「GAEAガールズ」の衝撃が第36回シカゴ・フィルムフェスティバルを急襲
■投稿日時:2002年6月21日
■書き手:田中正志

 今、世界で一番おもしろいプロレス団体はGAEAと闘龍門だろう。

 両団体ともにプロレスというエンタテインメントの舞台裏の仕組みを理解した上で楽しむ、大人のファンに強く支持されてるし、一見さんのお客様を大満足させてしまう。ただ口うるさいだけで、団体の売上に貢献しない中間マニア層(*注釈1)を切り捨て、両端のファンに好かれるのは大変なこと。これはアメプロが巨大化した際の、理想の浸透の仕方でもあったのだ。

 日本信者の多いアメリカでも、GAEAのビジネス戦略は注目されている。頭の固い業界人を排除して、あえてマット界の素人に運営させ、そしてそれが成功を呼んだからだ。よって、外の世界が興味を示すのに時間はかからなかった。ここでの外の世界とは、キム・ロンギノット(イラン人)とジャノ・ウィリアムス(英国人)の、日本在住女流監督コンビであり、シカゴ・フィルム・フェスティバルのことである。

 ハリウッドは映画の街だが、シカゴは映画評論の街だそうだ。アメリカで一番有名な評論家のロジャー・エバートは、「サムズ・アップ、サムズ・ダウン」と、親指を上下にするだけのプロレス勝敗式(*注釈2)のわかりやすい評価で次々と新作を紹介。シカゴで収録される彼のTV番組は、全米で大変な人気があるし、影響力も大きい。彼はもちろん活字コラムでも活躍している。シカゴ・サン・タイムズ紙所属で、日曜版の映画欄は読みやすさが好評だ。

 そんな街だから、何らかの映画祭が年中開催されている。中でもこの年に第36回を数えるのシカゴ・フィルム・フェスティバルで評判になれば、一気にメジャー公開の道が開けてくる。東京に10年住んでいるジャノ(シカゴに乗り込み)らが、WWF人気が沸騰しているアメリカに自分たちの作品を持ち込んだのは正解だろう。一般劇場公開が難しいドキュメンタリー作品としては、マドンナの映画に続く成功となった「ビヨンド・ザ・マット」(注釈3)の先例があったからだ。そして結論を急げば、106分の大作は期待にたがわぬ感動の出来栄えであった。

 映画はGAEAの興行風景から始まる。最初に画面に出てくる名前は当然スターの長与千種。次がエースの里村明衣子。そして(トレーニー)という注釈つきで、三番目、かつ最後に出てくる名前は竹内彩夏。もともとインターネット他に出ている短い紹介文からも、地獄のトレーニング・キャンプに焦点を当てた作品だとわかっていたので、予想どおりの構成ではあった。だから事実上の主役はタケウチ。99年8月から撮影開始で、彼女の10月23日のデビュー戦までを追う構成となっている。

 中島リングアナの寸評によると、「普段はFMWの金村キンタローみたいな顔をしているのに、リングで顔が変わるタイプ」だそうだ。「身長153センチ、体重50キロ」ってんだから、大将長与の口癖「おチビさん」そのままだ。最後のシーンはお母さんも駆けつけた、後楽園ホールの対里村戦。入門してから一年半近くたってやっと念願が叶う。

 76年夏の生まれだから名前が彩夏らしい。涙ばかりの23歳の夏から秋にかけての道場風景が、映像のほとんどであり、試合のシーンはオマケ程度に考えるべきだろう。もっとも、インパクトが必要だから、作品冒頭ではいきなり長与とライオネス飛鳥による、9月15日の横浜文化体育館での「クラッシュ対決」の模様が映される。場外乱闘や机の凶器使用は当たり前だし、最後は長与が火を吹いて飛鳥をフォール。視覚的なアメプロを見慣れた客席にも、違和感を抱かせないどころか、「おお、日本も派手だなぁ」とエンタテインメント劇場を印象付けての結構な滑り出しだ。

 ただし、飛鳥の顔がまともに映るのはほんの数カット。最初の選手紹介コールで、大量のテープが舞う(海外用の)エキゾティックな場面に名前が出るだけ。無事にGAEAの全権を取り戻した試合のスポットのみをハイライトにした短縮映像だけで終了してしまう。飛鳥以外にもドキュメンタリーのテーマに関係ない選手は、話がややこしくなるだけなので、スターであっても画面にほとんど映らない。逆に、道場での顔が皆同じに見えてしまう危惧から、主役の練習生たちはその都度画面に名前が出てくる。プロレスマニア以外に見ていただくことが目的なのだから、それは非常に正しい編集方針に思えた。

 オープニングは派手だが、映画はあくまで、野菜農場に囲まれた道場が舞台だ。「飛んで火に入る夏の虫」とはよくいったもので、ワカバヤシという名のちょっと太目の新人が、スーツケースを引きずって入門してくる場面から始まる。もちろんこの娘は、キツイ練習や共同生活などに耐えられなくて、突如ラナウェイ(夜逃げ)したことが、映画の中盤辺りのテロップで紹介される運命にある。

 作り事のドラマ映画と違ってドキュメンタリーの場合、タイミング、つまり撮影中にラッキーな出来事にめぐりあえるかどうかが、成功への重要な鍵になる。新人の入門と落伍の物語は、いつのタイミングでもプロレス道場の日常風景とはいえ、このワカバヤシと、後半に最初はお母さんに連れられてやってきたサトーの実例は、テーマにピッタリ過ぎて笑ってしまうほどだ。そんな失格者の間隙を縫って、タケウチへの激しく苦しいしごきが続くのである。

 おさげ髪の少女サトーに関しては、加藤園子と一緒にヒンズー・スクワットさせられるシーンが印象的だ。ムッチリした太ももで軽々とスクワットをする園子の横で、細身のサトーが膝をガクガクさせてる様子が絵になる。私は園子ファンなので、世界に紹介されるこのドキュメンタリーが99年の撮影で、「髪切りマッチ」に負けて坊主頭にされている現在の姿ではないことに安心したのであった。

長与は飛鳥に勝っても「ゼロ」になる!

 タケウチの厳しいコーチ役として、重要な役割なのが里村だ。映画音楽はガイアのテーマ曲や里村の入場曲なので印象も深い。さらに一人で練習している姿も強烈で、もの凄い実力派の強豪というイメージは一般客にも伝わっていく。映画で紹介される、唯一まともな王道プロレスの試合は中盤に出てくる。里村が加藤にご奉仕する(負ける)試合がそれで、インタビューの途中で泣き出すシーンも用意されている。もっとも、この孤独なシューター嬢の複雑な立場と心境については詳しい説明が一切ないまま。年季の入ったプロレス者でない限り、一般客には涙の意味すら理解されにくい。

 しかし、あえて突っ込んでない編集構成で構わないと思う。中堅という序列の中で、しかも同期の加藤との試合にもオーバー(勝ち役)させてもらえず、微妙な乙女心の持ち主という役割だからこそ魅せられてしまう。だから、皆が水に流した冷やしソーメンを食べている場面で、一人だけアイスクリームを食べウォークマンを聴きながら、歌謡曲をうなってる姿とかがやけに鮮やかな記憶に残るのだ。このドキュメントは、一般客とマニアの両方から評価される作品である。

 この映画を貫くテーマはタケウチの夢といえるものだが、同時に、当然プロレスという職業のあり方にも迫っている。その象徴的場面が里村の涙。その涙のリアルさは、もう一つの印象的な場面とペアになっている。そこでは、長与千種が過酷な練習でボロボロのタケウチに「ウソ泣きするな」と叱責するのだ。「あんたにはまだ表情がある。だけど本当に涙が流れる時というのは、ただ流れるんだ。表情なんかないんだ」―――感情という社会的な装いが抜け落ちたところにある、人間の存在があらわになる涙!

 映画館の客が一番大きな声を出して驚いたのは、タケウチの一回目のプロテスト前に、里村にしごかれる場面。タケウチのゆるい(ソフトという言葉が字幕に何度か使われる)攻撃に対して、里村の容赦ないドロップキックが顔面にモロに炸裂すると、館内には悲鳴が・・・。いや、ごもっとも。次のシーンでは、口から血がしたたり落ちていて、実際縫うことになったのだから凄い練習風景ではある。「そんな態度じゃ実戦ではケガするよ!」と罵声が飛ぶが、一般客は衝撃映像にもうパニック状態なのだ。そしてその最初のプロテストにタケウチは不合格となってしまう。

シカゴ映画祭現地レポート

 ドキュメンタリーのあらすじを全部書いても仕方ないので、以下では日本からやってきた監督の質疑応答の場面と印象に残った内容の一部、それらに加えてちょっとしたエピソードを紹介しておきたい。

 アメリカの平均からはやや高めの10ドルの料金を取った初日の名画座は、昼間はちょうど黒澤明の「乱」のニュープリント版がリバイバル上映中。大小のスクリーンを持つ館内だから、夜の映画祭も同時に2本ずつ、二週間の期間中に紹介される格好だ。

 「GAEAガールズ」初日は100名しか入らない小さい方だったが、超満員ではあった。翌日は場所がダウンタウンの8つスクリーンのある大型劇場に移動。大画面が嬉しかった。三夜目はもとの名画座に戻るので、合計3度の上映チャンスが与えられた。

 ドキュメンタリー部門にエントリーして、結果は見事に銀賞を射止めた。ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」が、30周年記念ニュープリント版で賞を取りにくるなどライバルのリストは豪華だったが、これですら最終選考に残れなかった。競争形式の映画祭では北米で最古の実績を誇る、シカゴ国際フェスティバルの権威と実績はそれほど高い。二位に輝いた銀賞の価値がわかっていただけると思う。

 この栄誉に輝いた女流監督コンビのキャリアは、「東京のよき妻」(92)、宝塚を扱った「ドリームガールズ」(94)、男装するレズビアンバーにカメラを持込んだ「新宿ボーイズ」(95)、離婚裁判を追った「イラン式離婚」(98)など。私ははいずれも未見なのだが、名画座の初日は明らかにレズのカップルが多数来館していた。

 質疑応答の最初の質問もプロレスに関してのものではなく、「新宿ボーイズ」に関するネタだったので、その方面には知られていることはよくわかった。また、そっち関連でこの映画が宣伝され、満員の盛況だったことも報告する必要があるだろう。まぁアメリカには、女子だけの団体が(一時存在したとはいえ)ないから、宝塚と並んでユニークだと思われるのは自然なのだ。

 ちなみに「GAEAガールズ」には、レズの話題は全く触れられていない。真偽は不明ながら、長与のその方面に関する噂はマット界の伝説のひとつだが、軍人で非常に厳格だった父のことを語るインタビュー部分が記憶に残る程度だ。また、タケウチの前髪を切ってやる広田さくらの姿に、過剰な解釈をする方がいるかも知れないが、いずれにせよ今回のテーマはトレーニーのデビューまでの記録。監督の過去の作品テーマを強調することは、誤解を生むだけのような気もする。

 もっとも、2日目の質疑応答で私がレズの件を持ち出したら、ブーイングは聞こえるし顰蹙を買ってしまった。帰りのエレベーターでも、「レズの映画じゃなかったんでがっかりしたんでしょ?」と文句を言われる始末。ただ作り手の過去のレジメを調べれば、避けて通れないから確認しただけのこと。自分は映画には大満足だと答えたのだが、触れるだけでも嫌がられるのではどうしようもない。

 同じく監督が否定したのは「日本特殊論」。「日本だけが異常なのか?」の質問に対する答えがそれで、普遍的なテーマを扱った場がたまたま日本であり、女子プロであったと答えていた。また、最初に出展した映画祭が彼女の母国イギリスなので、記録上はBBC放送の名前もクレジットされているところが英国映画らしい。まぁ、東京在住者による日本語作品だし「日本発のメディア」ってことで良いと思う。というより、当日客の反応でも無国籍映画という感じで、別に日本というのは二次的な要素という意見に賛成したい。

 道場での厳しい訓練にしても、ちょうど客席からも格闘技の方での同じ道場論の助け舟が出て、その方も「日本だけの特別な世界」と考えてはいないと発言していた。ただし二夜目の質疑応答でも、会場が違うせいで客層は違っていたのに、残酷なまでの特訓がどうしても理解できないと、同じ質問を浴びせる客が食い下がっていた。プロレスマニアは、トレーニング風景に関しては新発見は期待しない方がよいだろう。しかし、お茶の間の大衆には想像以上の驚きであることは間違いない。

 二夜連続でやっぱり出た質問としては、「ところでこの女子プロは真剣勝負なのか、それともフェイクなのか?」。結構な時間はこの話題で潰れることになる。監督はまず、「その問題をからめると話しが異常にややこしくなるから、あえて一切触れてない。描きたいテーマとは違う」と断った上で、「ただ質問に答えるなら、勝敗は決まっている」と正直なお答えだった。

 「そりゃファイアー・ボールまで使われるスター長与の試合は完全なステージド・ファイトだとわかるでしょ? でも中盤の里村と加藤の試合見てくれましたか? 凄かったでしょ? あれもフィニッシュは決まっていて、だから里村の涙とかに繋がるんだけど、途中の攻防はリアルだったでしょ?」との監督説明が続く。「それにトレーニングはすべてリアルじゃないか!」というのは、当たり前なんだがおもしろい表現に聞こえた。

 しかし質問した客に限らず、このあたりを理解できない一般客も多いと思う。あの狂気の道場風景は格闘技マニアでない限り仰天するだろう。「練習と違って試合はリアルファイトなんだから」とか、「本番では」の英語字幕が"リアルマッチ"と訳されるなど、リアルという言葉が何度か登場する。だから余計に混乱する客は減らない。訳は間違ってはいない。そりゃプロレスでも格闘技でも、戦いはすべてリアルであって、そうでなければケガをする。

 唯一この企画に文句をつけるとすれば、96年にNHKが放送したGAEAのドキュメンタリーのパクりなことだろう。別にそれを悪いとは思わないが、覚えていたのでスグにピンときた。こちらは当時練習生だった広田さくらが主役だったが、基本的なテーマはまったく同じになる。女子プロに詳しい日本人は私だけらしかったので、これは意地悪な質問として初日にぶつけてみた。

 対する答えは当然のごとく反抗。「自分の作品は4ヶ月も道場に毎日のように通ってできた作品であり、あんなNHKのような短期間での仕事と違う」ことや、その期間の長さから信頼されて、少女たちの内面に迫れた点を強調していた。ただし、TVの放送時間枠から比較すれば、長い映画の方が深く掘り下げ可能なのは当然で、私が彼女の言い分を全面的に認めたわけではない。もっとも、NHKの作品を先駆者扱いするのもおかしな話ではある。女子プロの道場を扱ったドキュメントは短い取材のものも含めたら昔からの定番だからだ。

 とりあえず独立した長編映画として完成させた点は、大いに評価すべきだろう。自信を持って必見作だと推薦しておきたい。
 最後に、長与本人はタケウチの二度目のテストに鮮烈の再登場。何度も強烈にほっぺをはるなど、スパルタ式愛の教育が爆発する。
 そしてようやくのデビュー戦は、ドロップキックの三連発から始まった!
(2000年秋、シカゴ在住時執筆)

 追記 2001年10月、山形国際ドキュメンタリー映画祭にて日本初公開。ただ、ちょうどその時点で残念ながらタケウチは引退廃業を発表している。2002年6月、シネセゾン渋谷でロードショー。

ガイア・ジャパン 旗揚げ戦96年4月15日。

 ドキュメントが撮影された99年の興行数だけを比較すると、全女109、アルシオン121、JWP89、Jd120に対して、GAEAは37と極端に少ないが、利益率はダントツのようだ。売り興行をしない、すべて自前でグッズを作る、DM(ダイレクトメール)の活用など、業界の常識を破ることで成功している。現在のリングには尾崎魔弓、アジャ・コング、ダイナマイト関西、デビル雅美などフリーの大物たちが集結。女子団体のトップに踊り出た。クラッシュ対決での長与の「オレはお前、お前はオレなんだよ!」発言を映画に残したのは、ライオネス飛鳥が参戦してからGAEAがさらに面白くなったから。2002年4月に北斗晶が引退して、アルシオンのエースだった浜田文子が加入している。

 クラッシュ再結成に一年半かけ、竹内のデビューにも一年半かける。そんな美貌の杉山由果社長は、このドキュメントでも強烈な印象を残している。

注釈1 中間マニア層● 「活字プロレス」の熱心な読者と重なる。実際にチケットを購入して会場に足を運ぶのは、素人筋と真性マニアという両端のファン。業界用語ではシュマーク。

注釈2 プロレス勝敗式● ブッカーと呼ばれる現場監督が、「今日は寝てくれ」と親指を下にして「ご奉仕(業界用語ジョブ)」する側に伝える。

注釈3 映画ビヨンド・ザ・マット● プロレス芸術の魅力解剖ドキュメント。日本でも2001年夏に劇場公開されヒットした。

ガイア・ガールズ(6/22〜上映) オフィシャルHP:http://www.espace-sarou.co.jp/
シネセゾン渋谷(http://www.cinemacafe.net/theater/css/)にて公開
渋谷区道玄坂2-29-5 ザ・プライム6F TEL.03(3770)1721
地図:http://www.minipara.com/kanto-mini/theater/saison/map.shtml

 ☆劇場窓口にて特別鑑賞券お買い求めの方に  オリジナルポストカード・プレゼント!  ☆Tシャツ・ポストカード付特別鑑賞券(4,000円)発売中

映画情報サイト「ミニパラ」によるレビュー:http://www.minipara.com/movies2002-2nd/gaea/


「観戦記ネット」の社会学者Dr.マサこと小林正幸による補足寸評

 勝敗を他者の意志によって決定されるプロレスとは、自らの意志を究極的には反映できないシステムであり、それこそが普遍的な命題ではないかと考えさせる欲望が私の中にある。しかしながら、フィニッシュでは「肩を上げない」自らの意志によってこそ実践しなければならないという存在の矛盾のようなものを感じてしまう。それを単に「お仕事」と醒めた目でみることを拒絶する感性があるとき、これは過酷な運命の"象徴"となるような気がした。ゆえに「奉仕」という自己犠牲の美学があるのだ。この過酷を引き受けるものをこそプロレスラーとするならば、タケウチの志半ばでの引退廃業とはその過酷を引き受けられなかったことを示唆する。つまり、里村のような「ただ流れる」涙を知らないものでしかなかったのではないかと。プロレスというシステムの直中において、真のプロレスラーの定義を夢想してしまった。

 単にドラマ仕立てであるなら、プロレスである必要もない。命題の最大の成功はファンタジーの間隙にあるリアルを産出すること。ただこれは、文学的な過剰な解釈に過ぎないかもしれない。結局このドキュメンタリーに描かれてない、隠されたクライマックスは、主人公の廃業という事実にあるような気がしている。(2002年3月執筆)

前田日明の英国親ウェイン・ブリッジによる自筆メモ
 それは私が見たTV番組のなかでもベストのもの、長らくこんな作品にお目にかかったことはなかった。ある少女がプロのレスラーになるまでを描いた秀作。ああ、私はこの少女を抱きしめてやりたい。「おめでとう、よくやった!」と。あなたの勝利への執念とハードなトレーニングに私は泣かされた。いつの日か、あなたにお会いして、「レスラーになることを選んでくれてありがとう」と、そうお礼を言いたい。素晴らしかった。

 私はこのビデオを英国の道場に持っていって見せてやった。残念なことに、誰ひとりとしてここまでの勇気を持ってる奴はいなかった。この映画をみた世界中のすべてのプロレスファンは、あなたに感謝することだろう。次に日本に行くことがあれば、最初の自由行動日に私はあなたを見に行きます。
                         ウェイン・ブリッジ (2002年5月記)

「あの大男が感動で泣いた!」
 "麒麟児"ブリッジは9歳からアマチュア・レスリングで活躍。64年にプロレスに転向して88年に引退するまで日本を含む世界各地で暴れた。81年にジョイント・プロ認定初代世界王者となっている。また、前田日明がクイック・キック・リーとして英国遠征していた82〜83年の下宿先であり、リング上と私生活両方の後見人でもあった。現在はロンドンでパブを経営。ここで年に一度、欧州系レスラーの同窓会が開かれている。





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