「泣き虫」を読んで
■投稿日時:2003年12月4日
■書き手:夏 (ex:「It's Just Another ORDINARY DAY」

定期的に高田延彦インタビューを載せていた週刊プロレスの最新号(No.1179)は、表紙に高田を持ってきて「高田延彦
に問う! プロレスを、なぜ愛せない!?」「業界騒然、暴露本か否か、それが問題だ」とコピーをつけ巻頭カラー、
巻頭特集で大々的に金子達仁著『泣き虫』(以降、高田本)を取り上げた。

まずはミスター高橋著『流血の魔術、最強の演技』(以降、高橋本)のときのように黙殺せずに、正面から反応した
ことは素直に評価したい。黙殺がベターな選択ではなかったことは、それが間接的に新日本プロレスのリングから熱
を奪い、またプロレス業界自体の地盤沈下(確証は無いが、観客動員数、テレビ視聴率、週プロ等関連紙誌の売上げ
などが高橋本以降少なくとも上向いた状況は無い。)を招いたことでもあきらかだ。ぼくはプロレスというものが、
「真剣勝負幻想」を売り物にしてきたとは思っていなくて、逆に「真剣勝負幻想」を呑みこむことでここまで永らえて
きたんじゃないかと思っている。つまりジャイアント馬場の有名な発言をかりれば「シューティングを越えたもの
がプロレスである」ということだ。なのでプロレスに「知らしめてはいけない事実」が存在する以上、それを暴露
(及び指摘)される可能性は常に内在していることに業界とファンは改めて自覚的である必要はあるのではないだろうか。

それをふまえれば高橋本にしたって高田本にしたって呑みこむことこそが、プロレスを守ることになっていくし、
またプロレスを楽しむことにつながっていくと思う。高田本が出たことで何もかもひっくりかえるほど狭量なジャンル
ではないのだという確信がもっとあっていいのだ。そういう意味で佐藤編集長が「プロレス界はいま、なんら動じる
必要はない。誰がなんといおうと真実はプロレスファン一人ひとりの中にあり、その真実を信じていけばいいのだ」
と今回キチンと書いたのはプロレス雑誌的に正しい行為だ。なぜ高橋本のときにも同じ対応ができなかったのか・・・。

とはいえ今回の週プロの対応に疑問を感じる部分も少なくない。高橋本の際のリアクションをターザン山本がしたとき
と同じ構造ともいえるのだが、肝心な部分への反論がない、もしくはできないのだ。これを嫌ったから高橋本のときは
雑誌、団体ともに黙殺という手段をとったのだろう。しかし今回は週プロも新日本もリアクションを起こした。
ならば肝心の部分への反応もキチンとしなければならない。


高田本における肝心な部分を引用する。

・どちらが勝つか負けるかは、試合が始まる以前の段階で決定されていたのである。−p.127
・"結果は決まっている"というプロレス界の不文律〜。−p.127
・「UWFも所詮はショーだって言う人がいる一方で、ガチンコだと信じてくれる人もいたわけです。なにより辛かった
のは、そういう人たちから声をかけられたときでしたね。嬉しいっていうよりも、"ああっ!"って思っちゃう。」
−p.141
・興奮にウソはなかった。試合後の「本当に感無量。格闘技をやってきてよかった」というコメントにもウソはなかった。
だが、混じりけのない真実でもなかった。−p.143
・当初、高田たちは北尾との試合を「プロレス」として行うつもりだったからである−p.184
・「〜たとえば彼が大先輩である山崎とやって勝ったとする。当然、田村はかっこよく見える。でも、これは山崎が
田村に負けることを納得するから成り立っているわけですよ。」−p.193
・「〜交渉の際の約束では、最初は武藤が勝つけれど、次の試合では星を返してもらう。〜」−p.235


これら一つ一つに明快な反論なり強引な強弁をしなければ、高田本へのリアクションとしては「やってみました」程度
の効果しかない。

思うにもう事実は事実として認めなければいけない時期にきているのではないだろうか。事実は事実として「プロレス
にはプロレスにしか魅力がある」と正々堂々と胸をはればいい。それができないのなら、多分プロレスにしかない魅力
なんてものは存在しないのだ。もちろんプロレスファンであるぼくは存在すると確信しているのだが。

さて、週プロを中心としたリアクションへの言及がちと長くなったけれど、高田本そのものの感想も書かねば。

ぼくはたとえ上記に引用した記述があろうとも著者、金子達仁と高田延彦がいう「これは暴露本ではない」という主張
を支持する。たしかに暴露本ではないとしか読めなかったしな。暴露本という定義もなかなかやっかいなんだけど、
簡単に考えれば暴露そのものを目的として書かれたものが暴露本であって、別の目的のために書かれた本はやはり別物
なんじゃないか。この高田本の目的はごくごくストレートに高田延彦の自叙伝、素直にそうとって間違いない。

素直。これがそのままこの本を読んだぼくの感想だ。高田も金子もまったくもって素直なのだ。無邪気といいかえても
よいのかもしれない。そして素直であるが故、この本はちっともおもしろくない。比べるのもなんか場違いなのかも
しれないが加治将一による『アントニオ猪木の謎』のスケールのデカさ、そして解いても解いても辿りつけない圧倒的な
アントニオ猪木の不可解さにまったく及ばないのだ、高田も金子も。プロレスも書籍も世に出てからはすべからく
「おもしろいかどうか」でジャッジされるべきであり、素直かどうかなんて何の役にもたたない愚鈍な言い訳ととら
れてもしょうがない。

キレイな装丁のハードカバー、プロレス業界外の著名スポーツライターの起用、自分の生い立ちやプロレスからリアル・
ファイトへと辿りついた道程などの「赤裸々な」告白、「ムカイへ 君に伝えることができてよかった」という冒頭の
表記・・・どれもこれも高田延彦という人の素直なスケールの小ささに直結している。

ぼくらがプロレスを好きなのは、それが素直だからなのか?それが純粋だからなのか?それがリアルだからなのか?
少なくともぼくは不純で荒唐無稽で胡散臭さがあるから、プロレスが大好きだ。同様にいかがわしくないプロレス本
なんてものにちっとも心が躍らない。そういえば、ミスター高橋の私怨がかいま見える高橋本のインチキ臭さは最高
だったな、おもしろかったよ。

高田本に対しての有効な批判は「おもしろくない」というこれ一点でいいのではないでしょうか。




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