「追悼 テリー”バンバン”ゴーディ」
■投稿日時:2001年7月25日
■書き手:タカハシ(名前をクリックするとプロフィールの欄に飛びます)

「もし俺が明日、ここを去るとしても、俺のことを憶えていてくれるかい? 
俺は今、旅立たなけりゃならない。俺には見るべき、行くべき場所がたくさんあるから。
もし俺がここに留まったとしても、物事は同じようには続きゃしないよ。なぜなら俺は自由な鳥だから。
君にはこの鳥を変えることはできない。そしてこの鳥は君を変えさせることはできない。
神は知っている、俺が変われっこないってことを・・・。」   from 「FREE BIRD」by LYNYRD SKYNARD


馬場さんが個人的に高く評価していた外国人選手がテッド・デビアスとテリー・ゴーディだったというの
は結構有名な話だ。
テリー・ゴーディというとよく言われるのがプロレス史上最年少のデビュー(13歳)を果たしたという
事とパワーボムの元祖であるという事の2点だと思う。
不思議な事に体も大きくプロレスも上手いのに、テキサスで名を馳せたマイケル・ヘイズとの名コンビ
「ザ・ファビュラス・フリーバーズ」時代はともかく、WCWやWWFではこれといった存在感を示して
はいない。今思うに少年時代から旅芸人としてのプロレスラー生活を送ってきたゴーディにとっては、
企業としてのプロレス団体は単純に肌に合わなかったのではないだろうか。

そしてパワーボム。力道山がハワイでテーズに挑戦した際この技で負けたのは有名な話だし、モンスター
マン戦でのフィニッシュ前の一撃に猪木が使ったのもこの技だった。また新倉史裕(引退)も新日本の
前座時代によくこの技をフィニッシュに使っていた。では何故この技の元祖使い手とされるのかと言うと
・・・ただこの技の名前を「パワーボム」と日本のプロレス誌にインタビューで答えたのがゴーディだった
からなんですね。
ちなみに猪木が使った時は旧式パイルドライバー、新倉が使っていた当時はスタンプ・ホールドと
それぞれ呼ばれていた。
さて現在いくつかパワーボムの進化型とも言える技があるが、最も原型に忠実な使い手の#1は天龍源一郎
をおいては他にないと思う。実は日本でのゴーディのパワーボムの最初の犠牲者が天龍であるのは有名な話
だが、当時のゴーディは持ち上げるのではなくタッグ屋らしく、パートナーのショルダースルーを受け
止めるやり方を好んでいたようだ。マイケル・ヘイズとのファビュラス・フリーバーズは日本では1シリーズ
しか実現せず、日本では単独でしか来なくなってからはパタンとこの方法を使わなくなったが、あくまで
「フリーバーズの技」という意識が強かったからなのかも知れない。

ゴーディの死に際し彼のベストバウトと言えるものを幾つか思い浮かべてみたが、個人的シュミを差し
引いてもハンセンやウィリアムスと組んだタッグマッチばかりで、しかもゴーディが印象的であったという 
記憶も特にない試合ばかりだ。まぁこれは馬場さんがセオリー無視のスター選手のお目付け役を割り当てたが
故であり、ブッカーの意向に忠実な昔カタギの選手であったという事だろうか。それでいて「やんちゃ坊主」
的キャラクターのイメージを損なわずにいたのも、特筆すべき事であると思う。
今ゴーディの姿で思い浮かぶのは(多分)世界最強タッグ初優勝時に、喜びのあまり観客席までズンズン
入っていった姿だ。当時インディアン・ダンスと称されたリング上での歓喜の姿も忘れられない。
それにしてもこれからのハンセンの7月は、失った2人の盟友の事を思い出す月となるのだろうか?

時折FENから流れるレナード・スキナードの「フリーバード」はこれからは今までとは違った気持ちで聞く
事になるのだろう。
有り余る素質をもちながらバイプレイヤーとして最高の仕事を見せてくれたテリー・ゴーディ。
願わくば秋からNOAHの練習生となるレイ・ゴーディJrには「親父を越えた」と評価できる選手となって
欲しい。
そして「アイツもいい選手だけど、親父もスゴい選手だったんだ」といつまでも思い出させてくれる選手と
なって欲しい。
さようならフリーバード。ありがとうテリー”バンバン”ゴーディ。





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