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( ´∀`)のだらだら日記モナ〜
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■投稿日時:2003年1月23日 ■書き手:( ´∀`) |
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お久しぶり、( ´∀`)です。 最近の観戦記ネット周辺の日記ブームがもの凄いので( ´∀`)も日記式で 「プロレス大好きモナー」を復活させたいと思うモナ。 調べる時間が無いし、ちゃんと練らないので、記憶違い等はあると思うけど、気にしない様に。 □W1について 最近の話題と言えば先日のW1だろう。 個人的にはフジTVの番組が良かった位で、実際の興業はカード、内容、アングル全て最低の興業だったと思う。 しかし、総論は次回に回すとして、今回はW1に参戦した一人のレスラーを中心に語ってみたいと思う。 そのレスラーはサブゥー。 とにかくケンドー・カシンとのマッチメイクが全然噛み合わず、W1では著しく評価を落としたと思う。 これは対戦者カシンに問題があったのも当然であるが、それだけでは無かった。 何故ならサブゥーには、試合が出来る精神状態では無くなる事が前日に起きていたからである。 それは叔父であるザ・シーク(享年73)の死去である。 プロレス入り後、常に二人三脚で手取り足取りプロレスを教えて力になってくれた 叔父の死に動揺しないはずがない。 即帰国したい所を、急なオファーにも関わらず試合を選んだサブゥー、これがインディー王子、 世界で最初にテーブル破壊を行ったプロレスラーである。 ザ・シーク、アラビアの民族衣装でリングで火を吹き、悪の限りを尽くし、 一世を風靡した世紀の悪役レスラーとしてあまりにも有名である。 日本では、全日の世界最強タッグでブッチャーと組み、ファンクスと血だるまの試合を繰り広げた事が、 オールドファンの記憶に残っているであろう。 また、ブッチャーとの確執も有名で、守銭奴、エゴイストとして紹介される事も多く、 一時はデトロイドのプロモーターとして栄華を極めた一方、後年には自己破産をして無一文になるなど 波瀾万丈な人生を送ってきたのであった。 W1、入場してきたサブゥーは、胸にシークの文字を刻みつけ、 ECW等でおなじみになった、天空を見上げて指を指すパフォーマンスを何度も繰り返した。 マイク・アピール全盛のアメリカン・マットにおいて、 サブゥーはマイクアピールをしない珍しいレスラーであり、 アピールの代わりに天を指さす。そのアピールがいつもより多い気がしたのは、 おそらく天国にいったであろう、叔父・シークに向けていたからだろう。 そして、ここを解説陣には説明して欲しかった(がしないので私がコラムを書く羽目になったんだが)のだが、 サブゥーのターバンに注目して欲しい。 アメリカ国旗である。 これはNYテロ以降、サブゥーはターバンの柄をこれに変更したのである。 あのテロ以降、アメリカ国内でアラブ系への迫害は激しく、 プロレスの世界でみても、実際にサブゥーもそうだし、同じアラブ系のアイアン・シークなども 空港での異常に厳しいチェック、軟禁等で、試合のスケジュールに間に合わなくなる事も往々にしてあったらしい。 勿論、それ以上に書きたくない様な迫害も受けている。 アラブ系ではあるが、アメリカ国民でもあるサブゥーは、2つの対立する狭間の中で、平和、共存を望み、 アラブの象徴であるターバンをアメリカ国旗にした。 そういう願いが込められているリングコスチュームなのである。 ほぼ単一民族国家である日本に住む我々には、他民族国家アメリカの人種間の問題は計り知れないもの。 そう考えると叔父であるシークも守銭奴などと言われ、 特に日本で人気のあったブッチャーとの確執から悪人の様に報道される事が多かったが、 アラブ系がアメリカで強く生き抜いていくには金にこだわるのは当然の事だったのかもしれない。 そしてシークはただ金の為だけにプロレスをやっていた訳では無く、プロレスを愛し抜いていたと思う。 それは、後年、彼がぼろぼろになりながらリングに上がり続ける一方、 若い人材をプロレスラーとして育成する事をライフワークとしていた事でも分かる。 現在、WWEの絶対的ベビーフェイスであるロブ・ヴァン・ダム、 彼もまたシークからレスリングを学び、シークの最後の弟子である事はあまり知られていない。 サブゥー、ヴァン・ダム・・・ 身体を張って、文字通り命がけで行う弟子達のファイトスタイルを見れば、 師の本当の姿が見えてくるであろう。 そして、試合後、サブゥーは自分のふがいない試合に怒り、自殺ダイブを行った。 今のプロレス界では珍しく無いテーブルへのダイブ、これを最初に行ったのもサブゥーである。 自らの身体を傷つけてもう身体がぼろぼろでも、 自分に出来る事を精一杯続ける男の生き様があったと思える。 そしてW1、 他の試合を見てみれば、プロレスラーでは無い有名な格闘家が学芸会の様に形だけのプロレスをやり、 それがメイン、メイン級の扱いを受けている。 初めてだから仕方ない、むしろあの格闘家がよく(プロレスムーブを)やってくれたと、 非常に好意的な解釈がマスコミなどにまかり通っているが、本当にそうだろうか? 格闘家が形だけのプロレス的な動きをするのを喜んでいるのは、 メジャーな格闘家がつまんないプロレスをやってくれた、理解してくれた、 僕らのレベルに降りてきてくれた、だから有り難くて仕方ないと言う事で、 結局、プロレスを一番卑下した見方としか思えないのである。 W1のコンセプトはプロレスも面白いって事を再認識させたいってのもあるらしいが、 ならばどうしてメインがプロレスラーじゃない2人なのか? プロレスの面白さを再認識させたいんなら、プロレスを本業にしてる者たちで、 プロにしか、プロレスにしか出来ないものを提供すべきでは無いのか? W1はエンターテーメントとしてWWEを手本にしてるらしいが、 WWEでもカート・アングルやフロッグ・レスナーと言った選手は、 元々はアマレスの選手、プロレスラーじゃない。 しかし彼らがWWEでデビューするまでどれだけかかったか? それまで何をさせられたか、と考えて欲しい。 W1に限らず、日本のインディシーン全体に言えるんだが、 どうも日本はエンターテーメントって言葉が軽く思われているが、 エンターテーメントってのはコメディ・お笑いとイコールじゃないって事を再認識して欲しいものだ。 おちゃらければエンターテーメントと思ったら大間違いである。 武藤がプロレスLOVEと本気で考えているなら、 出稼ぎでぎこちない学生プロレスもどきを格闘家にさせるより、 身体を張ってプロレスを表現するサブゥーの様な選手に、もっとスポットを当てるべきであると思う。 サブゥー、そしてロブ・ヴァン・ダムを育てプロレス界に送り込んだ、アラビアの怪人ザ・シーク。 有名格闘家に学芸会プロレスをやらせた武藤W1。 どちらが本当のプロレスLOVEなのだろうか考えてもらいたい、モナ。 (つづくモナ) |
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