特にVT/MMAでp『プロ』を求めると限りなくプロレスに近づいてしまう。


『プロ』がつくとスポーツが変わるものに『プロ・シンクロナイズドスイミング』や『プロ・フィギュアスケート』がある。

オリンピックスポーツとしてのシンクロやフィギュアも契約プロによって行われる。確かに観客が見て面白いスポーツではあるが、その目標は客に 受けることではなく、審査員から高い点をもらうことである。Athenでもおきたが、体操やシンクロの会場でよく起きる観客と審判員の対立は、こ のことを観客が理解していないために起こる。対してなじみがないかも知れないが『プロシンクロナイズドスイミング』や『プロフィギュアスケー ト』は採点競技ではなく、客から金をもらい、客を感動(あるいは面白がらせる)ためのp『プロ』のスポーツだ。

即ち、目的がOpponentや審査員に影響を与えるスポーツではp『プロ』たり得ない。プロとアマが同じスポーツを行うスポーツではp『プロ』たり得 ない。


p『プロ』という評価は単に高い技術や職業的な責任感に対する言葉ではない。おっさんの職業人をプロと呼ぶ時は、技術とお金が等価なのだ。直 接役に立つ技術をもって働くものがプロである。名工は『プロ』の技を持つが、芸術家の価値を『プロ』と言う言葉で評価しない。これは名工は直 接技術を持って作品を作りお客に還元されるので即ち、プロであるが、芸術家の芸術の部分は技術で語られる訳ではない。

スポーツ選手においては、お金をもらってプレーをする。そのプレー自身はルール上の勝利を目的にしたものでチームに利益をもたらすが、当たり 前だが観客をOpponent(対戦相手)としたプレーではないので、観客には間接的な効果をもたらすのみだ。だからp『プロ』とはいえない。p『プ ロ』とは直接”役に立つ”技術に対する言葉なのだ。


但し、p『プロ』の文脈に属するからと言って必ずしも成功するわけでも価値を持つわけでもない。ソープがいつも楽しいわけでないし、p『プロ』 に属さないことは”芸術品”の価値に影響しない、p『プロ』に属しないスポーツも充分面白い。つまりp『プロ』かどうかは、面白いかどうかとは 無関係だ。


じゃあ、野球やその手のnon-p『プロ』スポーツにプロを感じることはないのか?と言えば、勿論ある。
新庄は自分の強肩のためにランナーがホームに突入しないことを憂いて、ランナーセカンドの時のセンター前ヒットではわざとスタートを遅らせ て、ランナーの突入を誘うという。リーグ首位打者の左バッターがバッターボックスにいるのにホームスチールをしたりもする。どちらも技術や身 体能力に裏付けられたプレーだが、ルール上の野球の目的に合致しているとは言い切れない。お金を払う客の方を向いた技術だ。だからこれこそが p『プロ』のプレーだ。

プロ野球において非常に高い技術のプレーに対して『プロ』のプレーということがある。これは頭の悪いアナウンサーの誤用だ。同じレベルのプ レーをキューバのウエイターやオーストラリアの倉庫番も出来ることを最近アテネで確認した。しかし彼らには、金を払って入場した観客に勝つた めに必要のない大技を見せて満足させようと言うp『プロ』の動機がない。動機がない以上『プロ』のプレーを見せることもない。だから技術が高 いだけではp『プロ』のプレーではないのだ。


プロレスは『客を直接コントロールするための技術体系をもったレスリング』だから、p『プロ』+『レス/レスリング』である。プロレスには技 術体系がないという馬鹿げた意見があるが、勿論技術はある。対して『ルール上の勝利を目指すレスリングをアマレス』と呼ぶ。プロレスでは観客 を欺いて・リードして試合を見せる技術が大いに発達している。対戦相手は観客だ。ここでは書かないが、それはそもそもレスリングの発祥の時に 備わっていた要素の1つが正統に発達して出来上がったものだ。『アマ・レス』はそのもう一方の流れである。


ここまでつらつらと想念が続き、Dr. Inside MOATは店の前に止められた車の中で友の車番をしながら、いくつかの項目にまとめてみた。

第一項:『プロ』には、Positive『プロ』、Negative『プロ』、契約『プロ』など色々な意味がある。

第二項:如何に技術的に高かろうとそのことだけで、プロ契約選手がp『プロ』であるわけではない。

第三項:p『プロ』は客に直接作用することを目的とした技術を持っていること・披露することに対する評価である。如何に高い技術であっても客 に作用しない技術はp『プロ』の対象ではない。

第四項:客をentertainする技術体系を持つスポーツのみが『プロXX』と呼ばれる資格を持つ。 (例:プロレス・プロフィギュア・プロシンクロ ナイズドスイミング)

第五項:『プロレス』・『プロレスリング』は客をentertainする技術体系を持つp『プロ』のレスリングであることを持って、『プロレス』・『プ ロレスリング』と呼ばれる。

第六項:『プロ』だから面白いとは限らないし、『プロ』じゃないからつまらないとは限らない。

第七項:ガチ系のスポーツ、特に『プロレス』対比されるVale Tude/MMAにおいてp『プロ』あるいはp『プロ』意識を期待することは禁忌である。
なぜならばその技術体系をもてば極めてプロレスに近くなってしまう。


Vale Tudeの選手やn『プロ』であるところのプロ野球の選手にp『プロ』を求めてはいけない。ではどうするのか?第六項にあるように、『プロ』 であれば面白いわけではないし、『プロ』でなくても面白いものは面白い。だから『プロ』じゃなくても全く構わない。

柔道はルールをいじることで、p『プロ』と無関係に、見事なentertainment性のあるスポーツに変わってしまった。それもひとつの手だ。KOや面白 い展開に特別ボーナスを出すPrideもひとつの手だ・・・但しそれは純粋な競技とは言えない・・・

客の側が、観客の方を向いていない選手の技術を拾うようになること、勝ち負けに残酷性や射幸性を持たせること、で観客に受けるように出来る。

もうひとつの手はマーキングすることだ。例えば川相。川相がバントしても誰がバントしても地味なプレーだが、『世界一のバントの名手』という マークがひとつ川相につくと、つまらないプレーが世界一のプレーになり観客に届く。言葉ひとつによって客の方を向いていなかった技術と観客の 間に回路が通じるのだ。これは別の言葉では『アングル』と呼ばれるが、使い方は難しい。最後の可能性は新庄のようなルールやスポーツの枠を飛 び越えた『特権的な存在』が現れることである。昔なら長嶋だろうか?別の言葉ではカリスマと呼ばれる選手がいれば、小賢しい考察でのみ括られ た枠などは消し飛ぶのかも知れない。

車に帰ってきた友が言った。『確かにプロのワザってのはいいけど、嫁さんにあれをやられたら引くよなあ』

第八項:p『プロ』の技術を持たない時、若しくは示すことが出来ないくらい衰えてきた時、『愛/ラブ』が語られる。愛はp『プロ』ではなく『ア マ』の領域なのだ。『プロ』と愛は両立しない・・・Dr. Inside MOATは動き出した車の中で結論に到達した。


注:『プロボクシング』−『アマチュアボクシング』の関係は『プロ野球』−『アマチュア野球』とは異なる。『プロボクシング』と『アマチュア ボクシング』は別のルールで行われる、即ち似て非なるスポーツだからだ。プロ野球の選手が大挙してオリンピックに行ってもプロボクサーが大挙 してオリンピックに押しかけることはない。




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