メディアリテラシーの選民・プロレスファンだけはビューティフルマインドを見て良し!
■投稿日時:2002年4月21日
■書き手:生首

大学入試に一番出ると自称する、発行部数日本2位の新聞の売り物コラムを読んで欲しい。
■《天声人語》 04月21日
 20代で数学者として頭角を現し、30代で精神分裂病を発症、長く苦しんだあと奇跡的に快復し66歳でノーベル経済学賞を受けたジョン・ナッシュ氏の半生を映画「ビューティフル・マインド」は描いている。
 米国の名門プリンストン大学で孤独に数学に取り組み、ついに現在「ナッシュ均衡」として知られる新しい理論を生み出す。思い通りの研究職に就くことができ、結婚もする。そのころから暗号解読の才能を政府に買われ、秘密任務に精を出す。
 この任務が、話の展開のかぎになる。次第に常軌を逸していく行動。周囲から不可解と見られる振る舞いが、本人にとってはやむにやまれぬものであることを描きだす。
−(意味の流れに影響ないので)中略−
 ナッシュ氏が妄想の世界から戻れたのは、20世紀の精神医療のお陰なのか。映画の元になった伝記の著者シルヴィア・ナサー氏は、そんな単純な見方はしない。快復の要因の特定は難しい。入院治療が自殺を防いだ可能性を認めつつ、その後のほとんどを病院の外で暮らしたのがよかったのかもしれないと見る。
 伝記によると、妻アリシアさんは必要最低限の世話だけして、うるさいことは何も言わなかった。それが夫に一番良いと見抜いていた。「あれこれ考えないことです。なるようにしかならないのですから」。その境地には頭が下がる。
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「そんな単純な見方」  「一番良いと」
精神医療ならびに精神疾患に対する偏見、ここに極まれリ。このコラムニストは今だに「精神病院は悪、病気なんて気のせい、薬は悪。根性で治せ」という現代医学の潮流を全く無視した、アナーキズム幻想から逃れられていない。

精神疾患は呪いでも前世の因果でも何でもなく、誰もが罹患の恐れのある、内臓と同じく脳や神経の疾患に過ぎない。精神医療は化学的アプローチによる薬物療法と、臨床心理的アプローチによる精神療法の進歩によって、日進月歩で進化を遂げている。しかし未だガンと同じく、あらゆる病状をが完治できるわけではない。映画で出てくる電気ショックは、患者、特に分裂病入院患者への処罰的なイメージから脱却できないこのコラムニストのような者には、通電時のショックで患者が背骨などを損傷しないためにも手足を拘束しているという事情は知らない。

病気のために暴れる患者の人権は、家族や治療者、何よりもそれを物理的に抑止することで患者本人の保護のためには、一定の制限が必要となる。

十分な情報を持たず、一方的な情報供給で「天下の○○」と自称する新聞が、メディアリテラシーの乏しい一般人に、きわめて扇動的な偏向情報で、一定の意思を惹起させるという手法は、歴史的に多くの独裁政権が利用してきた、もっともオーソドックスなプロパガンダ手法である。情報を咀嚼できない一般大衆は、そのメディアのご宣託を鵜呑みにする。マスコミの暴力以外の何物でもないだろう。

身勝手な価値観と、偏狭な知識によるマスコミの暴力の罪は重い。精神疾患を「気のせい」「根性で」「薬は良くない」という医学の方向と真逆へと退化させる暴力的主張は、日々病気に苦しみつつ戦う、医療関係者、患者家族、何より患者本人への重大な犯罪的行為といえる。

映画のエンディングはきわめてエンターテインメントの定石を行く構成になっているが、このことは「この学者はプリンストンの教授だし、ノーベル賞取ったから、一般の基地外とはちがう」という意味付けがリードされている。
もちろん病気に貴賎等ある訳がない。この事をもってして、このアカデミー賞独占映画を「ゆるせん!」 というのは「え、猪木は正義のためにタイガー・ジェット・シンを懲らしめるんじゃないの!」とテレビに抗議するのと同じことであり、メディアリテラシーを十分に持っているプロレスファンは、「エンターテインメントだから」という、きわめてまっとうな理解ができる。

私はプロレスファンであることに安心を覚えた。





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