|
第一回 初心者にもやさしい! プロレス・格闘技のミニ歴史入門 93年は「シュート革命元年」
|
|
■投稿日時:2001年7月27日 ■書き手:田中正志 |
||||||
|
宿命の93年、アメリカではクリントン最強政権が誕生しましたが、マット界のシュート革命元年でもあったのです。全体像を把握するためのポイントをみっつばかり挙げてみましょう。 1.世間一般にも人気沸騰で、もはや説明不要のK‐1、プロレスにおける真剣勝負は幻想という歴史概念を覆したパンクラス、壮絶な何でもありルールを売りに、一時は日本のプロレス業界をパニックに陥れたアルティメット大会(UFC)…以上の3団体が全試合シュートのプロ興行の継続開催に踏み切りました。 2・一方、格闘技路線とは正反対の大衆演劇の方角には、日本では東北限定のみちのくプロレス、アメリカではECWが誕生し、エンターテインメントとしての最終表現法、極端な限界点越えを追求し始めます。 3.それら両極の中間に位置する、従来のプロレス各老舗団体も、新しいムーブメントに負けていないどころか、それぞれのスタイルを完成させました。つまり、リアルファイト組織の相次ぐ発進にむしろ発奮して、メジャー団体の貫禄とビジネスの実力を示した1年間でもあったのです。
次に、2.と3.に関して、簡単に93年の記録を列挙してみましょう。 ▼新日本プロレス恒例の1月4日の東京ドーム大会では天龍×長州の頂上対決が実現。 ▼世界の最大手プロレス団体を目指すWWFは、レスリングとバラエティー色の両方を重視した新番組RAWの中継を開始。 ▼日本が世界に誇る女子プロレスは、92年末から団体対抗戦が過激に開花。あらゆるマット界で最高水準のワークレイト(勤務査定)であることを見せつける。 ▼4月2日 横浜アリーナ 全女創立25周年記念大会 6時間にも及ぶオールスター戦は大成功。北斗晶×神取忍の「ディンジャラス・クイーン決定戦」などがバカ受けします。 ▼5月5日 川崎球場 もはやインディー規模から全国区になった人情ドラマ主義の大仁田厚が、師匠のテリー・ファンクを有刺鉄線時限爆弾デスマッチで粉飾。 93年はすべての団体が覆面をかぶった和製ルチャリブレから流血デスマッチまで、それぞれの信じる価値観を競争しながら発表することが許された最初の1年間でもありました。 例えば12月の短い期間だけを取り出しても、残されたビデオ映像は凄い中身ばかり! 三沢光晴&小橋健太組が川田利明&田上明組を下して優勝した全日の「最強タッグ」では、「四天王プロレス」の過激な様式美の頂点が提示されていたし、Uインター主催の神宮球場は、高田延彦×ベイダーの大一番で盛況でした。パンクラスがついにU系の最後の扉をこじ開けて、真剣勝負だけのプロ興行を見切り発車させた年の暮れ、全女もWARも新日も、急激に進化した素晴らしい興行を連発していた事実があるのです。 それでは時計を一端終戦後の日本に戻して、大きなアメリカ人選手に我らのエースが勝つスポーツ・ドラマを、国民全体が必要とした時代へタイムスリップしてみましょう。いや、大げさでもなんでもないのです。プロレス番組の成功とテレビの初期の普及には大きな相関関係があったことを確認しておく必要があります。 現在このジャンルが置かれている日本でのマイナーなイメージと違って、社会的な影響力は計り知れない時代でした。力道山の名前は20世紀を象徴する人物のリストに、どの有力紙が選んでもトップランカーに入っているのですから。 |
||||||
|
|
||||||
|
|
|
本稿の著作権はすべてKANSENKI.NET及び「書き手」に帰属します。
|