第13回 儀礼ドラマとしてのプロレス Part3
■投稿日時:2001年8月30日
■書き手:Drマサ


3 観客型イベントに向かうプロレス

 ボールは儀礼という社会学的視角から、プロレスを3つの時代区分としてその
イベントのあり方を捉えている。それぞれ参加型イベント、観客型イベント、そ
してテレビ観戦を含むメディア構成型イベントである。つまり儀礼の視角からす
れば、プロレスは2度の変転=「再転調」があったと主張される。レスラーのあ
り方からすれば、それをボールは「勝負士 shooter 」から「仕事人 worker 」
への変身と捉えている。「プロレスとはいかなるものか?」という問題に対して
歴史的資料によって明らかにしようとする試みは、諸説を生み出すだろう。本節
では、ボールの議論を参照し要約しつつも、ルー・テーズの自伝やその他の資料
を参照しつつ補足していこうと思う。実際ボールのプロレス史の要約は、あくま
で彼の目的である社会学上の問題点に収束するものであることから粗雑な面もあ
る。そこで、ルー・テーズの資料によってほんの少しだけでも豊かな議論へと導
かれればという試みを行おうというものである。

 まず古代のレスリングから見ておこう。古代社会では、いわゆるスポーツは季
節の祭りや宗教儀式とともに行われていたとされる。周知の通り、人類の歴史と
ともに存在したであろうレスリングはその文化によりそのスタイルを異にしてい
るが、社会的規範や価値観をレスリングという象徴的行為によって表象するもの
であり、儀礼過程が重視され、その宗教観によって導かれる政治社会のあり方が
人々に共有された。そのため競技性は低く、そのスタイルも遊戯性によって構成
されている。いわゆるエジプトの壁画によって発見されたレスリングは、いわゆ
る現在のプロレスでいう大技といえるものであるのは、レスリングが遊戯性を基
底としているからであろう。ギリシャ時代になると、遊戯性よりも競技性が重視
されるようになる。そのためシャーマンではなく、中立の審判を下す審判員が登
場し、儀礼の過程よりも結果である勝利が最優先されるようになる。儀礼という
側面からすると、古代的儀礼とでも呼ぶべき儀礼の原型がいまだ保持される時代
とされる。ギリシャ世界において初めてレスリング競技が登場したのが、前12
62年のパトクロス葬祭競技会であることからも、宗教儀式との連続性が理解さ
れる。

 この時代には既に2つのレスリングスタイルが存在したが、それは現在のグレ
コローマン・スタイルとフリー・スタイルの原型といえるものであった。ちなみ
にギリシャ時代のフリー・スタイルのレスリングでの反則技は、(1)手による
打撃(2)金的を掴むこと(3)噛みつき(4)目鼻を突くこと(5)競技場外
で闘うこと
などである。勝敗はいわゆるギブアップでの決着であるが、その意志
表示は指を1本立てて行う。ユニークと思えるのが、指折技が反則とならないこ
とであるが、指折技の名手であるメッセネア人レオンティコスは、この技で二度
古代オリンピックで優勝している。これだけでも過激ではあるが、特にスパルタ
人のパンクラチオンになると、噛みつきと抉ることが攻撃法として承認され、必
ず障害者が出るという陰惨なものであった。フィガレア人アリキオンは、レフリ
ーから勝ち名乗りを挙げられながら絶命したとされている。また、ボクシングや
レスリングの優勝者といえども、パンクラチオンで優勝することは困難であった
が、イトモス大会においてこれらの競技を制覇した史上唯一の三冠王テーベ人ク
レイトマス。またヒクソンも吃驚の、1400勝を様々な競技会において記録し
たとされるタソス人テアゲネス。極真大山総裁も吃驚、野生の大型ライオンを素
手で殺したテッサリア人ポリュダマスという強者がいたとされる。

 さて、ボールによれば、この勝敗重視の競争という価値規範は産業化が進む近
代ヨーロッパ、そしてアメリカ社会において重視されてきたものである。アメリ
カでは、ヨーロッパからの移民によって様々なレスリングが輸入され、最も盛ん
だったのがイギリスのランカシャー・スタイルを起源とする「キャッチ・アズ・
キャッチ・キャン」であり、他「グレコローマン」「カラー&エルボー」という
3つの主流なスタイルが成立した。

 19世紀後半においてプロレスのシステムは必ずしも確立しておらず、ランカ
シャー地方の労働者たちと同様、労働以外の余暇を過ごすための娯楽的なスポー
ツであった。それらの強者の中では、都市を中心として、制度的なルールや規則
が厳しく限定される競技的なレスリングを行う者たちが生み出されており、多額
の報酬を受ける者もいた。それは、同様地方において競技的なレスリングを行う
者たちによって支えられてもいた。このような競技会において行われるレスリン
グの観客は、レスラーの友人知人などによって構成され、参加型のイベントとな
っていた。労働者階級の娯楽とその娯楽によって身につけた技術と肉体、スポー
ツマンシップを競う競技会がイベントとして成立していたのである。このような
参加型イベントとして構成されるプロレスにおいては、競技という側面が強いの
はいうまでもない。また大きいイベントになればなるほど、観客は一般化してい
く。しかしながら「主に、ロックと固め技から構成されるレスリングは、決して
面白いとはいえません。制度的なルールに束縛された都会型レスリングでは、レ
スラーの目立った動きもないまま、一試合が長時間にわたって延々と続く」(5
9)ことから、大向けのショーとしては不満の残るものとなることもしばしばで
あった。実際、初期儀礼型プロレスの事例として挙げられている”フランク・ゴ
ッチ対ジョージ・ハッケンシュミット”が2時間にわたり大きなアクションもな
い試合であったことが指摘される。この試合が既に近代的なプロ化がなされたレ
スリングであるとすれば、参加型であるというよりは観客型イベントといえるも
のではあるが。

 反面、ボールが田舎レスリングと名付ける地方巡業団という興行師によって行
われるイベントとしてのプロレスが存在した。これは、あくまで金儲けを第一義
として行われるものであって、当該社会での正統的な価値観、健全な肉体やスポ
ーツマンシップを逸脱することに対してそれほどの躊躇もなく行われていた。こ
れもまた参加型であるとされる。

 「田舎レスリングは、酒場の喧嘩に似ています。サーカスやお祭りのイベント
として、あるいは個人のプロモーターが「世界チャンピオン」を携えて現れ、挑
戦したい者となら誰とでも一戦交えさせ」(58〜59)
、流血があったりなど
の派手な試合となり見る娯楽として成立していたものである。ルー・テーズによ
れば、南北戦争後のアメリカでスペクタクルとしての大衆娯楽を担っていたの
が、いわゆるカーニバルやサーカスを手がける興行師 showmen である。それ
は、様々なパフォーマンスやそれに彩りを加えるコン・アート con art によっ
て構成される。

 レスリングがこのような興業集団に組み込まれることによって、レスリングは
大衆を悦ばせる身振りを獲得し、そのスタイルを変容させていった。地方巡業団
の”座員”の一部を構成するものとしてレスラーやボクサーも存在したが、スト
レートに競技をするのではなく、レスリングに転調を施すことによってショウア
ップが企られた。一緒に巡業する仲間同士であることから、その実力のほどはよ
く理解しあっている。また、レスラーとして天恵をほどかされた優秀なものが多
いわけではない。そのため優秀なレスラーが対戦相手の持ち味を出させ、試合に
面白味を加えていくという転調が施されるようになった。いわゆる”キャリー
carry ”である。そのため試合が起伏に富み、豊かなアクションがレスリングに
加味されることになり、観衆の欲求に応えることが可能になる。レスラーはこの
方法論を身につけ、かつ発展させることによって、レスラーのキャラクターやパ
フォーマンスを発展させるようにもなったのである。また、地元のレスリングの
雄と賭試合を行っていたが、両者がぐるになって八百長を仕組んだりもした。金
になるとなれば、敢えて負けるものもいたという。つまり試合をするレスラーが
自ら対戦相手の勝利に賭け、自ら負けるのである。

 レスリングは当時最も盛んなスポーツであったことから、一般のレスリング愛
好者たちにとってカーニバルや地方巡業団の見せ物は腕試しに絶好の機会でもあ
り、多少腕に自身のあるものにとっては絶好の賞金稼ぎと映ったのである。実
際、カーニバル・レスラーは誰の挑戦でもうけるというふれ込みであったことか
ら、興業団の利益を守るためにいわゆるレスリング愛好者の知らない技術 hook
のできるレスラーが対処した。このようなレスラーが、レスラーのピラミッド構
造の頂点に君臨していたのである。実際には、かなり実力差があるものとの試合
になるため、娯楽的な要素が強いことが多かっただろう。プロレスの本質がコ
ン・アートにあるのか、競技としてのレスリングにあるのかといえば、様々な解
釈を生み出すところではある。しかしながら、この見せ物のレスリングであって
も、利益を上げることと、競技レスリングの高度な技術が一致していたという側
面は否定しようもないだろう。

 しかしながら、近代的なプロ・スポーツとしてはいまだ不十分である。そのた
めには、新たなる転調が施されなければならない。プロとアマの明確な境界が引
かれることが参加型と観客型イベントを隔てる第1の要件であるが、カーニバル
における・レスラーは近代的なプロであるかという点ではその先駆けのようでも
ある。しかしながら、一般の愛好家がその腕試しとして参加することを前提とす
る側面があったことから近代的なプロという概念は適合的ではない。つまり、
人々の娯楽として実践されていたレスリングが、娯楽と職業に分化され、レスリ
ングを見せる職業が社会の分業化の中で、ひとつの自律した職業として専門化が
なされなければならない。

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