高橋氏の告白を興味深く読む
■投稿日時:2001年12月25日
■書き手:柏屋ぴよ吉 (ex:「BOOGIE STUDIO」

面白い本だった。

私は昭和57年3月に遠藤幸吉氏が世に出した
「プロレス30年初めて言います」が実は
シュート活字の弥生前期ではなかったかと
思っている。
『とことん痛めつけられ、客を湧かせ、
ヒーロー力道山の出番を最高に盛り上げて
力道山に引き継ぐのが私の役目』とか
『ブッチャーはカリフォルニア人』とか
『馬場は、猪木に較べると残念ながら技が
ない。しかし、「十六文の大足だから、あの
十六文キックはさぞかし効くだろう」と
思わせているだけでも大したものだ。』とか
『プロレスの真髄は相手の技を受けること』とか
よく読むと『プロレスはショーだ』と
公言している本だった。
 佐山タイガーの全盛期にこの本を読んだ。
だから、タイガーの空中技、見せ技の美しさに
あこがれ、キッドのブレンバスターの速さに
驚き、バンプの上手さに拍手を送っていた。
むしろ寝技に入ると「休んでるな」と思っていた
くらいだったから、後年、アマチュア・プロレスを
やり始めた頃、山本小鉄氏の『ストロング・スタイル』
という本を教科書に技を掛け合った時、プロレスの寝技の
『思わぬ』威力に驚いたくらいだった。
(その後、関節技の『魔力』に魅入られて格闘技へも
深入りする事となった。)

前置きが長くなった。
ミスター高橋の本の中ではアンドレが猪木に初めて負ける
試合前のやりとりなどが興味深い。
猪木のボディスラムを受ける際のアンドレの心配など
とてもリアルに感じた。
プロレスは『受け』があるからこそ
真剣勝負よりも『命がけ』なのだ。
練習もした事の無い相手とリングでいきなり戦うのは
実際、怖くてしかたがないものだ。誰しも、
スタン・ハンセンにボディ・スラムで首を折られた
サンマルチノのようにはなりたくない。
かける方もかけられる方も『上手に投げ』『上手に受ける』
事を信頼して、初めて試合ができる。
信頼できる相手でなければ『死闘』などできない。
アンドレの体重を考えれば、ボディ・スラムを受ける事は
かなり覚悟のいった事だと思う。

『ジュース』の記述も面白かった。
大木の頭を八針縫うほど切っってしまったというのは
あの試合の事か・・。100ドル出した大木の心中は?
『何かの理由でわざとやられた』とでも深読みしての
事だったのだろうか?

全体を通して猪木の弱音の記述など、いとおしい気持ちが
わいてきた。ゴルドーのローキックはそんなに効いてたのか。

前田やUWFの試合についての『及び腰』は
前田が怖いのだろうか?それともリングスあたりに接近したい
理由があるのだろうか?すなおに『他団体』への礼儀として?
リングスも旧・旧ルールは『プロレス』の入りこむ余地が充分あり
ヴォルク・ハンなど半ば公言していたように『技術を見せる』
事の面白さの方向へと再び舵を切ったようだ。
3カウント・フォールや5カウント・ファウルで『真剣勝負』が
困難なように、『ルール』が規定する部分はあると思う。
『エンターテイメント』と『真剣勝負』の他に
『どっちだかよくわからないもの』があっても良いと
思っている。そこを推理しながら観る楽しさもまた
捨てがたいものだから・・・。

しかし、観客の目が肥えた今、新日を真剣勝負だと思ってる
客もいないだろうに、猪木の『プロ格路線』はどうか?
高橋氏も『意味不明』とも指摘している点だが
『砂漠は目に見えない井戸を隠しているから美しい』(星の王子様)
「ひょっとして真剣勝負"も"あるかも知れない」と観客に期待させる
効果を狙っているのか?たとえば12.31は前回と本当に違うのか?

『見分ける楽しみ』にとっては面白い時代だ。
新日プロの多重人格的状態を高橋氏は嘆いているようだが
案外、このままでもいいんじゃないかなぁ。





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